偽りの正義(フェイク・ジャスティス)〜青い制服と黒いスーツの約束〜

藤森瑠璃香

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第8話:追跡、そして逮捕

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 カフェの窓越しに、田中りなは息を殺して男の動きを追っていた。
 黒いキャップの男は、ATMの画面を操作しながらも、落ち着きなく周囲に視線を走らせている。その挙動不審な様子は、自らが犯罪に加担していることを何より雄弁に物語っていた。
 やがて、機械から吐き出された分厚い紙幣の束を、男は乱暴にスポーツバッグへと押し込む。そして、もう一度だけ鋭く辺りを見回すと、早足でその場を立ち去ろうとした。

 ――今だ。

「対象、逃走! 南側のアーケード方面へ向かいます! 追います!」
 りなはイヤホンマイクに短く叫ぶと、テーブルに千円札を置いてカフェを飛び出した。佐藤巡査部長の「待て、田中! 一人で追うな!」という制止の声が聞こえたが、もうりなの耳には届いていなかった。ここで逃がすわけにはいかない。

 男は人混みをかき分けるようにして、桜川商店街のアーケードへと逃げ込んでいく。りなもその後を追った。
「どいてください! 警察です!」
 叫びながら人波を縫って走る。突然の出来事に、買い物客たちが驚いて道を開けた。

「なんや、あいつ! 万引きか!?」
「いや、りなちゃんが追ってる! 悪い奴や!」
 八百屋の山田さんが、トマトを並べる手を止めて叫んだ。魚屋のおばちゃんも、包丁を片手に店先から身を乗り出している。
「りなちゃん、がんばれー! そっちや、そっち!」
 商店街の人々の声援が、図らずもりなの背中を押す。自分の走るこの道が、守るべき人々の生活の場なのだと、改めて実感する。絶対に、こんな場所を犯罪者の逃げ道にはさせない。

 男はアーケードを抜け、入り組んだ路地裏へと逃げ込んだ。追う側の体力を奪う、常套手段だ。しかし、相手が悪かった。りなは高校時代、陸上部の中距離選手として鳴らした健脚の持ち主だ。スタミナには絶対の自信があった。
 一歩、また一歩と、確実に差が縮まっていく。男の荒い息遣いが、すぐそこに聞こえる。
 焦った男が、振り返りざまにゴミ箱を蹴り倒した。散乱するゴミ。りなはそれを軽やかなステップで飛び越える。

「もう、逃げられへんよ!」
 りなの叫び声に、男の足がもつれた。行き止まりの壁の前で、彼はついに立ち止まり、ぜえぜえと肩で息をする。
「くそっ……なんなんだよ、あんた!」
 観念したかと思いきया、男は逆上してりなに向かってこようとした。
 その瞬間、りなの身体は思考よりも先に動いていた。

 恐怖はなかった。ただ、目の前の悪を、断じて許さないという強い意志だけがあった。
 低く姿勢を沈め、渾身の力で男の腹部にショルダータックルを叩き込む。
「ぐふっ……!」
 不意を突かれた男は、無様な悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。りなは即座にその身体に馬乗りになり、腕を背中に回して関節を固める。警察学校で叩き込まれた逮捕術が、自然と身体を動かしていた。

「――警察や! 詐欺の容疑で現行犯逮捕する! 動いたらアカン!」
 息を切らしながら、りなは力の限り叫んだ。その声は、春の青空が広がる路地裏に、凜として響き渡った。

 桜川交番の小さな取調室。
 逮捕された男、田口と名乗る二十歳の青年は、あっけなく全てを白状した。
「……SNSの『高額バイト』って募集を見て……。指定された場所で金を受け取って、駅のコインロッカーに入れるだけの簡単な仕事だって……」
 彼は、ただの末端の「受け子」だった。指示役の顔も名前も知らず、全てのやり取りは暗号化されたアプリを通じて行われていた。
「まさか、こんなことになるなんて……」
 うなだれる田口に、りなは怒りよりも、やりきれない虚しさを感じていた。彼もまた、システムの闇に使い捨てられた、若き被害者の一人なのかもしれない。

 取り調べを終えた佐藤が、りなの元へやってきた。
「大手柄だな、田中。ようやった」
 その労いの言葉に、りなは「いえ……」と首を振る。
「犯人を捕まえても、ハナおばあちゃんのお金は、すぐには……」
「分かってる。だが、大きな一歩だ。お前がいなければ、この一歩すら踏み出せなかった」
 佐藤はそう言うと、ふと、鋭い目でりなを見つめた。
「それにしても、だ。昨日のあのタレコミは、正確すぎたな。ただの市民からの情報とは、到底思えん。何か、隠してることはないか?」
 その問いに、りなの心臓が小さく跳ねる。
「……隠してることなんて、ありません。ただの、偶然です」
 嘘をついている罪悪感から、りなは佐藤の目を見ることができなかった。

 その夜、りなは水島に電話をかけた。報告と、そして何より礼を言うために。
『素晴らしい活躍でしたね、田中巡査。あなたの行動力には、感服します』
 水島は、全てを知っているかのように静かに言った。
「水島さんのおかげです。本当に、ありがとうございました」
『いえ。僕は少し、きっかけを作っただけですよ。全ては、あなたの正義感と勇気が成し遂げたことです』
 その優しい声に、りなの胸が温かくなる。この人は、一体何者なのだろう。その謎めいた存在に、りなは恐怖よりも強い好奇心と、惹かれる気持ちを抑えきれなかった。

 翌日、りなはハナおばあちゃんの家を訪れ、犯人の一人を逮捕したことを報告した。
「ほんまに……? りなちゃん、ほんまにありがとう……!」
 ハナおばあちゃんは、りなの手を取って涙を流して喜んでくれた。
 商店街でも、りなは一躍ヒーローだった。「りなちゃん、大手柄やな!」「さすが、うちの商店街のお巡りさんや!」と、行く先々で声をかけられ、差し入れの野菜や惣菜で自転車のカゴがいっぱいになった。

 しかし、りなの心は晴れなかった。
 商店街の人々の笑顔が眩しいほどに、事件の根深さを思い知らされる。
 捕まったのは、巨大な組織の、トカゲの尻尾に過ぎない。本当の敵は、まだ闇の向こうで笑っている。
 その戦いが終わるまで、私の仕事は終わらない。
 りなは、商店街の温かい喧騒の中で、この街を脅かす見えない悪の根を絶つことを、心に固く誓うのだった。
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