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《重苦しい空気》
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「そうだ。いや、正確に言えば、マリオンだけが犠牲になった。生き残った子息の話では、狼どもがまだ遠くに居る内に茂みへ隠れはしたものの、臭いを嗅ぎつけられ、追われそうになったらしい。
その時、マリオンが子息に言い含めた後、自分だけ狼の前に飛び出した。囮になったんだな。履いていた、早駆けの機能を付加した靴を使って、森の方へ逃げ込んだらしい。
ただ如何に早駆けの靴とはいえ、所詮は子供の足だ。すぐに追いつかれてしまい、やがて悲壮な叫び声が辺りに響き渡ったそうだよ」
なんて立派な子供なんだろう。ネッドは感心する。ほぼ間違いなく、自分が死ぬと分かっていながら囮になるなんて。
「子息はその隙に岩場の影まで逃げ込んで、そこで恐怖に押し潰されそうになり、気を失ってしまったそうだ」
ガントの話は続く。
なるほど無理もない。まだ十かそこらの子供が、直に見たわけではないにしろ、凄惨な場面を体験してしまったんだ。しかも犠牲者は、今まで仲よく遊んでいた者ともなれば、それは尚更だろう。
「子供らが夜になっても帰らない事に、街中が大騒ぎになってな。なにせ”侯爵の子息”に万が一の事でもあれば、領主さまにとっては大失態だ。総出で探索にあたったよ。もちろん、私も参加した」
当時を思い出すように、ガントは上を向いた。
「次の朝、ようやく岩場の影で眠っている子息を見つけてな。それに加え森の入り口では、もはや幾つかの肉塊に成り果てた、憐れなマリオンの”一部”も発見された」
伯父の苦虫を噛み潰したような顔を見て、ネッドは当時の凄惨さを思い描く。
「見つかった子息は意識がもうろうとして、まるで抜け殻の様だった。当時の記憶は勿論、自分が何者なのかも満足に認識できない状態だったんだ。
よほどショックだったんだろう。いま話したいきさつも、数年たって、やっと落ち着きを取り戻した御子息が語った話を、伝え聞いたに過ぎないんだよ」
あぁ、それで。ネッドはようやく合点がいった。父が侯爵子息の相手をしたという、名誉な事を話さなかったのには、そういう理由があったのだ。本来なら自分もその場に一緒にいて、狂暴な狼どもの餌食になっていたかも知れないのだから。
いや、もしかしたら父とマリオンの二人なら、機転を利かしてどうにか助かった可能性だってある。自分が熱を出して同行できなかったがために、友人であるマリオン一人を犠牲にしてしまった。そんな自責の念から、アルベルトは侯爵子息の話そのものを封印していたのだろう。
「でも、現在はもちろんの事ですが、僕の子供の頃も、巷でそんな話は全く聞いた事がありませんよ?」
ネッドが、疑問を呈する。
「そりゃそうさ。考えてもみなさい。侯爵家の子息を危険な目に合わせた上に、数年間、茫然自失の状態にしてしまったんだ。本来ならマリオンの罪として、その親は勿論のこと、この街や領主さまでさえタダじゃ済まない事態だよ。
だけど先代の侯爵様というのが実に出来たお方でな。自分の子供が危険に遭遇した事よりも、街の子供が犠牲になったという方を重視なされて、早々に全てを不問に付されたんだ」
「だから公には、皆何も知らない事になっているわけですね」
「あぁ、僅かに一部には、細々と概要が伝わっている場合があるってだけさ。もっともそれにしたって、子息が発見時に抜け殻のようだったという事すら知らないだろうよ。
貴族の体面って奴だな。酷い目に遭ったにもかかわらず、子息は気丈に振る舞って自分の城へ帰って行ったという事になっている。事実を知っているのは、見つけた者を含めてほんの数人だけだ」
ギルマスが痛ましい歴史が語り終え、部屋は重苦しい空気に包まれた。
その時、マリオンが子息に言い含めた後、自分だけ狼の前に飛び出した。囮になったんだな。履いていた、早駆けの機能を付加した靴を使って、森の方へ逃げ込んだらしい。
ただ如何に早駆けの靴とはいえ、所詮は子供の足だ。すぐに追いつかれてしまい、やがて悲壮な叫び声が辺りに響き渡ったそうだよ」
なんて立派な子供なんだろう。ネッドは感心する。ほぼ間違いなく、自分が死ぬと分かっていながら囮になるなんて。
「子息はその隙に岩場の影まで逃げ込んで、そこで恐怖に押し潰されそうになり、気を失ってしまったそうだ」
ガントの話は続く。
なるほど無理もない。まだ十かそこらの子供が、直に見たわけではないにしろ、凄惨な場面を体験してしまったんだ。しかも犠牲者は、今まで仲よく遊んでいた者ともなれば、それは尚更だろう。
「子供らが夜になっても帰らない事に、街中が大騒ぎになってな。なにせ”侯爵の子息”に万が一の事でもあれば、領主さまにとっては大失態だ。総出で探索にあたったよ。もちろん、私も参加した」
当時を思い出すように、ガントは上を向いた。
「次の朝、ようやく岩場の影で眠っている子息を見つけてな。それに加え森の入り口では、もはや幾つかの肉塊に成り果てた、憐れなマリオンの”一部”も発見された」
伯父の苦虫を噛み潰したような顔を見て、ネッドは当時の凄惨さを思い描く。
「見つかった子息は意識がもうろうとして、まるで抜け殻の様だった。当時の記憶は勿論、自分が何者なのかも満足に認識できない状態だったんだ。
よほどショックだったんだろう。いま話したいきさつも、数年たって、やっと落ち着きを取り戻した御子息が語った話を、伝え聞いたに過ぎないんだよ」
あぁ、それで。ネッドはようやく合点がいった。父が侯爵子息の相手をしたという、名誉な事を話さなかったのには、そういう理由があったのだ。本来なら自分もその場に一緒にいて、狂暴な狼どもの餌食になっていたかも知れないのだから。
いや、もしかしたら父とマリオンの二人なら、機転を利かしてどうにか助かった可能性だってある。自分が熱を出して同行できなかったがために、友人であるマリオン一人を犠牲にしてしまった。そんな自責の念から、アルベルトは侯爵子息の話そのものを封印していたのだろう。
「でも、現在はもちろんの事ですが、僕の子供の頃も、巷でそんな話は全く聞いた事がありませんよ?」
ネッドが、疑問を呈する。
「そりゃそうさ。考えてもみなさい。侯爵家の子息を危険な目に合わせた上に、数年間、茫然自失の状態にしてしまったんだ。本来ならマリオンの罪として、その親は勿論のこと、この街や領主さまでさえタダじゃ済まない事態だよ。
だけど先代の侯爵様というのが実に出来たお方でな。自分の子供が危険に遭遇した事よりも、街の子供が犠牲になったという方を重視なされて、早々に全てを不問に付されたんだ」
「だから公には、皆何も知らない事になっているわけですね」
「あぁ、僅かに一部には、細々と概要が伝わっている場合があるってだけさ。もっともそれにしたって、子息が発見時に抜け殻のようだったという事すら知らないだろうよ。
貴族の体面って奴だな。酷い目に遭ったにもかかわらず、子息は気丈に振る舞って自分の城へ帰って行ったという事になっている。事実を知っているのは、見つけた者を含めてほんの数人だけだ」
ギルマスが痛ましい歴史が語り終え、部屋は重苦しい空気に包まれた。
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