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第21話:復讐の炎
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『この男が……僕の両親を……殺した男だ』
水島健太郎が放った言葉は、氷の刃となって田中りなの心臓に突き刺さった。
事務所の空気は凍りつき、壁一面の法律書がまるで墓石のように静まり返っている。りなは、目の前の男が誰なのか、一瞬分からなくなった。いつも冷静で、知的で、どこか飄々とした笑みを浮かべていた弁護士の姿はどこにもない。
そこにいたのは、深い絶望の淵から憎悪の炎だけを燃え上がらせる、一人の復讐者だった。
「……殺した、って……どういう、ことですか」
りなは、かろうじてそれだけを絞り出した。
水島は、モンタージュ写真から目を離さないまま、答えた。その声は、感情というものが一切抜け落ちた、無機質な響きを持っていた。
「言葉通りの意味ですよ。あの男……黒川和彦は、巧妙な投資詐欺で僕の両親から全てを奪った。会社も、家も、未来も。そして、生きる希望を失った両親は、自ら命を絶った。……奴は、この手で直接刃物を突き立てたわけじゃない。ただ、人の心をゆっくりと、確実に殺したんです」
その告白は、あまりにも壮絶で、りなはかけるべき言葉を見つけられなかった。ただ、彼の背負ってきた闇の、その途方もない重さに圧倒されるしかなかった。
「……もう、いいでしょう」
水島はふっと顔を上げ、りなを見た。しかし、その瞳はガラス玉のように冷たく、彼女の心を映してはいない。
「この件は、もう君や警察の出る幕じゃない。これは、僕個人の問題だ」
「そんな……! だって、これは、商店街のみんなを騙した詐Gami詐欺事件で……!」
「ええ。だからこそ、僕が片を付けます。僕のやり方で」
その言葉が何を意味するのか、りなは痛いほど理解できた。「法の外」で戦う、ということ。いや、もはや戦いですらない。それは、ただの復讐だ。
「田中巡査」
彼が、わざと他人行儀な呼び方をした。
「君は警察官だ。これ以上、関わるべきじゃない。……今まで、ありがとう」
それは、紛れもない、協力関係の終わりを告げる言葉だった。彼は、りなを自分の世界から、乱暴に突き放そうとしていた。
りなは、何かを言おうとして、しかし、彼の瞳に宿る暗い炎の前に、何も言えずに立ち尽くすしかなかった。
事務所を出て、どうやって交番に戻ったのか、よく覚えていない。
桜川商店街の温かい喧騒も、子供たちのはしゃぐ声も、すべてが遠い世界の出来事のように聞こえた。
頭の中は、混乱の極みにあった。
これまでの捜査は、すべて彼の復讐のためだったのか? ハナおばあちゃんや山崎さんを助けたいという自分の気持ちは、彼に利用されていただけだったのか?
そんな思いが一瞬胸をよぎる。しかし、それ以上にりなの心を支配したのは、水島に対する、どうしようもないほどの心配だった。
あの目。
全てを諦め、憎しみだけを拠り所にして生きている、孤独な獣の目。
もし、このまま彼を一人にさせてしまったら、彼はきっと壊れてしまう。黒川という男を裁いた後、彼の心には、憎しみすらも失った、空っぽの闇しか残らないだろう。
それだけは、絶対に嫌だ。
「……田中、どうした。顔色が紙みたいやぞ」
交番に戻ると、佐藤が鋭く声をかけてきた。彼は、府警本部との合同捜査会議から戻ったばかりのようだった。
「いえ、なんでも……」
「なんでもない、て顔やないやろ」
佐藤は、黒川のモンタージュ写真と、金の流れを示した資料をデスクに広げた。
「本部も、ようやく本腰を入れてくれた。この黒川和彦、全国で複数の詐欺事件に関与しとる大物や。必ず、俺たちの手で挙げるぞ」
その目は、警察官としての正義と使命感に燃えている。しかし、その正しさがりなには、今は少しだけ眩しすぎた。
その夜、りなは何度か水島に電話をかけたが、彼が出ることはなかった。翌日、事務所を訪ねてみても、ドアには固く鍵がかかっている。彼は、完全に姿を消してしまった。
胸騒ぎが、どんどん大きくなっていく。
りなは、必死に頭を働かせた。彼なら、どこへ行く? 何をする?
