ダンジョンに人が来ないと死ぬのだが、マーケティングで地道に拡販

夏木 七月

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売りやすくするためにマーケティング。その2

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 さて、ミッツは悶々とした劣情を抱えたままだが、姫には関係ない。

「こうやって、こうやったら良いんだよ。分かった? ……ねぇ聞いてる?!」
「はい。聞いてましゅ」

 聞いていない。ミッツの脳は桃色に蕩けきっていた。
 姫が喋っているのは耳に入っている。だがそれは、愛しい音として入っているだけで内容などこれっぽっちも入ってきていない。
 勿論、一生懸命ダンジョンの操作方法を教えている姫の動きに関しても“愛らしい”という感想を覚えるのみである。

「ほんとに? じゃあ、触って使ってみて」
「良いんですか?」
「うん。だって、ミッツが任せてって言ったんだよ?」
「ありがとうございます!」

 ミッツは左手を姫の頭に、右手を姫のお腹に触れ、軽く前傾に体重をかけ脇を締めて、姫を抱きしめる。

「え? え?」

 これには姫も動揺する。
 何故なら――意味がわかない。
 ミッツは一人で発情しているので、自分の中では可笑しくない流れなのだが、姫は真面目にダンジョンのことについて行動していたのだ。
 だから、何故今抱きつかれているのか理解できなくて動揺した。

「もー! 嬉しいけど今はぎゅっとしてる場合じゃないー! ほんとの本当にやばいんだよー」

 手と足をバタバタと振る。

「うぅー。もうやだー!」

 そして、ついにはわんわんと泣き出してしまった。
 それでようやっとミッツが自分の桃色世界から帰還する。
 その顔は青褪めていた。
 一体、今まで自分は何をしていたのかと。
 もう姫を泣かさないと自分に誓ったはずなのに、それも守れていない。

「申し訳ございません」

 もう何度目になるか分からない謝罪。
 しかし、何を謝まって良いのか、ミッツは混乱して纏まらない。
 謝らなくてはならないことが多すぎるような気がするが、どうやって自分を守りながら謝るか。やらかしたことが大きすぎて、その方法が出てこない。

「今すぐ仕事に取り掛かります!」

 なので、謝罪はなしにして仕事に逃げることに決めた。
 姫の説明は全く頭に入っていなかったが、一目見て理解出来る分かりやすいUI、操作も直感的なタッチパネルだったので、特に困ることなく操作は出来る。
 出来るけれども、ミッツは固まった。
 商材のことについて調べる為にヘルプ機能を確認する予定だったのだが、それよりも先に確認しなくてはならないだろうモノが目に入る。
 それは、警告を表す黄色の斜線に黒の背景のアイコン。そこに描かれたのは禍々しいまでの赤で“緊急”の二文字。
 ミッツが夕方に初めてこのダンジョンコンソールを見た時は、姫がぽちぽちと画面を切り替えていたのでトップ画面を見れていなかった。
 まずはこちらの確認からだろうと、ミッツが手を伸ばす。
 すると――

「えーっと……見ても怒らないでね」
「え?」
「ね。“良いよ”って言って」
「それは構いませんが、どうしてですか?」
「ほら、“良いよ”って言って!」
「良いよ」
「ありがと。じゃあ見て良いよ」
「は、はあ」

 この姫の焦り具合を見たミッツ、唯でさえ悪い予感しかしなかったのに、これでは救いがない。
 背中に冷たい嫌な汗を感じながら、禍々しいアイコンをタップする。

「ひ、め!」

 切り替わった画面に表示された内容を見て、余りの衝撃にミッツの声が思いっきり裏返る。

「今の言い方面白ーい。もう一回やって? ね、良いよって言って」
「良いよ。……って言ってる場合じゃないですよ、ひ、め!」
「面白ーい。良いみたい♪」

 ミッツは決して乗った訳ではなかったのだが、表示されている内容を前にして、声を上擦らせるなという方が無理であった。


――〈ダンジョン消滅まで、残り0日〉


 終わっていた。
 ミッツ的には会社のことは一旦忘れて、姫のために明日から頑張ろうと思っていたのに、始まる前に実は終わっていたのだ。
 これには流石に言葉が出ない。

