君を信じてもいい世界なら

清塚かい

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第4章

54、誰の物でもない

「どうやったらシェールみたいに、何でも出来るようになれるのかな」

 聞き飽きた問いだ。

 同じ種族だというのに似ても似つかない気の弱い男は、会う度にこの質問をする。シェールは皆が見蕩れる表情で、毎回決まった言葉を返すのだ。

「殿下、私は何でも出来るわけではありません。殿下の鍛錬には及びませんよ」

 そう伝えた途端に、男は安堵で綻んだ笑顔を見せる。あぁ、反吐が出る。

 この世の誰よりも優れているこの私が、つまらない嘘を吐く。全ては、血筋だけで王になることが決まっている凡人の、この男のために。

 シェールは凡人がするような努力をしなくとも、容姿も、頭脳も、能力も、大人を凌駕するほど完璧だった。

 ただ一つ──傍系の血筋ということを除いて。

 傍系であるがゆえにどれだけ優れていようと、中央騎士団長止まりの憐れなライオン。血筋だけで王になる奴とは違う。

──素晴らしい存在の私が、なぜこんな立場に収まらなければいけないのか。

 その理不尽が、シェールの胸の中で静かな憎悪を育てていた。

 そんな日々の中で、輝かしい人と出会った。

 血筋なんてものを忘れてしまうほど、美しいお方だ。シェールは一目見ただけで、彼に心を奪われてしまったのだった。

 それからは、世界はこんなにも美しいのかと錯覚するほどに、毎日が宝石のように眩しく見えた。

 凡人の王に話しかけられようと、面倒な部下の無駄な努力に付き合おうと、あの方に一目お会い出来るだけで、全ての苦痛が雲のように散るのだ。

──だが輝かしい日々は、一瞬で崩壊してしまう。

 あの方が伴侶に選んだのは、狐の獣人だった。完璧なライオンの私ではなく、何故見る必要性もない下等な狐を選ぶのだ。

 ありえない。ふざけるな。狐だと?
 格下を超えてゴミのような存在だろう。
 美しい貴方には、醜い狐は似合わない。

 なぜあの方は、完璧な私を選ばないのか。

 初めて“嫉妬”に狂ったシェールは、取り返しのつかないミスをしてしまった。あの方を泣かせてしまったのだ。

 何を間違ってしまったのか、理解に苦しむ。

 私は完璧だからこそあの方の想いを含んで、狐ごときの死体をドブに捨てずに家へと返してあげたのに。何故泣くのだ。本来は墓もなかったような奴だろう。

 全てはあなたの為に動いたのに、何が気に入らない?

『外見しか見れない貴方には、私たちの気持ちは、死んでもわからないでしょうね』

 雪原の中で、そう儚く笑ったあの方は──とても綺麗だった。
 誰よりも美しいあなたが欲しい。
 
 そう微笑んで手を伸ばしたシェールの手を、あの方は振り払い···そして、隠し持っていたナイフを手に持ったのだ。

 視界が赤く染まる。

 純白を体現したようなあの方には似合わない、黒く濁る赤。それが靴を濡らし、雪の積もった地面へと飛び散っていた。

 冷たい空気が、ナイフのように己を刺す。
 何が起きたのか、思い出したくない。

 現実を受け入れずに呆然としていると、シェールの耳に微かな泣き声が届いた。あの方に似ているようで、どこか違う。子供の声だ。

 よろけた足取りで声の方へ向かうと──。

「今、なんて···」

──同じ過ちは犯せない。

 ついさっき教えてやった発言に、唖然と口を開くフォクスをシェールは見下ろしていた。
 噛み跡が刻まれた身体以外は、殺した男と瓜二つの狐。細い目から、あの方と同じ金の瞳が私を見ている。

 あの方に会うために、この“器”を丁寧に、丁寧に育ててきたのだ。

「言葉の通りだよ。あの老人は、私の邪魔をした存在だったからね。お前を捕まえるついでに、火事に巻き込んで“退治”するのをお願いしたんだ」
「······っ!火事って、でもあれは···」

 騎士たちの調査で、牢に捕まえていた盗賊が放火したと明らかにされていたはずだ。

「潜入させたあの子が疑われないように、動かしただけだよ」

 フォクスが追いつかず、思わず口を開いた。

 盗賊は金を見せればそれなりに動くが、結果が良くなかった。その点、子供のように無垢で従順なシロは、すぐさまフォクスに近づける最高の駒だったのだ。

「だが、命令をしすぎたみたいだ。せっかく声真似で盗賊を誘導して、睡眠薬で眠らせて火で一掃する予定が、頭の弱いあの子は窓を見落としていたみたいでね···。上手く使えなくて、久々に反省したよ」
「使えない···って」
 
 シロの名前を呼ばず、終始物のように話すこの男は何だ。

 草陰からひょこっと現れたシロを思い出す。

 言葉も拙く、名前も年齢もわからない謎の男の子。カルフが適当に付けた名前は、彼にとって初めての“名前”だったのかもしれない。

「不必要になった盗賊の処分も、お前の住処を燃やしたのも何の問題がなかったんだ。私があの子を上手く使えていれば、もっといい結果になっていたと思うだろう?」

 この男は善悪も理解していない都合の良い駒を選び、手玉にとって操っていたのか。

「何故、シロさんや盗賊達を···大勢の人を使ったのですか···。私を捕まえることが目的なら、今回のように自分だけで動けば早かったじゃないですか」

 この男は、すべてを自分一人で進めなければ納得しない性格だ。フォクスが脱走する前も、この男以外の協力者など見たことがない。

 僅かに動いた振動で、引き摺った鎖が鳴る。

「···それで脱走したお前が、何を言っているんだ」

 感情が抜け落ちた声音だった。
 心底つまらなそうな顔のシェールが、見下ろしている。

「関わりたくもない盗賊共を使ったのも、便利な鳥のあの子を使ったのも、すべてはお前の為だよ。私から逃げたお前を、再び取り戻す為に」

 鎖を掴みあげる男の手は、血管が浮き出ていた。

「私にも立場があるから、おいそれと表立ってお前を捕まえられないんだよ。ライオンの私が、下等な狐を追いかけているとは口を裂けても言えないしね」

 シェールは「言わずとも理解できるだろう?」と鼻で笑い、顔を隠すために下を向く。フォクスの胸元に落ちる白金は、彼の頭の揺れに沿ってザワザワと動いて見えた。

 鎖から手を離したシェールは、フォクスの腰を両手で掴むと、恨みのこもった声を吐いた。

「···あの狼がいなければ、ここにはすでに“あの方”がいたはずなのに、邪魔な存在ばかりで困ったよ」
「狼······?」

 何故彼の名前がでたのだろう。
 シェールは大きくため息を吐き、数秒経って顔を上げた。

「···無駄話をしすぎたな。せっかく準備をしたのに、乾いてしまったか」
「っ···!う」
 
 背中から後ろへと、男の手が回る。
 これが始まると声を出してはいけない。そう癖がついているフォクスは、唇に犬歯を立てた。

 またこの日常に戻ってきてしまった。いい世界を体験してしまったせいで、同じことをするだけというのに、以前よりも恐ろしく感じてしまうのだ。

 脱走してからすぐは、何も無かった。

 金も何もない狐が、この世界で暮らすのは想像以上に大変だった。
 石を投げられたり、毒草を食べて腹を崩したり、雨に晒されて風邪を引いたり。衣食住が安定するまでに一年はかかってしまった。

 今にも倒れそうな家は、自分を支配する男が居ないだけで天国のように思いこんでいたけれど、ある時からこれも酷い場所なのだと気付かされてしまった。

『何を余所見している。命が惜しければ早く質問に答えろ』

 殺されるかと思った彼との出会いは、フォクスにいろんなことを教えてくれた。

 初めて狐として見られず、平等を通り越して過保護に世話をやかれ、“器”ではない“私”と生きたいと、人生に無かった選択肢を与えてくれた。優しい人だ。

 あんなに貴族らしくなく仕事熱心で、公平で、変なところで臆病な彼は、私みたいな存在といていいはずないのに。

 フォクスが乱暴にされた際に、止めようと叫んでいたヴォルクが脳を過ぎる。

 あの時には私の過去を知っていたはずなのに、それでも私を助けようとしてくれた。

 そんなあなたを、信じてみたくなってしまった。
 
 彼は決して、こんな汚らしい場所に巻き込まれていい人間ではない。誰かに支配されて終わるような人間ではない。

──この男の好きになんて、させたくない。

 今もずっと怖い。逆らいたくない。けれどそれ以上に、ヴォルクを守りたかった。

 そう思った瞬間、物のように固まっていた腕に、初めて意思が宿った。詰めていた息を零し、震えた指で自身の首元を掴む。

「···彼も私も、あなたの物ではない」

 やっと出せた声には、恐れよりも真とした確信があった。

 永遠に解けないと思い込んでいた白い紐は、いとも簡単にちぎれ落ちる。ほんの一瞬、シェールの視線が紐に寄せられたのを見逃さなかった。

「──がっ!?」

 フォクスはシェールの顔を、強く蹴飛ばしたのだ。

 突然の反抗をかわせなかったシェールは、顔を抑えてフォクスの上から飛び退く。

 その隙を逃さずに、フォクスは寝台から転げ落ちる。震える脚を叱咤して、閉じている扉へ駆けていった。

 ジャラジャラと、床を擦る鎖の音が鳴る。鎖の長さに、限界があるのは分かっている。

 だがあと少し、あと一歩さえ進めば扉に手がつく。

「うあっ!?」

 鎖を強く引っ張られて、扉についていた指先が一瞬で離れてしまった。

 床に倒れうつ伏せで張っていく体に、顔を抑えたシェールは獣性を解放して押さえつけた。完璧な顔に怪我を付けられたシェールは、鼻から血を垂らしていた。

「ぐっ······!!」

 掴まれている頭は、ミシミシと音を立てている。

「······優しくしていれば、調子に乗る。安心しろ。期待通りすぐ終わらせてやる」

 余裕のない声の後、荒い手つきで尻たぶを掴まれた。足は動かないように、上から体重を乗せられてしまっている。

 背後から聞こえるベルトを解く音に、フォクスは体中の血が凍った気がした。

 間に合わなかった。

 気持ち悪い熱が押し付けられる。それが今にも入りかけた時、ついにフォクスは強く目を瞑った。

──刹那、部屋の外から轟音と木の裂ける音が鳴った。

 窓の無い漆黒の部屋の中に、雷の光が切り開くように差し込んだ。眩しい光に、シェールは目を眇めて動きを止めた。

 パラパラと木屑が舞う向こうで、重い足音と何かが滴る音がゆっくりと近づいていた。

「────今すぐ、フォクスから離れろ」

 呼吸の荒い低い声に、フォクスは目を見開いた。

 轟々と鳴り響く雷の前には、右腕から血を流している狼が立っていたのだ。

 満身創痍な身なりだというのに、その翠の目は迷いなく、こちらを射抜いていた。

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