ほろ酔い坂の向こう側

つくねこだま

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第三夜

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まだ、残暑の厳しい9月の半ば。
それでも今日は秋の気配か、少し過ごしやすい一日だった。

そんな気候も手伝ってか、今日は一人で飲みに駅前へ。
…といっても、特段行きつけの店があるわけでない。
駅の周りを夜の散歩、と思っていたら、
不意にジャズバーの看板が目に留まった。

「ジャズハウス白鳥」

少し緊張したが、入ってみよう、と意を決した。
半地下の短い階段を降りると、洒落たドアが出迎えてくれた。

カロン、カロン…。

小気味よいベルの音。
即座に、紫煙の香りと陽気なジャズの調べ。
「いらっしゃいませ…。」
ひげを蓄えたマスターは一瞬、こちらを見て止まる。
「初めて…ですよね?」
はい、と答えて近場のカウンターへ座る。
メニューに軽く目を通し、口元がほころんだ。
ブラッディ・メアリー
もともとトマトジュースが好きなので、
このカクテルを見つけた時は嬉しかった。
今日は、ジャズとともに味わってみよう…と、少し気取ってみた。
「お待たせしました。」
コルクのコースターに乗ったグラスは、濃い赤に鈍く光る。
物騒なネーミングだが、その由来は諸説あるそうだ。
文豪のエピソードがお気に入りだな…などと一人考えながら、
そっと口に運ぶ。
濃いトマトの酸味と甘みが広がり、
直後、ウォッカの熱い塊が喉を抜ける。
ゆっくりと傾けるにはちょうどいいな。
一杯を飲み干すころ、いい心地になった。
「ありがとうございました。また、いらしてくださいね。」

「白鳥」のドアを抜け、さて帰るかと路地に出る。
薄暗がりに何かがいる。
いや、誰かが、だった。
この時間、この場所には似つかわしくない、
小さな子供が立っていた。
時々小さくしゃくりあげながら、
涙目を両手でぐしぐしとこすっている。

そのままにしておくわけにもいかない。
交番は大通りの向こう側だ。

ひざを折り、話しかけると帰り道がわからないのだという。
家の近くに何かないかな―その問いに、手をぎゅっと握ってきた。
ずいぶん前につぶれた家電量販店と、
地元に昔からあるスーパーの名を口にする。
よくその名前を知っているな、と懐かしく思いながら、
ゆっくりと少年の手を引き、
路地を抜けていった。

家電量販店は、今はマンションに成り代わっている。
その横を通りすぎ、24時間営業のスーパーの小さな店舗を過ぎる。

小さな横断歩道を渡ると、視界が開け、大通りに出た。
走り去る車のライトが交錯する。

通りの向こうが交番だ。そう思い、信号待ちをする。
「あ、ぼく、ここからわかる!」
少年は嬉しそうに手をほどくと、
変わったばかりの横断歩道を渡り始めた。
律儀に、小さな手を懸命に挙げて。

交番とは反対方向だ。
こんな時間に、ひとりで歩かせる訳にはいかない。
酔っていながら、小走りで少年を追う。
右に左にと、警戒に進んでゆく少年を
見失わないように走った。

やがて、一軒の民家の玄関にたどり着くと、
「おじさん、ありがとう!」
と、涙目の笑顔で振り返った。
そのまま家の中へ…。


―今、玄関開けたか?


不思議な感覚にとらわれながら、扉を眺めていると、
ガチャ、と音を立てて家の人が出てきた。
初老の、上品そうな夫人だった。
お互いに顔を見合わせ、目を丸くする。

思わず、男の子がこの家に入っていったことを説明した。
その一言で、夫人ははっとしたように止まった。


「息子は、今…。」


一瞬息を呑む。
酔いがすっと引いた気がした。
心臓の鼓動が、やけに大きく聞こえた。


「駅前のバーで仕事中ですが、なにか?」


合点がいった。
先ほどのバー「白鳥」に戻ると、ふたたび笑顔のマスターが迎えてくれた。
「また、いらしてくれましたね。」

 2杯目のブラッディ・メアリーとともに改めて聞いた。
その昔、この通りで迷子になっていたところを助けてもらったことがある。
その男性が、あなたにそっくりだったもので…とのことだった。
さっきの少年がばっと頭に浮かんだ。
涙目の笑顔も。
そうか、あの…。
案内したのは私だ…と言いかけたところでやめた。
そして笑顔でまた来ます、と店を後にした。
わたしだけが知っていれば、充分なことじゃないか。

カロン…
ドアベルとともに確かに聞こえた。

「ありがとう!」の声―。

それは紫煙のように、柔らかくジャズの調べに溶けていった。

おしまい
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