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第3話
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「うちの孫、ラルスは剣術も魔法の成績も申し分ないのだけれど精霊術だけが今一つでしてね……」
名誉学院長のミルサローズ様が視線を送るとその当事者はかしこまった様子で頭を垂れた。
「申し訳ありません、お祖母様」
「そこで精霊術をSランク修得しているベルジットさんに家庭教師を依頼するつもりだったのです。自分の先生となるのはどの様な人物か? 気になる事を確かめる為に学院に編入して様子を観察していた。そこまでは私も許可したところでしたが……」
(編入して観察? すると、やはりあの転入生ラルスが目の前のいるラルスと同一人物なのかしら? でも見た目があまりにも……)
「お祖母様。お言葉ですが人を好きになるのに許可が必要なのですか?」
それまで祖母に従順な態度で接していた孫、ラルスの語気が急に強いものに変わっていた。
「悪役令嬢と恐れられているベルジットさんだけどそれは全て周りの生徒達の為に敢えて自身が乗り越える壁になろうとしているだけ。観察していてそれがよくわかった時、僕はベルジットさんに惹かれていたのです」
「コホンっ! ラルス、愛を語る相手が違いませぬか。孫のその様な姿にあてられて何だか気恥ずかしくなってしまいましたよ」
ミルサローズ様はガラス瓶に入った冷たい紅茶をカップに注ぐと口に運んでいた。それほど暑くないはずなのに額には少々の汗が滲んでもいる様だった。
(もしかして、わざとミルサローズ様に向かって言ったのかしら? 私に向かって言うのが恥ずかしいから……とか?)
「お祖母様、失礼致しました。ところでベルジットさん?」
ラルスは私の方に向き直ると僅かな時間私の顔を眺めていた。何か変なものでも付いているとでも言うのだろうか。
「その顔は僕があの辛気臭くて様子のおかしな転校生ラルスと同一人物だとは思えない、そう言っているようですね?」
「そんな事は……(うっ、見透かされている)」
ラルスはおもむろに頭に手をやると髪の毛を一気に掻き乱し始めた。そして眼鏡をかけるとどうだろう、見慣れたあのラルスが姿を現した。今さっき自身でも述べた様に辛気臭くてどこかおかしな気配が漂う転入生ラルスだ。
(なんだろう? ちゃんと話すのは初めてのはずなのに、どこか聞き覚えのある様な声)
「あなたとは昨晩も会っているんです」
一瞬ラルスが目をつむって何かを念じると私の目の前に1枚の大きな布切れが現れ身体に巻き付いてきた。
(えっ!? これはお風呂の時の。あの時の人がラルスなの?)
うっかり入ってしまった混浴風呂でうっかり男子生徒に裸を見られてしまった私……。そんな時、身体を優しく覆ってくれた布がこれだ。そして、男子生徒と私の間に立ってさり気なく完全にかばってくれた人。後ろ姿しか印象のない人の全てが目の前に現れた。
「本当は僕がお祖母様の背中を流すつもりで後から混浴風呂に行ったのだけれど、奥の方からレディと話すお祖母様の声がしたものだから控えさせてもらっていたのです」
(あっ……、まさか彼にも裸を見られてしまった?)
