4 / 5
第四夜
しおりを挟む
夏の香りが、不思議と心持ちをよくする7月。
湿ったような乾いたような空気が、身にまとわる。
夏は苦手だが、この夜の感じは、割と好きだ。
職場の後輩と一杯飲んできた。
昼間はイタリアンレストラン、
夜はお酒を飲める店になる「ダイニングたもつや」。
夕方の営業開始時間から2時間ほど、話を聞きながら酒を傾けた。
後輩は少しのアルコールで、日ごろの不満が爆発。
飲む、喋る、食べる、また飲むと、
仕事中より忙しく愚痴を並べ立てた。
大きく同意するわけでもなく、激しく叱咤するでもなく、
ただ淡々と相槌を打っていた。
なんとなく、話に苦みがあるように感じたからか、
カルーア・ミルクをゆっくりと味わう自分がいた。
「カルーア」というコーヒー由来で甘みのある酒を、
牛乳で割ったカクテル。
ミルクとリキュールの甘味が口に広がった後、
大人っぽいアルコールの香りが追いつく感覚は、やめられない。
ひとしきり話し切ったのか、後輩は落ち着いて
では、また明日、と気持ち猫背気味に帰っていった。
普段真面目そのものだから、いろいろストレスもたまるのだろう。
少しでも彼女の役に立てなのならいいのだが。
ふわっとした頭で、信号待ちをする。
この交差点を渡れば、駅だ。
待ち時間を表示する赤いラインが少しずつ減っていく。
ふと足元を見ると、小さな靴が落ちていた。
1,2歳の幼児のものだろう。
薄いベージュの、マジックテープが付いたかわいらしい靴だ。
一瞬、交差点での悲劇を連想したが、花などはない。
自転車の信号待ちで、脱げてしまったものだろう。
そんなことを考えていたら、信号待ちを忘れていた。
歩行者用の青信号がぺかぺかと光り、無情にも赤が点灯した。
余計な時間を食ってしまった。
ちょっと残念に思いながらも、自然と小さな靴に目が行く。
目の前を通る大型トラック。
その風圧か、小さな靴はあおられて転がった。
靴底にはシンプルに横線のすべり止め。
今頃、持ち主も家族も、残念がっているのかもしれない。
あ。
また渡り損ねる。
そんなことがあるだろうか。
酔っているとはいえ、なんだか間抜けだ。
足元の小さな靴はバランスを崩したのか、
ころん、と転がった。
…つま先がこっちを向いている。
生き物のようだな。
不意にそんな言葉が浮かぶ。
小さな靴が、だんだんと迷子に思えてくる。
思わず小さな靴を拾った。
信号が青に変わる。
左手に、雛を抱えている気分がした。
駅に続く階段を登ろうとして気づくと、
大通りの信号がすべて青。
?不思議なタイミングもあるものだ。
なんだかうれしいような気持ち。
気がつくと、青信号を続けてわたっていた。
3つ目の横断歩道を渡ると、左手に細い路地が見えた。
少し離れた街灯が、チカチカ明滅している。
解読はできないが、なぜがモールス信号のように思えた。
興味が湧いて、路地に入る。
街灯の下にたどり着こうとした矢先、
ふっと明かりが消える。
そして、また少し先の街灯が、チカチカ―。
偶然…?
子どもの頃に見た悪い夢のように、
左手に一瞬、鳥肌が立つ。
好奇心が勝り、またその街灯の下へ。
ふっ…チカチカ
街灯に翻弄されるように、いつしか住宅街を歩いていた。
ふと、左手の家を見ると、玄関わきにベビーカーが見えた。
砂遊びのセット、風よけカバーのついた電動自転車。
あ、ここか。
自然と左手に意識が向いた。
電動自転車のかごに、同じ靴のもう片方があった。
玄関先の洒落たタイルの上に、
持っていた小さな靴をそっと置く。
よかったね。
心でつぶやく。
そしてもと来た道を帰ろうと一瞬―ほんの一瞬目を離した隙に、
自転車の下、一側の靴が揃っていた。
つま先をこちらに向けて。
ぴったりとくっついて。
どういたしまして。
心でつぶやく。
夏の夜の夢?