「やっぱり駄目なのかな?」

 姫が不安そうな目をミッツに向ける。
 状況を理解しきれていないミッツだが『ここから一体どうしろと?』と、一瞬言葉が過ぎったが泣き出しそうになっている姫を見て言葉を吞む。

「もう消えちゃうの?」

 ミッツは唇をきつく結ぶ。
 そして、鼻から限界まで空気を吸い込む。
 これ以上肺に空気が入らなくなったところで、瞼を2度瞬き、口を軽く開き、空気を吐き出す。

「何度も言わせないで下さい。私に全て任せて下さい」
「ほんとに!」
「勿論です!!」

 例によって社畜のさがによる安請け合いの大言壮語でしかないが、消滅を目前に控えていた姫にとって、ミッツの自信溢れる言葉と態度はとてつもなく大きく映っていた。
 希望の元のミッツは、一縷の望みをかけてでかでかと『ダンジョン消滅まで、残り0日』と書かれた緊急ページを隅々まで目を通す。
 その集中力たるや、先ほど姫に発情していた同一人物とはとても思えない、まるで呼吸すら感じさせない静寂性を持ちながら、貫き通す鋭さを醸す雰囲気オーラを携えていた。
 そのぴりりと痺れるような緊張感を姫も感じ取り、声どころか僅かな音さえ立てぬよう、小さな両手で口を押さえ、身動みじろぎしないよう背筋をぴんと張る。
 ミッツは何一つ見流さぬよう、姫は聞こえるはずもないばちばちという音を立てぬよう、両者の瞬きも止まっていた。
 姫の耳に入るのは、自分のとくとくと可愛いらしい脈動と耳の音で聞こえるしーんという音。それから、ミッツがページを送る度にダンジョンコンソールから返ってくる操作音。
 そろそろ瞬きを我慢するのも限界という、長いようで実はそれほど時間が経過していない時――ミッツの動きが変わる。
 それまで下から上に繰り返し手を動かしていたが、逆に上から下にゆっくりと動かしコンソールの一点に触れた。
 そして、立て続けに画面に触れ表示を切り替える。
 姫はその変化に気付きぱっと目を輝かせたが、先ほどよりも険しくなったミッツの空気に、喉まで出てきていた歓喜の声を押し留める。

 この時ミッツは、心の中で唸っていた。
 結果から言えば、最悪を逃れ得たので僥倖だと言えたのだが、どうしてこうなっているのか姫を小一時間問い詰めたい気持ちでいっぱいだった。

[残DE 821DE
 総増加DE 0DE
 総減少DE 1411DE
 翌日維持コスト不足]

 これが現在の《黒髪姫の薔薇のお城》のダンジョンエナジーの状況だ。
 問い詰めたい問題は、減少DEにある。

[臨時消費コスト・ユニークモンスター蘇生 10DE
 常設維持コスト・ユニークモンスター 1DE
         フロア 60DE
         トラップ 1220DE
         秘宝 120DE]

「冒険者が全く来ていないのに、トラップなんて要りますか? もっと大事なものがありますよね? モンスターとか宝とか」
「いるいるー。わらわ、トラップ大好きだもん」
「……日付変更と同時に“維持コスト”は清算されるようなので、トラップを今すぐに除去すれば、凡そ1週間の猶予ができるのですが……」
「トラップ大好きなの! 要るとか要らないとか関係ないの――あっ! そうだ“良いよ”って言って」
「言えませんよ! どんなに可愛い顔したってこれは無理です。あぁ、そんな顔しないで……。これだけは言いたくは無いですけど、トラップを今すぐ除去しないと……明日は消滅ですよ」
「うぅ……分かった。わらわ我慢する」
「ありがとうございます」
「ね、一つだけ残して良い?」
「あー、えーっと……駄目です」