何だかよくわからないのだけど身体の奥から湧き上がってくる様な熱いものを感じていた。それは単純に恥ずかしさからくるだけのものではない様な気がする。
(見られてないかも? どっちかしら。ううぅぅ……裸を見たか見てないのかなんて聞きづらい)
どう聞き出そうかと考えてはみるものの、少しでも遠回りに確かめる聞き方がなかなか思いつかないでいた。そうこうしている間に名誉学院長が口を開いた。
「ベルジットさん。ラルスは夫を失ったばかりの見ず知らずの老婆を見かねて背中を流してあげる優しい女性が気になる様なのです」
名誉学院長はそう言って孫の顔に目をやり目元を緩ませた。
「そうですか。ところでミルサローズ様、お風呂でお話し下さったご主人との事は本当なのですね?」
私は本当であるという前提で敢えて尋ねた。どこにでもいる気さくなお婆様然としていた昨夜のミルサローズ様のしんみした様子に何か心の奥を撫でられた気がしたのは確かだ。だからこそ、お爺さんの代わりに背中を流してあげようと思った。あの時の素直な自分に偽りはない、きっとただのお婆さんだったミルサローズ様のお話にも偽りはないのだろうと思ったのだ。
「ええ。ベルジットさん、本当にありがろう」
(思った通りだ)
「ベルジットさん。どうだろう? 家庭教師ではなく妻として僕のもとに来てくれないか」
(ふふふっ)
そう言って私を見つめるラルスは……酷い姿だった。お風呂場で感じたあの凛々しさは全く見られない。自ら言う辛気臭くておかしな転入生の格好で求婚してくるなんて思わず笑ってしまいそうな状況だ。日々緊張感の絶えない悪役令嬢として過ごす日々とは違って、安らげる場所がこの先にはあるのかもしれない。
「そうですわね。では、お断りさせて頂きますわ!」
セントヘレナ学院の強化合宿もいよいよ最終日を迎えた。来年の春には卒業する私にとって最後の合宿、それは開始早々に求婚される事故も起きてとても印象深いものとなった。いずれ思い出しては顔が緩んでしまう思い出に変わるのだろう。
「ふ~~っ! いいお湯。この温泉とも今日でお別れなのね」
普段より悪役の割合を5割増しで過ごした合宿が終わる、その解放感から思いっきり両腕を上に伸ばして身体全体も大きく後ろにしならせた。そのまま湯に浮かんで静かに目をつむる。
あまりの心地よさに夢の世界へショートトリップしていた。どれほど時が経ったのだろう。
「ほんとにいいお湯だわね~~」
(えっ!? 貸し切りのはずなのに誰? というかこの声は!)
身体を起こして声がした方に目をやると湯煙をまとった名誉学院長ミルサローズ様の姿があった。
「ここは貸し切り露天風呂『天の湯』でしたかね? でも、名誉学院長ですから無視して入っても大丈夫ですわね。あっはっはっ!」
甲高い独特な威圧感のある笑い声、それはかつて悪役令嬢と呼ばれていた頃によく使っていたものなのだろう。人生経験の分の差だろうか、私のそれより洗練されている様な気がする。
「ラルス様の事、申し訳ございません」
「いいのですよ。うまくいかない色恋の数なんて数えたらきりがない、星の数ほど存在するのです。ラルスの想いもその中の1つになっただけの事。まあ1回ふられたくらいで諦めるつもりはないみたいですが。でも、ベルジットさんのラルスを見る目つきでまんざらでもないと思ったんですがね?」
「さすがにお見通しでしたか。ですからお断りさせて頂きました」
「どういう事だかさっぱりわかりませんわね」
「そうですよね、失礼致しました。ラルス様が好きなのは素顔を隠して悪役令嬢に徹する私でございましょう? 早々に引退して妻に収まってしまってはその楽しみを奪ってしまう事になります。卒業まで存分に楽しんで頂かないと」