いやいや、カルーア・ミルクの飲みすぎだ。
そう、酔っていたから。
おしまい
湿ったような乾いたような空気が、身にまとわる。
夏は苦手だが、この夜の感じは、割と好きだ。
職場の後輩と一杯飲んできた。
昼間はイタリアンレストラン、
夜はお酒を飲める店になる「ダイニングたもつや」。
夕方の営業開始時間から2時間ほど、話を聞きながら酒を傾けた。
後輩は少しのアルコールで、日ごろの不満が爆発。
飲む、喋る、食べる、また飲むと、
仕事中より忙しく愚痴を並べ立てた。
大きく同意するわけでもなく、激しく叱咤するでもなく、
ただ淡々と相槌を打っていた。
なんとなく、話に苦みがあるように感じたからか、
カルーア・ミルクをゆっくりと味わう自分がいた。
「カルーア」というコーヒー由来で甘みのある酒を、
牛乳で割ったカクテル。
ミルクとリキュールの甘味が口に広がった後、
大人っぽいアルコールの香りが追いつく感覚は、やめられない。
ひとしきり話し切ったのか、後輩は落ち着いて
では、また明日、と気持ち猫背気味に帰っていった。
普段真面目そのものだから、いろいろストレスもたまるのだろう。
少しでも彼女の役に立てなのならいいのだが。
ふわっとした頭で、信号待ちをする。
この交差点を渡れば、駅だ。
待ち時間を表示する赤いラインが少しずつ減っていく。
ふと足元を見ると、小さな靴が落ちていた。
1,2歳の幼児のものだろう。
薄いベージュの、マジックテープが付いたかわいらしい靴だ。
一瞬、交差点での悲劇を連想したが、花などはない。
自転車の信号待ちで、脱げてしまったものだろう。
そんなことを考えていたら、信号待ちを忘れていた。
歩行者用の青信号がぺかぺかと光り、無情にも赤が点灯した。
余計な時間を食ってしまった。
ちょっと残念に思いながらも、自然と小さな靴に目が行く。
目の前を通る大型トラック。
その風圧か、小さな靴はあおられて転がった。
靴底にはシンプルに横線のすべり止め。
今頃、持ち主も家族も、残念がっているのかもしれない。
あ。
また渡り損ねる。
そんなことがあるだろうか。
酔っているとはいえ、なんだか間抜けだ。
足元の小さな靴はバランスを崩したのか、
ころん、と転がった。
…つま先がこっちを向いている。
生き物のようだな。
不意にそんな言葉が浮かぶ。
小さな靴が、だんだんと迷子に思えてくる。
思わず小さな靴を拾った。
信号が青に変わる。
左手に、雛を抱えている気分がした。
駅に続く階段を登ろうとして気づくと、
大通りの信号がすべて青。
?不思議なタイミングもあるものだ。
なんだかうれしいような気持ち。
気がつくと、青信号を続けてわたっていた。
3つ目の横断歩道を渡ると、左手に細い路地が見えた。
少し離れた街灯が、チカチカ明滅している。
解読はできないが、なぜがモールス信号のように思えた。
興味が湧いて、路地に入る。
街灯の下にたどり着こうとした矢先、
ふっと明かりが消える。
そして、また少し先の街灯が、チカチカ―。
偶然…?
子どもの頃に見た悪い夢のように、
左手に一瞬、鳥肌が立つ。
好奇心が勝り、またその街灯の下へ。
ふっ…チカチカ
街灯に翻弄されるように、いつしか住宅街を歩いていた。
ふと、左手の家を見ると、玄関わきにベビーカーが見えた。
砂遊びのセット、風よけカバーのついた電動自転車。
あ、ここか。
自然と左手に意識が向いた。
電動自転車のかごに、同じ靴のもう片方があった。
玄関先の洒落たタイルの上に、
持っていた小さな靴をそっと置く。
よかったね。
心でつぶやく。
そしてもと来た道を帰ろうと一瞬―ほんの一瞬目を離した隙に、
自転車の下、一側の靴が揃っていた。
つま先をこちらに向けて。
ぴったりとくっついて。
どういたしまして。
心でつぶやく。
夏の夜の夢?
いやいや、カルーア・ミルクの飲みすぎだ。
そう、酔っていたから。
おしまい
0
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
嫌われたと思って離れたのに
ラム猫
恋愛
私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。
距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
道化たちの末路
希臘楽園
ファンタジー
母亡き後、継承権もない父と愛人母娘が公爵家を狙い始めた。でも私には王太子という切り札がいる。半年間、道化たちが踊るのを、私たちは静かに楽しんで見ていた。AIに書かせてみた第3弾。今回も3000文字程度のお気楽な作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる