婚約破棄された令嬢は“図書館勤務”を満喫中

かしおり

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3-3:手のひらの距離、心の距離

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 翌日の午後、図書館には柔らかな陽光が差し込んでいた。

 ガラス越しの陽射しが木の床にあたたかな模様を描き、空気はどこか春めいて、穏やかな午後の静けさが漂っていた。

 リュカはいつものように二階の閲覧室へと向かい、その手には、私が先日勧めた文献があった。書物の感想を通じて交わされた言葉の余韻は、私の中で今も温かく残っている。

 そして今、私たちは並んで一冊の本を覗き込んでいた。

「この注釈、古い方言のままですね」

「ええ、翻訳された記録も見つけたのですが……それには載っていなくて」

 クラリス、と名前を呼ばれることもなく、ただ会話が自然に続いていく――そんな時間が心地よい。肩が少し触れるか触れないかの距離感が、まるで慎ましやかな物語の一節のようで、胸の奥をくすぐった。

 指先がページの端に触れたとき、リュカの手もまた、そっと同じ場所に添えられた。

「あ……すみません」

 私が慌てて手を引こうとすると、リュカは穏やかに微笑んで、ほんの一瞬だけ、そのままにした。

「いえ。クラリスさんの指先、とても静かに本に触れますね」

「……癖、なんです。乱暴にめくると、紙が痛がりそうで」

 恥ずかしさをごまかすように言った言葉に、リュカは小さく吹き出した。

「それは、本が喜びそうな話だ」

 その笑顔に、胸の奥が不思議と騒がしくなった。穏やかな視線の中に、何か特別なものが隠れているようで、まっすぐ見つめ返すことができなかった。

 ――いけない。このままでは、仕事が手につかなくなる。

「そういえば、クラリスさんが好きな本のジャンルは?」

 突然の問いに、私は少し考え込んだ。

「……物語の中に、誰にも気づかれない想いが潜んでいるような、そういう本が好きです。静かで、でも心に響くような」

「なるほど。クラリスさん自身と、少し似ているかもしれません」

「……え?」

「一見、静かで控えめだけれど、その言葉や考え方が、とても深くて優しい」

 胸が高鳴る。視線を落として、私は本の頁を繰るふりをした。目が合うのが、少し怖かった。

 だめ、そんなふうに言われたら――

 それでも、その言葉は確かに、私の中で何かを変え始めていた。心の奥にそっと灯る、小さな明かりのように。

 手のひらがほんの少し触れただけで、心の距離が一歩近づいた気がした。

 陽だまりの中、二人で読む一冊の本。

 それは、まだ綴られぬ物語のようだった。
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