純情将軍は第八王子を所望します

七瀬京

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021 酒場にて



 休憩を早めに切り上げたのは正解だった。街に入るなり急な雨に降られたからだ。この季節は雨が少ないこともあり、雨を想定していなかったので、雨具の用意はない。

 なんとか手近な宿にたどり着いたときには、ずぶ濡れだった。白いシャツが濡れて肌に張り付き、肌の色を透かせているのが、目の毒だった。酒場が宿の受付になっているが、酒場で飲んでいた男たちの視線はルーウェに釘付けで、酒の入った陶製のカップが傾いて中身がこぼれているのも気付いてない有様だ。

 前髪からぽたりと雫が落ちる。それが頬に落ちて、そのまま肌を伝い、顎から離れて鎖骨に落ちた。その音もない光景を、男たちがじっと見ている。ごくり、と喉が鳴る音だけが聞えたように思えて、アーセールは男たちの視線を遮るように、ルーウェの側に立つ。

「宿を頼みたい。空いているだろうか?」

「えっ! あの……ここは、貴族の方が泊まるようなところでは……」

 恰幅の良い女将が、申し訳なさげに言う。

「承知している。寝床があればそれで良いが……なにか拭くものを借りられると助かる。俺も連れも、びしょ濡れなんだ」

「ああ、じゃあ、布をお持ちしますけど」

「代金は支払う。それと、馬二頭分の厩と、餌を借りたい」

「ああ、それならうちの裏庭に厩がありますから、お使い下さい。井戸もそこに」

「助かる」

 ルーウェが心配だったので、部屋に入ってから馬の世話をしに出掛けることにした。馬には悪いが、少し我慢して貰おう。

「私も行きます」

 ルーウェはそう言ったが、「二人で濡れる事もないでしょう」とアーセールは申し出を断った。その代わり、

「絶対に、外に出たり、誰かが訪ねて来ても開けないで下さいね」

 とは念を押した。

「子供扱い、していませんか?」

 すこし、ルーウェがむくれたのが、可愛かったが、口には出さなかった。





 宿は二階。一階の酒場に降りていくと、男たちがルーウェの話題で盛り上がっていた。

「あれ! 見たか!? あんなに美人な人間をいままで見たことはないぞ」

「大方、貴族のご令嬢かなにかじゃないか? それで隣の男は従者かなにかだろう。こういうところも手慣れている感じがする」

 姫君と従者。

 なんとも言えない気分になる評価だ。それは、釣り合いが取れていないということになるではないか。

(まあ、どこからみてもお似合いということはないか……)

 その事実にうちのめされつつ、男たちの隣を通ると、

「なあ、あんた!」

 と赤ら顔の男に声をかけられた。

「ん? なんだ?」

「あんたら、わけありかい?」

 にやにやと笑いながら、男が問う。テーブルには五名。酒はあるが、肴が寂しいようだ。このあたりの名産品の、川魚を干したのが木皿に乗っているだけだ。

「いや、別にわけありではない」

「またまた、どこかのご令嬢を、さらってきたんだろ。あんた、騎士かなんかだろ?」

 なかなか、観察しているな、とアーセールは少し感心する。まっすぐ歩く癖がついているのは軍に入っていたからだ。騎士、は王室の直属だが、似たようなものだろう。

「いまは、退役したから無職だよ。いまは、新婚旅行なんだ。悪いね。……女将さん、こちらの方々に、ビールと、なにかつまみを持ってきてくれ。今は新婚旅行で気分がいいからご馳走するよ。じゃあ」

 手をひらひらとさせて、踵を返すと、後ろからは「ご馳走になるぞ! 悪いな!」「あんな綺麗な奥さん悲しませるなよ! 悲しませたら呪ってやるからな!」という熱い檄が飛んできた。

『奥さん』という言葉には、少しだけ、苦笑してしまうが、確かに、線が細いルーウェはアーセールと一緒に居たら、女性に見えるかも知れないという体格差だ。

 もちろん、悲しませるつもりはない。二度とつらい思いもさせない。それは心に刻みつけられている。

(あなたがいままで辛くて悲しかったことなんか、全部忘れてしまうくらいに、しあわせになって欲しい)

 それはアーセールの偽らざる思いだ。





 馬の世話をしてから部屋に戻ると、ルーウェは悪戦苦闘しながら髪を拭いていたので、アーセールは手伝うことにした。

「アーセール……、ご自分が、びしょ濡れなのですから、あなたが先です」

「いや、俺は大丈夫……それより、あなたが濡れているのは……」

 髪を拭いている間、妙な沈黙が降りた。窓の外の雨音だけが聞こえているが、ガラス窓ではないので、外の様子をうかがうことは出来ない。

「……雨、明日には止むと良いですが」

「そうですね。……それと、あの黒駒は、ぬかるみが苦手なので、明日は、少し馬が難儀するかも知れません……泥が跳ねるのが苦手なんですよ」

「馬にも、そういう性格があるんですね」

「ええ。生き物ですからね。……ああ、そういえば、酒場で男たちに声を掛けられました。私達がワケアリで、駆け落ちしてきた騎士と姫君じゃないかって」

「えっ? 私が、姫君ですかっ?」

 ルーウェは納得出来ないというような顔をして、アーセールを見ている。

「私の体格は、良い方ですから……私と一緒にいたら、それは、より細く見えるのではないでしょうかね」

「それに、ワケアリ……って」

 不服そうな顔をするルーウェが、少し面白くて、つい、口が滑る。

「なので、新婚旅行と言っておきました、奥さんを幸せにしろよ、と言われてしまいましたよ」

「奥さん……」

 少しルーウェが、目を伏せる。

「……あ、済みません。新婚旅行などと、言わなければ良かったですね」

「いえ、そうじゃなくて……。私も、新婚旅行は、嬉しいのですけど」

 その先の言葉を、ルーウェが飲み込んだのがわかったし、アーセールは、飲み込んだ言葉も解っている。名ばかりではないかと。実際、夫婦らしいことは何もないではないかと。ただ、今は、それを、言わないで欲しいと、アーセールは思っている。

 ほんのわずかに残っている自制心だけで、堪えているだけで、一度でも感じてしまった肉欲を、今は否定出来ないで居る。

 ルーウェは『役割』が欲しいだけで、アーセールに対する気持ちなどないことを、アーセール自身が、感じている。だから、ルーウェの気持ちが、追いついてくるのを待っているだけなのだ。

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