社畜OL、異世界で「天使」になる ~私を拾ってくれた太陽の騎士様が、過保護で嫉妬深くて、めちゃくちゃ愛してきます~

藤森瑠璃香

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第1話 時を超えた少女

 東京の夜は、まるで星空を飲み込んだように輝いていた。
 眼下に広がる光の海を無感動に見下ろしながら、佐藤美月(さとう みつき)はモニターの青い光に目を細める。25歳、IT企業のプロジェクトマネージャー。連日の残業でくたびれたスーツに身を包み、一つに結んだ黒髪が、疲れた首筋に張り付いていた。

 時計は、とうに午前2時を回っている。広大なオフィスには、彼女の叩くキーボードの音だけが、無機質に響いていた。

「もう少し……システムの最終デバッグさえ終われば……」
 冷めきったコーヒーを一気に飲み干し、乾いた目を強くこする。完璧を求めるこの仕事で、納期は絶対だ。だが、体は悲鳴を上げていた。ぎゅう、と心臓を鷲掴みにされるような圧迫感が襲い、目の前のデジタルな世界がぐにゃりと歪む。

(状況把握、エラー発生箇所は……私自身?)

 そんな冷静な分析が頭をよぎったのを最後に、彼女の意識は、ぷつりと途絶えた。

 次に目を開けた時、そこに広がっていたのは、見慣れた無機質なオフィスではなかった。
 湿った土と、青々とした草いきれの匂い。空を覆う木々の隙間から、柔らかな陽光が木漏れ日となって降り注ぐ。どこからか聞こえる、知らない鳥のさえずり。

「……どこ、ここ?」
 混乱の中、スーツ姿のままよろめきながら立ち上がると、スカートではなくスラックスだったことに、ほんの少しだけ感謝した。ポケットを探るが、現代人の生命線であるスマートフォンも、財布も、どこにもない。

 現状分析、不能。情報、ゼロ。リスク、未計測。
 最悪のプロジェクトスタートだわ。

 自嘲気味に呟いた、その時。木々の奥から、地を這うような低いうなり声が聞こえた。
 ぞわり、と全身の肌が粟立つ。
 影の中から姿を現したのは、美月の常識を遥かに超えた生物だった。銀色の毛皮に覆われた、巨大な狼。剝き出しにされた牙の間から覗く舌、そして、獲物を捉えて爛々と輝く、二つの赤い瞳。
 脳が、理解を拒絶する。心臓が早鐘を打ち、足が恐怖に縫い付けられた。

「助けて……っ!」

 か細い悲鳴が森に響き渡った、その瞬間。
 雷鳴のような蹄の音が、猛烈な勢いで近づいてきた。

「危ない! 姫君、そこを動くな!」

 凛とした声と共に、閃光が走った。
 金色の髪をなびかせた男が、純白の馬に跨り、剣を手に魔物へと突進していた。降り注ぐ木漏れ日を浴びた彼の鎧は眩しく輝き、まるで光そのものが形を成したかのようだ。
 一閃。
 空気を切り裂いた剣が、魔物の首筋に吸い込まれる。断末魔の叫びを上げる間もなく、巨大な獣は崩れ落ち、森は再び静寂に包まれた。

 美月は、呆然とその光景を見つめていた。
 男は優雅に馬から降り立つと、長い脚でこちらへ歩み寄ってくる。185センチはあろうかという長身。日に焼けた肌と、力強い意志を宿した、真っ直ぐな青い瞳。

「無事か? 異国の姫君よ」
 彼の声は、低く、重厚だった。だが、不思議と耳に心地よく響く。

「ひ、姫……? 私は、佐藤美月……ただの、会社員で……」
 言葉を紡ごうとしたが、極度の緊張と混乱で、視界がぐらりと揺れる。倒れそうになった体を、太い腕が、しかし、驚くほど優しく支えてくれた。

「無理はするな。まずはキャメロット城へお連れしよう。そこでなら、休息が得られるはずだ」

 キャメロット。その名前に、美月の思考が一瞬、クリアになる。

(まさか、アーサー王伝説の……? そんなはずは……)

 だが、疑問を口にする前に、彼女の体はふわりと浮き上がり、馬の背に乗せられていた。彼のたくましい胸に抱かれ、その温もりに安堵したのか、美月の意識は、再び静かな闇へと落ちていった。

 次に目覚めた時、彼女は柔らかな天蓋付きのベッドの上にいた。
 部屋は重厚な石造りで、窓の外には、赤茶色の屋根が連なる、中世の街並みが広がっている。

「……タイムスリップ? そんな非科学的なことが、本当に?」
 PMとしての論理的な思考が、必死で現状を分析しようとする。だが、窓の外で聞こえる馬の蹄の音、部屋に漂う燻した革の匂い、その全てが、圧倒的な現実感をもって、彼女に語りかけていた。

 扉が静かに開き、先ほどの金髪の騎士が入ってくる。朝日に照らされた彼の髪は、まるで太陽の光を編み込んだように輝いていた。

「目覚めたか。俺はガウェイン。円卓の騎士の一人だ。君の名を聞かせてほしい」
「……佐藤、美月です」

 戸惑いながらも、はっきりと名乗る。ガウェインは、その名前を口の中で転がすように小さく呟くと、ふっと、柔らかく微笑んだ。
「異国の名だな。だが、美しい響きだ」

 彼は、ベッドのそばまで来ると、大きな手を、美月に差し伸べた。
「さあ、王がお待ちだ。キャメロットへようこそ、ミツキ」

 彼の、太陽のような笑顔と、力強い青い瞳。
 差し伸べられたその手に、なぜか、逆らえないような不思議な安心感を覚えて。
 美月は、まだ混乱する頭のまま、この世界のキーパーソンとなるであろう男の手を、そっと、握り返した。
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