 姫のおねだりの波状攻撃に、ミッツは何度も首を縦に振りそうになりながらも、心を鬼にして、姫の希望を叶えたい欲望を泣く泣く諦める。

「一日も早く冒険者を安定供給して、トラップの出番を作りますからそれまでお待ちください」
「分かった」

 そう、これが精一杯。

「それまでは、私がトラップとして、姫の希望を叶えます!」
 ミッツの選択、それは――ミッツ自身がトラップになる事だ。
「……」
「……」

 なんとも、危険な状況は何も変わっていないのに全く緊張感がない。
 だが、悪くない。
 命が掛かっている訳でもないのに、胃がキリキリ引き絞られて、空気がピシピシと張り詰めていた月末よりも、今の文字通り命懸けの状況の方が心地良いとは、なんて皮肉だろうとミッツは思う。
 因みに、どうでもよい話だが、先ほどの発言は無かったことにすることが無言のうちに決まっていた。

 さて、話は逸れたがミッツは自分で行ったコミット※コミットメントを発表する意について考えていた。
 ブラックで云うコミットメントとは、掲げた目標を完遂することを誓約することだ。善処しますといったような約束ではなく、後の無い決意表明に他ならないのだ。
 ミッツは、会議の度に無茶なコミットさせられていたことを思い出し、少し吐きそうになるが、姫の為に敢えてダンジョンに冒険者を呼び込み、姫を助けるということをコミットに位置付ける。
 ミッツは、今までも与えられた商品を無理やりにでも売って来た。
 携帯電話を買いに来た人に全くもって不必要なTVやウォーターサーバーを買わせて毎月ノルマをクリアしていた訳だから、対面販売の実力は周りも評価するものだ。
 だがこの【黒髪姫の薔薇のお城】には現在ミッツ以外にモンスターが居ない。それに宝箱等の報酬もない。
 ミッツはまだ知らないのだが、冒険者がダンジョンに潜る理由――それは、ダンジョンのモンスターが人間の領域を侵さないようにするための駆除――というのが、体面上の理由だ。
 ほとんどの冒険者は経験値と宝のため。あとは討伐すべきボスがいるとかの、依頼目的がある場合の名誉や金。
 しかし、ここにはそのどれもが無い。
 それどころか、即死級の罠だけがわんさかと設置されている。
 一体どこに、好き好んで支払うコストとリターンが釣り合って居ない――釣り合わないどころか、払うコストが100%の死で得る物0という検討の余地すらないゴミ商品ダンジョンに来る冒険者が居ると言うのだろう。
 コスパが悪いにも程がある。
 確かにダンジョンに何を求めるかは、人によって違うだろう。
 目の前に山があるから山に登るような冒険野郎もいるかもしれない。
 しかしだ――トラップを掻い潜りながら再奥に着いて、そこに何もなかったら二度と来ない。
 そんな超ニッチな商品では、顧客を見つけるのは相当な困難を極めるだろう。
 そんな冒険者の都合を知らずして冒険者の目的を予測していたミッツだが、特別凄いということはない。
 人間の欲なんて、そんなものだというだけのことだ。
 ミッツは、それをなるべく丁寧な言葉で姫を傷つけないように説明した。
 それなのに、姫から返って来た言葉は「トラップいっぱいなのは、楽しいよね」だ。
 なんにも伝わってない。

 だからミッツは、姫に向かって思いっきり打ちかます。

「わ、わかったから。今度はちゃんとミッツの言う通りのダンジョンを作るから」

 流石の姫も、これには堪らなかったようだ。
 ミッツは地面に擦り付けていた額を持ち上げ、姫を見上げる。
 勢い良く土下座に移行した所為で、兜を外すのを忘れてしまっていた為、惨めさが半減以下だっただろうが姫を陥落させたので問題はない。
 本気は次に取っておくと、何故か誇らしげなミッツにプライドは無い。
 そんなモノは、過去に受けた新人研修が始まって5分で犬に食われて無くなっていたのだから。

 ともかく、姫とミッツに6日だけとはいえ時間を手に入れた。
 残ったのは何も無い3階建ての箱だけだが、いざとなれば何も無いダンジョンをなんとしてでも売りつける。ミッツはそう覚悟をして、商材の確認に挑むのであった。
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