上 下
1 / 38

01 『狭間』

しおりを挟む

『境目』に、ふいに現れる店がある。

 どうやってたどり着くかは、誰も知らない。

 ただ、ある日忽然と『現れる』という……。








 夕方のニュースで、桜の花が蕾を付けはじめたと言っていたのが嘘のようだった。明け方の、一番冷え込む時間帯とはいえ、吐息が白く凍るほどだ。うっかり薄いブルゾンを引っ掛けただけの軽装で出てきた美咲萌樹みさきもえぎは、ぶるっと身を震わせると肩を抱いた。

 自宅アパートまで、歩いて十分。小走りで行けば、もうすこし早く行けるかもしれない。

 萌樹は身を縮めるようにして、夜と朝の、狭間の時間を行く。

 この時間の空気は、特別に澄み切っている。冷たい空気も、清涼で良いのだが、いかんせん今日は寒すぎた。

「う~寒い。早く帰ろう」

 ひとりごちたその時、萌樹の視界の端に、黄金色の一角が飛び込んできた。

(なんだ、あれ)

 自宅へ向かう人通りの少ない道路沿い。夜の闇に黒く沈む森。その一角が、黄金色に染め上げられている。

 近づいてみると、それは、黄色い花をつけた、細い木だった。小さな花が集まって、花房を作っている。葉はなかった。それが群生して、黄金の絨毯を作っているようだった。甘い薫りがあたりに漂っている。

(見舞いには、派手かな……)

 脳裏をよぎったのは、萌樹の数少ない親友、海棠蒼のことだ。二ヶ月前に交通事故に遭って一月昏睡状態に陥り、無事で生還したと思ったら、今度は、深い眠りに落ちて、起きなくなった。それから、一月だ。

 一度、目覚めた時、蒼は、手がつけられないほどに、泣いた。昏睡状態の時、あの世とこの世の狭間の世界で、鬼に恋をしたという。その、鬼が忘れられなのだとも。

 萌樹は、その言葉を全面的に信じたわけではなかったが、それでも親友が嘘を言うはずがないとも、思っていた。

 萌樹には、どうしようもない。相手がどんな存在であろうと、失恋の痛みは、自分で乗り越えるしかないのだ。

 萌樹は、結局、花の枝を三本ほど折ることにした。珍しい花を、蒼の病室に飾ってやりたい気持ちが勝ったのだ。金色の花をつけた枝を持ち、通い慣れた道を行く途中に、三叉路が見えた。そこに鳥居があるのがわかったが、こんなところに、鳥居などあったか、わからない。

 不気味な気がして、通り過ぎようとした時、強い、花の香りを感じた。萌樹は、花には詳しくないし、香水の事もわからないが、第一印象は、百貨店の化粧品売り場、だった。さまざまな化粧品や香水が入り混じって作られる香りのように、全身が香りに包まれる。

 なにかが、おかしい。

 今日は肌寒く、まだ、桜も蕾のままだ。春の入り口。繽紛と花が咲くには、まだ遠い。

 通り過ぎてしまおうか……とも思ったが、脳裏を、病室で眠り続ける、蒼の姿が過ぎった。

 もしも。

『狭間』というのが存在するのなら。

 ここに、蒼の心を奪った『鬼』が居るのなら……。

 会ってみたい。



 生唾を飲み込んで萌樹は、鳥居の中へ足を踏み入れたのだった。









しおりを挟む

処理中です...