警察の正規の捜査網を待たず、彼はきっと、一人で黒川の懐に飛び込もうとするはずだ。
その時、りなの脳裏に、捜査資料にあった一つの住所が浮かんだ。黒川のネットワークが利用している、ダミー会社の一つが入っている、港近くの古い雑居ビル。警察が内偵を進めてはいるが、まだ強制捜査には至っていない場所だ。
りなは、佐藤に何も告げず、一人で交番を飛び出した。
夕暮れ時、潮の香りがする港湾地区。りなは、目的のビルの向かいにある倉庫の影から、息を殺してその様子を窺っていた。
――いた。
ビルの入り口を、冷たい目で見据える男。黒いフード付きのパーカーを目深にかぶり、弁護士としての面影はどこにもない。だが、その張り詰めた背中は、間違いなく水島健太郎だった。
彼は、まるで獲物を待つ肉食獣のように、静かに、しかし確かな殺気を放っていた。
このままでは、彼は取り返しのつかないことをしてしまう。
りなは、倉庫の影から飛び出した。砂利を踏む音が、静かな路地に響く。
「水島さん!」
その声に、水島がゆっくりと振り返る。彼の顔は、能面のように無表情だった。
「……何をしに来たんですか。僕は、君に言ったはずだ。もう関わるな、と」
「嫌です!」
りなは、彼の前に立ちはだかるようにして叫んだ。
「あなたがしようとしていることは、正義やない! ただの、復讐です! そんなことをしても、あなたの心は、絶対に救われない!」
りなの必死の訴えに、水島は鼻で笑った。
「救われる? 僕は、そんなものを求めていない。あいつに、僕が味わったのと同じ絶望を与える。それだけだ」
「違います!」
「黙れ!」
鋭い声が、りなの言葉を遮る。
「君のような、光の中にいる人間に、僕の闇が分かってたまるか。君は、正しい道だけを歩いていればいい。僕の邪魔をするな。足手まといになるだけだ」
足手まとい。
その冷たい言葉が、りなの胸に突き刺さる。
しかし、彼女は怯まなかった。ここで引いてしまったら、本当に彼を失ってしまう。
りなは、震える足で一歩前に出ると、彼の冷たい瞳を、まっすぐに見つめ返した。
「嫌です。私は、ここを動かへん」
その声は、震えていたが、揺るぎない決意に満ちていた。
「あなたが、一人で闇の中に行こうとするんやったら……私も、その闇の中へ、一緒に行きます!」
夕暮れの港に、二つの強い意志が激しく衝突する。
復讐の炎に身を焼く男と、その炎を消そうと必死に手を伸ばす、青い制服の警察官。
二人の長い夜は、まだ始まったばかりだった。
水島健太郎が放った言葉は、氷の刃となって田中りなの心臓に突き刺さった。
事務所の空気は凍りつき、壁一面の法律書がまるで墓石のように静まり返っている。りなは、目の前の男が誰なのか、一瞬分からなくなった。いつも冷静で、知的で、どこか飄々とした笑みを浮かべていた弁護士の姿はどこにもない。
そこにいたのは、深い絶望の淵から憎悪の炎だけを燃え上がらせる、一人の復讐者だった。
「……殺した、って……どういう、ことですか」
りなは、かろうじてそれだけを絞り出した。
水島は、モンタージュ写真から目を離さないまま、答えた。その声は、感情というものが一切抜け落ちた、無機質な響きを持っていた。
「言葉通りの意味ですよ。あの男……黒川和彦は、巧妙な投資詐欺で僕の両親から全てを奪った。会社も、家も、未来も。そして、生きる希望を失った両親は、自ら命を絶った。……奴は、この手で直接刃物を突き立てたわけじゃない。ただ、人の心をゆっくりと、確実に殺したんです」
その告白は、あまりにも壮絶で、りなはかけるべき言葉を見つけられなかった。ただ、彼の背負ってきた闇の、その途方もない重さに圧倒されるしかなかった。
「……もう、いいでしょう」
水島はふっと顔を上げ、りなを見た。しかし、その瞳はガラス玉のように冷たく、彼女の心を映してはいない。
「この件は、もう君や警察の出る幕じゃない。これは、僕個人の問題だ」
「そんな……! だって、これは、商店街のみんなを騙した詐Gami詐欺事件で……!」
「ええ。だからこそ、僕が片を付けます。僕のやり方で」
その言葉が何を意味するのか、りなは痛いほど理解できた。「法の外」で戦う、ということ。いや、もはや戦いですらない。それは、ただの復讐だ。
「田中巡査」
彼が、わざと他人行儀な呼び方をした。
「君は警察官だ。これ以上、関わるべきじゃない。……今まで、ありがとう」
それは、紛れもない、協力関係の終わりを告げる言葉だった。彼は、りなを自分の世界から、乱暴に突き放そうとしていた。
りなは、何かを言おうとして、しかし、彼の瞳に宿る暗い炎の前に、何も言えずに立ち尽くすしかなかった。
事務所を出て、どうやって交番に戻ったのか、よく覚えていない。
桜川商店街の温かい喧騒も、子供たちのはしゃぐ声も、すべてが遠い世界の出来事のように聞こえた。
頭の中は、混乱の極みにあった。
これまでの捜査は、すべて彼の復讐のためだったのか? ハナおばあちゃんや山崎さんを助けたいという自分の気持ちは、彼に利用されていただけだったのか?
