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A氏、怪物を満喫する
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さて、自らの担当部署へと戻ったA氏。課長と一緒にオフィスヘ入った途端、ざわついていた同僚たちはピタリと話すのをやめ、顔を背けながらも目だけはA氏の方をチラチラと見始めた。予め、A氏への対応方法のレクチャーを受けていたとはいえ、何せ人類始まって以来の珍妙な案件である。それは、無理もない反応と言えた。
午前中、A氏は会社を休んでいた間の状況を記したファイルを確認する。この日の為に、会社が上手くまとめておいてくれたものだ。色々な事があったようだが、会社にとって居ても居なくても余り関係のないA氏にとっては、退屈な小説を読むのとさして変わりはなかった。
そして、午後。
「A君、ちょっと」
課長から再び声が掛かる。まだ、おっかなびっくりのようである。
「久々の出勤なのに悪いが、これから少し外回りをして来てくれないか」
課長は上目遣いに、A氏の表情を伺いながら尋ねた。もっとも、怪物の表情など分かるわけもないのだが。
あぁ、なるほどな。確かに長らく取引先には顔を出していないので、挨拶は必要だろう。それに「我が社は、政府のプロジェクトに協力しています」とのアピールもしたいと見える。
A氏は、妙に納得した。
しかし大丈夫だろうか。自分の会社ですら、これだけの気の使い様なのに、他の会社を訪問するなんて……。トラブルを恐れたA氏だが、とても意外な展開が待っていた。
「佐藤君、ちょっと。彼と一緒に行ってきてくれたまえ」
そこで佐藤という女子社員が呼ばれた。A氏は思わずドキッとする。なぜなら呼ばれた女性は、会社の中でも三本の指に入る才色兼備な美女であり、もちろんA氏にとっても憧れの人であった。いや、彼女と一緒に外回りが出来るなんて……。怪物になって良かった。本当に良かった。
その心が表情に出たかどうかは定かではないが、A氏は天にも昇る気持ちで彼女と仕事に勤しんだ。存外、取引先の反応もかなり良く、先だっての心配も杞憂に終わった。よほど、政府からのお達しが厳しいのだろう。
最後の訪問先を出て会社へ戻る途中、二人、いや一匹と一人は喫茶店で休憩を取った。
「どう? 疲れました?」
彼女が優しく微笑みかける。正に天使の笑顔であった。
「えぇ……、でも皆さん、本当に優しく対応してくれて安心しました」
座る時にシッポがちょっと邪魔ではあったが、A氏は意中の人との疑似デートを楽しんだ。今まで口さえ聞いた事がなかったのに、夢のような話である。
「当然ですよ。だってAさんは、重要な社会実験の当事者なんですもの」
A氏への、惜しみない賛美と癒しの微笑みが続く。彼女にはちょっとした噂があったのだが、それはあくまで噂であったようだ。
さて、外回りから帰って来たA氏。以前は、早く退社時間が来ないかと時計をチラチラと見てばかりの生活だったが、今はもう、残業でも何でもしたい気分である。
それでも終業の時刻がやって来て、A氏が帰り支度をしていると、
「A君、良かったら君の復帰祝いをしたいんだ。どうだい、これから」
と、山田課長から声が掛かった。
これまたA氏にとって青天の霹靂である。何故ならば、今まで飲みに誘われた事なんて一度もなかったからだ。もっともA氏の方でも、無駄なお金を使いたくないとの思いから、願ったり叶ったりではあったのだが……。
宴は居酒屋などではなく、それなりの料亭で催され、A氏は今までにない喜びと気恥ずかしさを味わった。同僚との交流が、こんなに楽しいものだったなんて……。もっと早くからそうすれば良かったと、A氏は心の底から思った。
それからしばらくは、A氏にとって夢のような日々が続いた。同僚や仕事先の人間が、全て彼の味方のように思えたのだ。もちろん、憧れの君である佐藤女史も。
調子づいたA氏は、今晩ある行動を試してみる事にした。単独での居酒屋訪問である。歓迎会以来、同僚とは料理屋などを回っていたが、彼らがA氏を取り囲み、守っているような雰囲気を醸し出しているのが気になっていた。
