永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京

文字の大きさ
23 / 59
8

2

しおりを挟む

 香川は、日光街道を北に上った。すでに、幕府軍は、鴻之台に集結、一路会津を目指しているという情報を得ていた。東山道軍としては、まずは、宇都宮に入り、周辺諸藩に服従を促す。幕府軍とやり合うのは、おそらく、宇都宮だというのが香川の見立てだった。

 順調に日光街道を上っていくと、斥候からの連絡が入った。鴻之台を出立した幕府軍の中に、『誠』の緋文字が踊っていたというのだった。

 香川は、急いでその連絡を、近藤の許に走らせた。

『新撰組は、まだ生きている。この者達を率いて、当方と共に戦って欲しい』

 その伝言に対する答えを、香川は待っている。行軍途中の四月十四日に斥候を走らせ、そこから、片道、およそ二日。戻って来るのは宇都宮になるので、四日。どんなに早くても、香川の所に報せが届くのは、二十日になる。今が十八日だから、物理的には、あり得ないのだが、どうしても、近藤が共に戦いたいと言ってくるのを待っていた。

 宇都宮城から見える光景は、平穏無事なもので、未だに、幕府軍が攻め入る様子はない。街道に入った様子はないと言う報告が来ているので、もしかしたら、街道ではない所から攻めているのかも知れないし、日光を目指しているという情報通り、宇都宮を回避しているのかも知れない。

 ただし、全軍が日光を目指しているとも考えにくい。となると、宇都宮には別働隊が来る可能性がある。大鳥本隊が日光を目指すとなると……。

(秋月率いる伝習隊と、土方率いる新撰組か……)

 香川は、土方という男に興味を持った。近藤の救出活動はそこそこにして、幕府軍に合流してしまったらしいと言うのは、斥候からの情報で知った。近藤が、『俺の事は気にせずに、幕府軍に合流しろ』とでも言ったのかも知れないが、数日間は、少なくとも近藤の助命のために動いていた形跡があるので、それも妙だ。

 土方は、近藤を見捨て、自分だけ、幕府軍に収まったのだろう。そして、今まで通り、新撰組、として隊士を率いているのだろう。香川は、一橋慶喜の警護や、陸援隊所属と言うこともあり、在京の期間は十年近くに及んでいる。その間、『新撰組』の悪評は、あちこちで聞いている。とくに、土方という男は、『きちがい』と言われたのを覚えている。敵を斬って戦いの中で死ぬならいざ知らず、味方を粛正するのだ。

 今回の、近藤の件も、土方にとっては、大差ないことなのだろう。隊や自分自身にとって、不都合な人間を、次々と消していく。ただ、それだけなのだろう。

 鳥羽伏見の戦いでは、逃げようとした味方を、斬ったという話を聞いた。勿論、一人が逃げ出せば、士気に係わる。そのくらいならば、切り捨ててしまった方が良いだろう。だが、それを、実際、は別問題だ。同じ肩章を付けて戦うものを、同じ釜の飯を食ってきた仲間を、斬ることが出来るか。

 それが出来る人間だ、と思った時、香川は土方に興味を抱くと同時に恐れを抱いた。出来ることならば、関わり合いになりたくないな、とも思った。人の死に、―――味方の死に、何の感慨も抱かないものと、戦いたくはない。

 深い闇に閉ざされていく宇都宮の町を見下ろしながら、香川は、漠然とした不安感を感じた。胸騒ぎなのかも知れない。





 香川が抱いた不安感の理由がわかったのは、それから、四五刻後の事だった。

 明け方から、幕府軍が攻め入ってきたのである。どうやら、夜陰に乗じて移動し、宇都宮城を取り囲んでいたらしい。城内は、不意を突かれて、騒然となっていた。鉄砲を矢鱈目鱈に撃ち放っているが、敵も大砲二門を打ち込んでくる。狼狽した官軍は、うろたえるばかりで、香川もどう指揮をすべきか、解らなくなっていた。

 敵は、ますます勢いづき、あちこちに火の手を放ちながら、本丸へと迫る。香川は決断した。城を棄てる。ここからならば、南西方向に行った所に、壬生城がある。そこまで退いて、体勢を立て直す。その為に、香川は出来ることをやらねば、と堀の中に軍用金を投げ込んだ。幕府軍に、金を渡すわけには行かない。何とか、香川は、壬生城への逃走を始めた時、戦場に、緋色の『誠』一文字が舞っているのを見た。

(あそこが、新撰組か……)と香川は思った。弓矢銃弾、白刃の中を、馬でひた走った。走りながら、香川は『誠』の文字が気になって仕方がなかった。

 じっ、と見た。土方、と思われる男が居た。洋装断髪の男だった。刀を抜いて、何事かを叫んでいた。指揮をしているのだろう。土方の刀の指し示す方に、新撰組達が動く。血煙が上がる。聞きしもまさる、凄ましい戦い方に、香川はぞくっとした。

 香川も、動乱の京都を生き抜いた勤王志士だ。なんども、身を白刃に晒してきた。もはや死を覚悟して、郷里の常陸に遺髪を送ったこともある。だが、ここまでの死線は知らなかった。

 と、その時。土方と視線がかち合った気がした。ぞわっと、全身の毛穴が開いた様な気分になった。寒気がした。

(土方は、)と思った。宇都宮城を守っていたはずの、香川達が、逃げ出すのを見たはずだった。(来る……っ!)と思った瞬間、強烈な殺気に射られた。震えが止まらなくなった。

「大軍監殿っ! 如何なされたっ!」

 味方の声に、何とか正気を取り戻したが、土方の視線がこちらを捕らえているような、嫌な気分はまだ抜けない。香川は、声を出そうとしたが、喉が、カラカラに乾涸らびたようで、声が出ない。なんとか、唾を何度も飲み込んで、叫んだ。

「壬生城へ! 壬生城へ急げっ!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...