そんな思いが一瞬胸をよぎる。しかし、それ以上にりなの心を支配したのは、水島に対する、どうしようもないほどの心配だった。
あの目。
全てを諦め、憎しみだけを拠り所にして生きている、孤独な獣の目。
もし、このまま彼を一人にさせてしまったら、彼はきっと壊れてしまう。黒川という男を裁いた後、彼の心には、憎しみすらも失った、空っぽの闇しか残らないだろう。
それだけは、絶対に嫌だ。
「……田中、どうした。顔色が紙みたいやぞ」
交番に戻ると、佐藤が鋭く声をかけてきた。彼は、府警本部との合同捜査会議から戻ったばかりのようだった。
「いえ、なんでも……」
「なんでもない、て顔やないやろ」
佐藤は、黒川のモンタージュ写真と、金の流れを示した資料をデスクに広げた。
「本部も、ようやく本腰を入れてくれた。この黒川和彦、全国で複数の詐欺事件に関与しとる大物や。必ず、俺たちの手で挙げるぞ」
その目は、警察官としての正義と使命感に燃えている。しかし、その正しさがりなには、今は少しだけ眩しすぎた。
その夜、りなは何度か水島に電話をかけたが、彼が出ることはなかった。翌日、事務所を訪ねてみても、ドアには固く鍵がかかっている。彼は、完全に姿を消してしまった。
胸騒ぎが、どんどん大きくなっていく。
りなは、必死に頭を働かせた。彼なら、どこへ行く? 何をする?
警察の正規の捜査網を待たず、彼はきっと、一人で黒川の懐に飛び込もうとするはずだ。
その時、りなの脳裏に、捜査資料にあった一つの住所が浮かんだ。黒川のネットワークが利用している、ダミー会社の一つが入っている、港近くの古い雑居ビル。警察が内偵を進めてはいるが、まだ強制捜査には至っていない場所だ。
りなは、佐藤に何も告げず、一人で交番を飛び出した。
夕暮れ時、潮の香りがする港湾地区。りなは、目的のビルの向かいにある倉庫の影から、息を殺してその様子を窺っていた。
――いた。
ビルの入り口を、冷たい目で見据える男。黒いフード付きのパーカーを目深にかぶり、弁護士としての面影はどこにもない。だが、その張り詰めた背中は、間違いなく水島健太郎だった。
彼は、まるで獲物を待つ肉食獣のように、静かに、しかし確かな殺気を放っていた。
このままでは、彼は取り返しのつかないことをしてしまう。
りなは、倉庫の影から飛び出した。砂利を踏む音が、静かな路地に響く。
「水島さん!」
その声に、水島がゆっくりと振り返る。彼の顔は、能面のように無表情だった。
「……何をしに来たんですか。僕は、君に言ったはずだ。もう関わるな、と」
「嫌です!」
りなは、彼の前に立ちはだかるようにして叫んだ。
「あなたがしようとしていることは、正義やない! ただの、復讐です! そんなことをしても、あなたの心は、絶対に救われない!」
りなの必死の訴えに、水島は鼻で笑った。
「救われる? 僕は、そんなものを求めていない。あいつに、僕が味わったのと同じ絶望を与える。それだけだ」
「違います!」
「黙れ!」
鋭い声が、りなの言葉を遮る。
「君のような、光の中にいる人間に、僕の闇が分かってたまるか。君は、正しい道だけを歩いていればいい。僕の邪魔をするな。足手まといになるだけだ」
足手まとい。
その冷たい言葉が、りなの胸に突き刺さる。
しかし、彼女は怯まなかった。ここで引いてしまったら、本当に彼を失ってしまう。
りなは、震える足で一歩前に出ると、彼の冷たい瞳を、まっすぐに見つめ返した。
「嫌です。私は、ここを動かへん」
その声は、震えていたが、揺るぎない決意に満ちていた。
「あなたが、一人で闇の中に行こうとするんやったら……私も、その闇の中へ、一緒に行きます!」
夕暮れの港に、二つの強い意志が激しく衝突する。
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