ここはひとつ、自分が本当に世の中に受け入れられているか試してみようじゃないか。
そんな気持ちが、ここ何週間かの反応で自信を得ていたA氏の心をくすぐったのだ。
彼は怪物になって以来、行った事のない居酒屋を実験の場に選んだ。それも思いっ切り、大衆酒場といった風情の居酒屋を。
店の入り口に立った彼は、まるで道場破りをするかのような心持ちだった。これで自分の評価がハッキリする。不安が全くないと言えばウソになるが、A氏は自信に満ち溢れていた。
小気味よい興奮を覚えながら、A氏は店の扉を開く。店員が反射的に「いらっしゃいませー」と、愛想のよい声を張り上げた。しかし……。
次の瞬間、店内は異様な緊張感に包まれた。先ほどまで満面の笑みを浮かべていた店員の顔は引きつり、八割がた席が埋まっていた店内の客が、いっせいにA氏の方を見る。
それでもA氏は勇気を出して、
「混んでるようだけど、席ある?」
と、傍にいた女性店員に声をかけた。赤く尖がった口をパクパクさせて。
「ひっ! あ、あの私……」
「あ……」
A氏は慌てて声をかけようとしたが、彼女は持っていたトレーを落とし、拾う事なく店の奥へと駆け込んで行ってしまった。周りの客がざわつき始める。
その様子を見ていた他の男性店員が、口を真一文字にしてA氏の前へ躍り出た。近づいたのでもなく、駆け寄ったのでもない。まさに”躍り出た”という感じであった。
「お客さん、困ります。困ります! 見ての通り、満席です。帰って下さい」
男性店員は、顔を真っ赤にしてがなり立てる。
「……でも、空いている席もあるようですけど」
A氏は勇気を振り絞って、男性店員に言った。
「満席だと言っているだろう!」
店員の声がいっそう大きくなり、店中の酔っ払いが二人に注目する。中には立ち上がっている者もいるようだ。
A氏が望まぬまま、一触即発の様相を呈し始めたその時、
「おい、コラ。お前、何を言ってるんだ。失礼な事を言うんじゃない!」
四十がらみの如何にも店主といった風貌の男が、A氏の前に直立していた店員を怒鳴りつけ、二人の間に割って入った。
「お客様、大変失礼致しました。店の者がとんだご無礼を……。さぁ、席はまだ空いております。どうそ、こちらへ……」
だが、一大事とばかりに駆け付けた店主の後ろにいる、顔を真っ赤にした男性店員の表情を見て、A氏は急に怖くなってしまった。
午前中、A氏は会社を休んでいた間の状況を記したファイルを確認する。この日の為に、会社が上手くまとめておいてくれたものだ。色々な事があったようだが、会社にとって居ても居なくても余り関係のないA氏にとっては、退屈な小説を読むのとさして変わりはなかった。
そして、午後。
「A君、ちょっと」
課長から再び声が掛かる。まだ、おっかなびっくりのようである。
「久々の出勤なのに悪いが、これから少し外回りをして来てくれないか」
課長は上目遣いに、A氏の表情を伺いながら尋ねた。もっとも、怪物の表情など分かるわけもないのだが。
あぁ、なるほどな。確かに長らく取引先には顔を出していないので、挨拶は必要だろう。それに「我が社は、政府のプロジェクトに協力しています」とのアピールもしたいと見える。
A氏は、妙に納得した。
しかし大丈夫だろうか。自分の会社ですら、これだけの気の使い様なのに、他の会社を訪問するなんて……。トラブルを恐れたA氏だが、とても意外な展開が待っていた。
「佐藤君、ちょっと。彼と一緒に行ってきてくれたまえ」
そこで佐藤という女子社員が呼ばれた。A氏は思わずドキッとする。なぜなら呼ばれた女性は、会社の中でも三本の指に入る才色兼備な美女であり、もちろんA氏にとっても憧れの人であった。いや、彼女と一緒に外回りが出来るなんて……。怪物になって良かった。本当に良かった。
その心が表情に出たかどうかは定かではないが、A氏は天にも昇る気持ちで彼女と仕事に勤しんだ。存外、取引先の反応もかなり良く、先だっての心配も杞憂に終わった。よほど、政府からのお達しが厳しいのだろう。
最後の訪問先を出て会社へ戻る途中、二人、いや一匹と一人は喫茶店で休憩を取った。
「どう? 疲れました?」
