寺カフェ「寂光庵」のイケメン僧侶と、抹茶ラテに隠された謎解き~僕の淹れる一杯が、あなたの心を軽くします~

藤森瑠璃香

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第4話(最終話):心の雨上がりと、未来への一杯

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 あの夜、古い書庫で兄・樹の死の真相を知り、そして柊夜さんの過去の痛みに触れてから、私の心は激しい嵐に見舞われていた。兄を死に追いやったかもしれないY氏への、どうしようもない怒り。そして、そんな相手を赦そうとさえしたかもしれない、兄の優しさへのやるせない悲しみ。二つの感情が渦巻き、私はどうすればいいのか分からずにいた。

 そんな私の葛藤を見透かすように、柊夜さんは静かに私を「寂光庵」へと招き入れてくれた。彼は何も言わず、ただいつものように美しい所作で抹茶を点て始める。その静謐な時間が、荒れ狂う私の心を少しずつ凪がせていくようだった。
 やがて、私の前にそっと差し出された一杯の抹茶ラテ。今日のラテアートは、水面に一滴の雫が落ち、そこから幾重にも波紋が広がっていく模様だった。

「憎しみは、いずれご自身の心を焼き尽くす炎となります」
 柊夜さんは、茶碗を見つめる私に、静かに語りかけた。
「お兄様が遺されたのは、憎しみの連鎖ではありますまい。むしろ、その逆だったのではないですか。彼は、誰かを罰することよりも、誰かの心に寄り添うことを選んだ。その優しさが、悲しい結果を招いてしまったのかもしれませんが…その尊い想いまで、憎しみの炎で消してしまっては、お兄様が浮かばれませぬ」
 彼の言葉は、仏の教えのように厳かで、そして、どこまでも優しかった。
 そうだ。兄はきっと、Y氏を糾弾したかったわけじゃない。ただ、過ちを認め、正しく生きてほしかっただけなのだ。その兄の想いを、私が憎しみで汚してはいけない。

「かえでさん。許すことは難しいでしょう。ですが、受け入れることはできるやもしれません。起きてしまった全ての出来事と、それによって生まれたご自身の感情の全てを、ただ、静かに受け入れるのです。その先に、きっと新しい道が見えてくるはずでございます」
 水面に広がる波紋のように、彼の言葉が私の心に染み渡っていく。憎しみも、悲しみも、怒りも、全てが今の私の一部なのだ。それら全てを抱きしめて、私は前に進まなければならない。兄が遺してくれた、優しさを胸に。
「…ありがとうございます、柊夜さん。私、もう大丈夫です」
 私は、顔を上げて微笑んだ。それは、三年ぶりに心の底から浮かべた、偽りのない笑顔だった。

 私は、Y氏を法的に追及する道を、選ばなかった。彼が今どこで何をしているのか、探すこともしなかった。ただ、兄が残してくれた真実だけを胸にしまい、彼が願ったであろう「人の心の再生」を信じることにしたのだ。それが、私が兄にしてあげられる、唯一の供養だと思ったから。
 心の重荷を下ろした私は、改めて柊夜さんに向き直った。この人がいなければ、私は永遠に過去の闇を彷徨い続けていただろう。
「柊夜さん。私、あなたに救われました。本当に、ありがとうございます」
 そして、私は続けた。胸の奥から溢れ出す、素直な気持ちを。
「柊夜さんがいたから、私は前に進めます。これからも、あなたのそばにいたいです。一人の女性として、あなたと共に、未来を歩んでいきたい」
 それは、紛れもない私の告白だった。

 柊夜さんは、驚いたように少しだけ目を見開いたが、すぐに、まるで春の陽だまりのような、柔らかな笑みを浮かべた。
「…私も、あなたという縁に救われたのですよ、かえでさん」
 彼は、私の手をそっと取り、その温かい両手で包み込んだ。
「僧侶という身の上、情熱的なお約束はできませぬ。ですが、私の心は、これからも、いつもあなたのそばにあります。あなたの魂が安らげる場所であり続けたいと、そう願っております」
 それは、彼なりの、最大限の愛の言葉だった。それだけで、十分すぎるほど、私の心は満たされた。

 季節は巡り、草加の木々が赤や黄色に色づく秋になった。
 私はフリーライターとして、新しいテーマに取り組んでいる。それは、兄の事件をきっかけに考えさせられた、「人の心の複雑さと、その中に灯る一筋の優しさ」についてのノンフィクションだ。誰かを告発するためではない。ただ、人が抱える弱さや、それでも失われない希望を、言葉にして紡いでいきたいのだ。

 仕事の合間に「寂光庵」を訪れると、柊夜さんが「おかえりなさい」と、いつもの優しい笑顔で迎えてくれる。彼が淹れてくれる抹茶ラテには、今日、美しい紅葉の葉が描かれていた。
「柊夜さん、見てください。今度の記事の構成案」
「拝見しましょう。…ふむ、素晴らしい視点ですね。ですが、もう少し、この部分の行間を読ませる工夫があっても良いやもしれません」
 私たちは、カウンター席に並んで座り、穏やかな午後を過ごす。謎解きの日々は終わり、そこには、互いを深く理解し、尊重し合う、恋人同士の静かで満ち足りた時間があった。
 過去の悲しみは、決して消えることはないだろう。でも、その傷跡さえも、私たちの絆の一部となって、これからの人生を彩っていくのだ。
 心の雨上がりに見つけた、一杯の抹茶ラテ。それが、私の人生に、こんなにも温かくて優しい光を運んできてくれた。
 私たちは、きっとこれからも、この寺カフェで、たくさんの物語を語り合い、そして、共に未来のページをめくっていくのだろう。
 その日々が、穏やかでありますようにと、私は心の中で静かに祈った。
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