「ほぉ~~。その様子ですとより楽しんでいるのはベルジットさんの方でしたか? 意中の殿方をじらして更に引き寄せる。それはなかなかに意地の悪い楽しみ方ですわね~~。我が孫はなかなかに手強い女性を見初めてしまった様で気の毒です事」
「はい。だって、私は悪役令嬢ですから!」
「ふむ、結構結構。それでこそ私の後輩、セントヘレナ学院の庭に咲く黒い薔薇である生徒会長の在り方ですわね。あっはっはっ!」
「お褒め頂きありがとうございます。おっほっほっ!」
私は卒業の日まで悪役令嬢であり続ける。それはとてもとても有意義なものとなりそうだ。ミルサローズ様とご一緒したお風呂は少々長風呂になってしまったが、胸の奥の方がじんわりと温かいのはそれだけが理由ではない。それは私とミルサローズ様の瞳に映った夜空の星達がキラキラと輝き合う一夜の出来事だった。
名誉学院長のミルサローズ様が視線を送るとその当事者はかしこまった様子で頭を垂れた。
「申し訳ありません、お祖母様」
「そこで精霊術をSランク修得しているベルジットさんに家庭教師を依頼するつもりだったのです。自分の先生となるのはどの様な人物か? 気になる事を確かめる為に学院に編入して様子を観察していた。そこまでは私も許可したところでしたが……」
(編入して観察? すると、やはりあの転入生ラルスが目の前のいるラルスと同一人物なのかしら? でも見た目があまりにも……)
「お祖母様。お言葉ですが人を好きになるのに許可が必要なのですか?」
それまで祖母に従順な態度で接していた孫、ラルスの語気が急に強いものに変わっていた。
「悪役令嬢と恐れられているベルジットさんだけどそれは全て周りの生徒達の為に敢えて自身が乗り越える壁になろうとしているだけ。観察していてそれがよくわかった時、僕はベルジットさんに惹かれていたのです」
「コホンっ! ラルス、愛を語る相手が違いませぬか。孫のその様な姿にあてられて何だか気恥ずかしくなってしまいましたよ」
ミルサローズ様はガラス瓶に入った冷たい紅茶をカップに注ぐと口に運んでいた。それほど暑くないはずなのに額には少々の汗が滲んでもいる様だった。
(もしかして、わざとミルサローズ様に向かって言ったのかしら? 私に向かって言うのが恥ずかしいから……とか?)
「お祖母様、失礼致しました。ところでベルジットさん?」
ラルスは私の方に向き直ると僅かな時間私の顔を眺めていた。何か変なものでも付いているとでも言うのだろうか。
「その顔は僕があの辛気臭くて様子のおかしな転校生ラルスと同一人物だとは思えない、そう言っているようですね?」
「そんな事は……(うっ、見透かされている)」
ラルスはおもむろに頭に手をやると髪の毛を一気に掻き乱し始めた。そして眼鏡をかけるとどうだろう、見慣れたあのラルスが姿を現した。今さっき自身でも述べた様に辛気臭くてどこかおかしな気配が漂う転入生ラルスだ。
(なんだろう? ちゃんと話すのは初めてのはずなのに、どこか聞き覚えのある様な声)
「あなたとは昨晩も会っているんです」
一瞬ラルスが目をつむって何かを念じると私の目の前に1枚の大きな布切れが現れ身体に巻き付いてきた。
(えっ!? これはお風呂の時の。あの時の人がラルスなの?)
うっかり入ってしまった混浴風呂でうっかり男子生徒に裸を見られてしまった私……。そんな時、身体を優しく覆ってくれた布がこれだ。そして、男子生徒と私の間に立ってさり気なく完全にかばってくれた人。後ろ姿しか印象のない人の全てが目の前に現れた。
「本当は僕がお祖母様の背中を流すつもりで後から混浴風呂に行ったのだけれど、奥の方からレディと話すお祖母様の声がしたものだから控えさせてもらっていたのです」
(あっ……、まさか彼にも裸を見られてしまった?)