彼女が優しく微笑みかける。正に天使の笑顔であった。
「えぇ……、でも皆さん、本当に優しく対応してくれて安心しました」
座る時にシッポがちょっと邪魔ではあったが、A氏は意中の人との疑似デートを楽しんだ。今まで口さえ聞いた事がなかったのに、夢のような話である。
「当然ですよ。だってAさんは、重要な社会実験の当事者なんですもの」
A氏への、惜しみない賛美と癒しの微笑みが続く。彼女にはちょっとした噂があったのだが、それはあくまで噂であったようだ。
さて、外回りから帰って来たA氏。以前は、早く退社時間が来ないかと時計をチラチラと見てばかりの生活だったが、今はもう、残業でも何でもしたい気分である。
それでも終業の時刻がやって来て、A氏が帰り支度をしていると、
「A君、良かったら君の復帰祝いをしたいんだ。どうだい、これから」
と、山田課長から声が掛かった。
これまたA氏にとって青天の霹靂である。何故ならば、今まで飲みに誘われた事なんて一度もなかったからだ。もっともA氏の方でも、無駄なお金を使いたくないとの思いから、願ったり叶ったりではあったのだが……。
宴は居酒屋などではなく、それなりの料亭で催され、A氏は今までにない喜びと気恥ずかしさを味わった。同僚との交流が、こんなに楽しいものだったなんて……。もっと早くからそうすれば良かったと、A氏は心の底から思った。
それからしばらくは、A氏にとって夢のような日々が続いた。同僚や仕事先の人間が、全て彼の味方のように思えたのだ。もちろん、憧れの君である佐藤女史も。
調子づいたA氏は、今晩ある行動を試してみる事にした。単独での居酒屋訪問である。歓迎会以来、同僚とは料理屋などを回っていたが、彼らがA氏を取り囲み、守っているような雰囲気を醸し出しているのが気になっていた。
ここはひとつ、自分が本当に世の中に受け入れられているか試してみようじゃないか。
そんな気持ちが、ここ何週間かの反応で自信を得ていたA氏の心をくすぐったのだ。
彼は怪物になって以来、行った事のない居酒屋を実験の場に選んだ。それも思いっ切り、大衆酒場といった風情の居酒屋を。
店の入り口に立った彼は、まるで道場破りをするかのような心持ちだった。これで自分の評価がハッキリする。不安が全くないと言えばウソになるが、A氏は自信に満ち溢れていた。
小気味よい興奮を覚えながら、A氏は店の扉を開く。店員が反射的に「いらっしゃいませー」と、愛想のよい声を張り上げた。しかし……。
次の瞬間、店内は異様な緊張感に包まれた。先ほどまで満面の笑みを浮かべていた店員の顔は引きつり、八割がた席が埋まっていた店内の客が、いっせいにA氏の方を見る。
それでもA氏は勇気を出して、
「混んでるようだけど、席ある?」
と、傍にいた女性店員に声をかけた。赤く尖がった口をパクパクさせて。
「ひっ! あ、あの私……」
「あ……」
A氏は慌てて声をかけようとしたが、彼女は持っていたトレーを落とし、拾う事なく店の奥へと駆け込んで行ってしまった。周りの客がざわつき始める。
その様子を見ていた他の男性店員が、口を真一文字にしてA氏の前へ躍り出た。近づいたのでもなく、駆け寄ったのでもない。まさに”躍り出た”という感じであった。
「お客さん、困ります。困ります! 見ての通り、満席です。帰って下さい」
男性店員は、顔を真っ赤にしてがなり立てる。
「……でも、空いている席もあるようですけど」
A氏は勇気を振り絞って、男性店員に言った。
「満席だと言っているだろう!」
店員の声がいっそう大きくなり、店中の酔っ払いが二人に注目する。中には立ち上がっている者もいるようだ。
A氏が望まぬまま、一触即発の様相を呈し始めたその時、
「おい、コラ。お前、何を言ってるんだ。失礼な事を言うんじゃない!」
四十がらみの如何にも店主といった風貌の男が、A氏の前に直立していた店員を怒鳴りつけ、二人の間に割って入った。
「お客様、大変失礼致しました。店の者がとんだご無礼を……。さぁ、席はまだ空いております。どうそ、こちらへ……」
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