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28 怨霊
しおりを挟む「怨霊の定義はいろいろあるけれど、大抵、道を踏み外して、ここへ来たっていう感じ。そして、輪廻の輪の中からはじき出されたいう感じ。大抵は、何かの罪を犯している。勿論―――僕も」
にいっと雑貨屋が微笑する。凄艶な微笑に、萌樹は背筋がぶるっと震えた。
罪を、犯した。
それが、なんなのか、雑貨屋は、語らないのだろう。だが、それを、知りたいと萌樹は思った。もしも、それを犯せば、ここで暮らせるのならば―――。
「……殺したんだよ」
「えっ?」
「……殺した。恋い慕う男を殺した。火を掛けて、名誉もすべてたたき落として。あの魂が、何度輪廻の炎で浄化されたとしても、僕を忘れられないほど、恨まれるように」
雑貨屋が、視線を外した。上を見上げる。天窓から、月が見えた。楕円形の歪んだ月は、ここが、人の世界でない現実を、突きつけるようだった。
「それで」
「そう。罪を犯した。これほどの罪を犯さないとここには来られないよ。……何人巻き添えにしたのかも解らないしねぇ。でも、僕には関係のないことだったから」
自分の幸せの為に、他人を殺しても良いのか。雑貨屋はそれを、萌樹に問うているのだろう。そして、萌樹の答えは「俺には、出来ない」ということだった。
その言葉を聞いて、誰よりも安堵の表情を浮かべたのは、月白だった。
(幾ら俺だって……)
自分の幸せの為に、何十人を犠牲には出来ない。と萌樹は思う。『その程度』なのかと言われても、仕方がない。多分、一生、後悔する。
「僕は、弱かったから、この決断をした。けれど、あの男とは巡り会えない。僕には、あの男の姿が見えない呪いでも掛かってるんじゃないかと思うほどだよ」
「詳しいことは知らないし、聞かないし、多分、何も言えないけど……」
「ん?」
「……なんていうのかな。それでも、行動出来るあんたは、凄いと思う。本当は、俺だって」
その先の言葉を紡ぐことは出来なかった。
つん、と雑貨屋が、萌樹の額を突いたからだった。
「えっ?」
「君は、良い子だねぇ」
「急に、子供扱いするなよっ!」
「……でもまあ、僕はこれでも三百年くらいは生きてるからなあ。多分、君と同じくらいの年でこの姿になったけれど。……まあ、君に、ちょっとだけ、贈り物をしておいたよ。もしかしたら、嫌がらせかも知れないけどね」
ふふふ、と雑貨屋は笑う。イタズラをして居るような顔つきだった。
「贈り物と嫌がらせが一緒って、怖いでしょうが」
「どっちも、紙一重だよ」
ふふ、と雑貨屋は言ってから、「うまく、行くかどうかは解らないけどね」と独り言ちるように呟いた。
「なんなんだよ」
「まあ、あんまり気にしないことだよ。……さあ、君は、君の世界の道を踏み外さないように、ゆっくり全うしておいで。もう、ここへは来てはいけないよ」
「……でもさ、また、ちょっと逢いたいなとかは思うんだけど」
「天寿を全うしたら、ちょっと寄り道したら良いよ」
「それって、凄い、遠い未来じゃないか」
「そうそう。できるだけゆっくりおいで。……その時は、君の身の上話を聞いてあげる。今度は、お茶とお菓子でもてなしてあげるよ」
どこまで本気なのか、よく解らないが、『もう来るな』よりは、いくらか温かい言葉のように思えた。それで、とりあえずは良かった。
「……萌樹。そろそろ行こう」
月白が、手を差し出す。萌樹は、褥の中から這い出して、自分の格好の酷さに気がついた。
「着替えないと」
身につけていた服に着替えて、獏と萌樹は、雑貨屋の案内で庭を歩いていた。もう一度、褥で眠って、元の世界へ戻ろうとしていたが、
「戻るなら、ここが最速だよ」
ということで、雑貨屋に元の世界へ戻る道へ連れて行ってもらうことにした。
「道があるんだ」
「まあ、概念的には」
雑貨屋の言葉が気になったが、最後に、一度、この狭間の世界を歩くことが出来て良かった、と萌樹は思う。四季を問わずに、花々が咲き乱れ、美しい声で囀る鳥がいる。鱗粉が陽の光、月の光を煌めかせて、その間を蝶がふわりふわりと舞っていく。桜の花びらが、繽紛と雪のように、宙を舞う。甘やかな薫り。常春の楽園―――というのがあれば、こういう世界なのか。
どこか遠くで、ピィーーーーーーッ、と鋭い音が、鳴っている。悲しい声で鳴く生き物の叫びのようだった。
「あれは、竜だ」
「えっ? 竜もいるの?」
「いる。……ここから先で見えるかも知れぬが……」
鬱蒼とした藤の林を越えていくと、急に目の前が開けた。
黄金色の空が視界いっぱいに広がっている。
「気をつけろ」
言われて気がついた。足下、散歩も行けば崖になっている。
「なに、これ……崖じゃないか」
底を、のぞき込んでみようと思ったが、足が竦む。けれど、眼下に、高い山々が連なっているのが見えた。日本の山ではなく、岩で出来た山で、中国の、仙人が住むような山のようだった。
薄く、雲がかかっている。そこへ光が差し込む。光は、薄いレースのカーテンのように広がっていく。そこへ、一匹の竜の姿があった。黄金色の鱗をきらめかせながら、ゆっくりと空を泳ぐ竜。
「なんか、すごい……綺麗というか……荘厳な……」
「ここは、狭間の世界の淵だからな」
獏が、手を差し出す。その手を、萌樹は取った。
「雑貨屋、邪魔をしたな」
「……帰り道、もう一枚、君の絵が必要なの、忘れないでね」
萌樹は、はっとした。
あの獏を描いた、姿絵。アレを、隠してしまえば―――獏は、ここへ帰ることが出来ない。
萌樹は、雑貨屋の顔を見やる。
今の言葉は萌樹に対する餞別なのだろう。
いざとなれば。月白を萌樹の世界につなぎ止めることが出来るという。
そして、それを選択するのは、萌樹なのだ。
「いくぞ」
月白に声を掛けられて、はた、と萌樹は我にかえった。
そういえば、行く、と言っても、道というのは、どこにあるのだろう。萌樹の心を読んだように、月白が、さもとうぜんという顔をして言う。
「……決まっているだろう。ここだ」
そして、月白は萌樹の身体を抱き寄せ、おもむろに、宙に身を投げた。
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