何だかよくわからないのだけど身体の奥から湧き上がってくる様な熱いものを感じていた。それは単純に恥ずかしさからくるだけのものではない様な気がする。
(見られてないかも? どっちかしら。ううぅぅ……裸を見たか見てないのかなんて聞きづらい)
どう聞き出そうかと考えてはみるものの、少しでも遠回りに確かめる聞き方がなかなか思いつかないでいた。そうこうしている間に名誉学院長が口を開いた。
「ベルジットさん。ラルスは夫を失ったばかりの見ず知らずの老婆を見かねて背中を流してあげる優しい女性が気になる様なのです」
名誉学院長はそう言って孫の顔に目をやり目元を緩ませた。
「そうですか。ところでミルサローズ様、お風呂でお話し下さったご主人との事は本当なのですね?」
私は本当であるという前提で敢えて尋ねた。どこにでもいる気さくなお婆様然としていた昨夜のミルサローズ様のしんみした様子に何か心の奥を撫でられた気がしたのは確かだ。だからこそ、お爺さんの代わりに背中を流してあげようと思った。あの時の素直な自分に偽りはない、きっとただのお婆さんだったミルサローズ様のお話にも偽りはないのだろうと思ったのだ。
「ええ。ベルジットさん、本当にありがろう」
(思った通りだ)
「ベルジットさん。どうだろう? 家庭教師ではなく妻として僕のもとに来てくれないか」
(ふふふっ)
そう言って私を見つめるラルスは……酷い姿だった。お風呂場で感じたあの凛々しさは全く見られない。自ら言う辛気臭くておかしな転入生の格好で求婚してくるなんて思わず笑ってしまいそうな状況だ。日々緊張感の絶えない悪役令嬢として過ごす日々とは違って、安らげる場所がこの先にはあるのかもしれない。
「そうですわね。では、お断りさせて頂きますわ!」
セントヘレナ学院の強化合宿もいよいよ最終日を迎えた。来年の春には卒業する私にとって最後の合宿、それは開始早々に求婚される事故も起きてとても印象深いものとなった。いずれ思い出しては顔が緩んでしまう思い出に変わるのだろう。
「ふ~~っ! いいお湯。この温泉とも今日でお別れなのね」
普段より悪役の割合を5割増しで過ごした合宿が終わる、その解放感から思いっきり両腕を上に伸ばして身体全体も大きく後ろにしならせた。そのまま湯に浮かんで静かに目をつむる。
あまりの心地よさに夢の世界へショートトリップしていた。どれほど時が経ったのだろう。
「ほんとにいいお湯だわね~~」
(えっ!? 貸し切りのはずなのに誰? というかこの声は!)
身体を起こして声がした方に目をやると湯煙をまとった名誉学院長ミルサローズ様の姿があった。
「ここは貸し切り露天風呂『天の湯』でしたかね? でも、名誉学院長ですから無視して入っても大丈夫ですわね。あっはっはっ!」
甲高い独特な威圧感のある笑い声、それはかつて悪役令嬢と呼ばれていた頃によく使っていたものなのだろう。人生経験の分の差だろうか、私のそれより洗練されている様な気がする。
「ラルス様の事、申し訳ございません」
「いいのですよ。うまくいかない色恋の数なんて数えたらきりがない、星の数ほど存在するのです。ラルスの想いもその中の1つになっただけの事。まあ1回ふられたくらいで諦めるつもりはないみたいですが。でも、ベルジットさんのラルスを見る目つきでまんざらでもないと思ったんですがね?」
「さすがにお見通しでしたか。ですからお断りさせて頂きました」
「どういう事だかさっぱりわかりませんわね」
「そうですよね、失礼致しました。ラルス様が好きなのは素顔を隠して悪役令嬢に徹する私でございましょう? 早々に引退して妻に収まってしまってはその楽しみを奪ってしまう事になります。卒業まで存分に楽しんで頂かないと」
「ほぉ~~。その様子ですとより楽しんでいるのはベルジットさんの方でしたか? 意中の殿方をじらして更に引き寄せる。それはなかなかに意地の悪い楽しみ方ですわね~~。我が孫はなかなかに手強い女性を見初めてしまった様で気の毒です事」
「はい。だって、私は悪役令嬢ですから!」
「ふむ、結構結構。それでこそ私の後輩、セントヘレナ学院の庭に咲く黒い薔薇である生徒会長の在り方ですわね。あっはっはっ!」
「お褒め頂きありがとうございます。おっほっほっ!」
私は卒業の日まで悪役令嬢であり続ける。それはとてもとても有意義なものとなりそうだ。ミルサローズ様とご一緒したお風呂は少々長風呂になってしまったが、胸の奥の方がじんわりと温かいのはそれだけが理由ではない。それは私とミルサローズ様の瞳に映った夜空の星達がキラキラと輝き合う一夜の出来事だった。
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