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第1章
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しおりを挟む帰省してから4日目。
私は、裕人さんの職場を探すことにした。幸子さんに、場所を尋ねようかと迷ったが、やはり気が引けた。
彩さんに、は言うまでもない。
実家は名古屋のベッドタウンにあり、名古屋駅までは車で40分ほどかかる。私は、朝の9時過ぎになってからようやく、軽バンのエンジンをかけ、実家のすぐ南を走る、県道を東に進んだ。比較的、道は空いていたが、踏切渋滞につかまった。
地元では裸祭りで有名な神社が、踏切向こうを右に折れたところにある。子供時分には、親に連れられて参詣したが、学生になってからは、自転車で毎日この道を往復する度に、お前のせいでこんなに渋滞するんだろ、と、内心でぼやいたものだ。
前の車が動き始めたが、すぐさま止まった。高架にしてほしい。
タバコに火を点けてから、間もなく、赤一色の編成車両が、目の前をトロトロと横切ると、前の車が動き始めた。私もようやく、踏切を渡ることが出来、そのまま直進。JRの高架を渡り、田園地帯を抜けると、再び渋滞につかまった。ここの渋滞は長い。一回の停車だけで信号までたどり着くことは、まず有り得ない。
このまま、東京に帰っても良いかもしれない。
誰もが隠そうとしている、裕人さんの死を知ることに対して、後ろめたさが出てきた。幸子さんに対しては、私が臆病風に吹かれただけだが、「無理」の意味が分からない。
何が、無理なのか。あの文から、何を察しろ、と言うのだろうか。それこそ無理だ。
運転席の窓の向こう、コンビニの駐車場の隙間から歩行者信号が見える。エアコンの吹出し口を塞いでいる、筒型灰皿で吸殻をもみ消した。走行中の県道と交差して、南北に高速とバイパスが走っている。左に曲がると岐阜に、右に曲がると川々を越えて、名古屋に着く。私は右にウインカーを出すと、再びブレーキを踏んだ。
コンビニから親子連れ、お父さんと少女が出てきた。二人の手には、ソフトクリームが握られている。
「夏休みか。早いものだ。」
何と比較して早いのか。
年始から数えて、半年が過ぎるのが早いのか。自分もあの少女のような年齢でいたつもりだったのに、気づいたら、あのお父さんの年齢にまで、達してしまった。
早いものだ。信号は青になったが、私は、右折の表示が出るまで、ブレーキを踏むしか無かった。
「で、どう思ってるんです?」
「暑い。」
庄田と古島は、東風区の亀群(かめむら)公園を歩いていた。
雲の切れ間から差し込む陽射しだけで、充分過ぎるぐらい暑いにも関わらず、遊具では子どもたちが、ワーキャーと楽しそうに遊んでいる。庄田が腕時計を見ると、まだ10時を回っていない。
「前から聞こうと思っていたんですけど、そのデニム、洗ってます?」
「俺が洗っとると思う?」
「汚っ。」
古島が悪態をつくと、ちょうど公園内のトイレに着いた。二人はそれぞれトイレに入って、ほとんど同時にトイレから出て来てから、また歩き始めた。
「庄田さんのデニムより全然、清潔でしたよ。」
「古島ちゃん、少しは敬ってよ。」
「尊敬する人はいますよ。その中に、庄田さんが入っていないだけです。」
駐輪場のそばに着いた。2人は中に入り、ゆっくりと歩いた。
初老の自転車整理員が一瞬、2人に怪訝な顔をしたが、庄田の顔を見ると、キャップ帽のつばを持って、小さく会釈した。整理している途中で手を離したため、整理員が持っていた自転車が横倒しになり、3,4台が音を立てて傾いた。
「大丈夫ですか。」
古島は、片手で自転車を支えながら、整理員に声をかけた。
「面目ない。」
整理員も自らが倒してしまった自転車を起こす。2人がかりで直し終わると、整理員が深々とお辞儀した。
「いやあ、すいません。本当、面目ないですわ。」
「いえ。お互いに気を付けましょう。失礼します。」
庄田は、一礼すると、再び公園内の方に歩き始めた。古島も会釈ののち、庄田の横に並んだ。
「おじいさんもエラいですね。こんな暑いなか、回るんですもんね。」
古島が後ろを振り向くと、整理員は肩を回して、再び自転車整理を始めようとしていた。
2人は、公園内の広がりに出た。
公園に直結する地下鉄の出入り口から、小さな子どもと両手を繋いだ老夫婦が出てきた。少し離れたところには、JRの出入り口がある。その高架下には、飲食店が立ち並ぶ。その広がりを左に回った。
「少し、休憩しよう。」庄田が提案した。
「この公園って、ベンチ、撤去したんじゃなかったでしたっけ?」
「―。歩くか。」
2人は、再び歩き始めた。
「古島ちゃんは、なんで外波山さんの事が、気になってるの?」
庄田の質問に対し、古島は、面食らった。
「いや、庄田さんは、おかしいと思いませんでしたか?」
「そりゃあまあ、病死だって聞かされたのに、なんで聴取があるんだ、とは思ったよ。」
「奥さんですよ。」
「奥さん?」
「お通夜の時の奥さんの顔。落ち込んでいたというより、むしろ、怒っていたような。」
「角度でそう見えたんじゃないの。はい。あっち。」
さっきとは違う公衆トイレの前に着いていた。古島は嫌々、庄田の指示に従い、二手に分かれ、トイレの中を見回った。こんな正面に近いのに、犯罪なんか誰もしないでしょ。そうぼやいてから、トイレから出た。
向こうから庄田が近づいてくる。異常なしの表情が、実に腹立たしい。
それ以上に、地域課でもないのに、公園内の見回りなんかしなきゃいけないのかが、不思議でしょうがなかった。
私は、駅の近くのコインパーキングに軽バンを停めた。時間は、ちょうど10時。フロントガラスの向こうに見える、看板の表示には「最大料金 660円」とあった。やっぱりこっちは安いな、と思いながら、私は、手帳を取り出し、昨夜のうちに書き出した印刷業らしき会社のリストのページを開いた。
3年前、つまり、裕人さんが彩さんと結婚する1年前、私は、裕人さんと名古屋で飲む約束をした。ちょうど、行政による緊急事態宣言が発令される直前ぐらいだったと記憶している。名古屋駅の新幹線口、駅西側にある銀時計の前で待ち合わせた。予約してくれていたのは、そこから歩いてすぐの居酒屋の個室だった。
彼が席に着いて、コートをハンガーにかけた時に、その下が作業着だったので、スーツじゃないんかい、と指摘した。
「別に、上着で隠れるからいいっしょ。」
「いや、今まさに、隠れてないだろ。」
居酒屋に着いて、最初の会話がそれだった。
それから、お互いに、今の仕事の愚痴やら、彼女が出来ないことやらを話した。と言っても、下戸なうえ、酒が入ると、タバコを吸いまくるせいか、一段と陰気になる私と対照的に、ビールやら、ハイボールやら、ワインやら。アルコール類をチャンポン飲みして、喋り上戸の裕人さんが話のペースを握った。
要するに、私がする短文の質問に対して、質問の内容と関係の無いことまでを裕人さんがベラベラと喋る、それが大学時代からの、飲みの席における会話のパターンだった。
仕事内容や担当業務、職場の最寄り駅、同僚に自分より若い子がいない、年上は既婚者ばかり、でも、婚活はめんどくさい。御託ばかりだった。
3時間ほど飲んだのち、名古屋駅のコンコースを歩いて、駅東側の私鉄の乗り場に向かった。
私は、妹に迎えに来て貰おうと電話したが、繋がらず、駅から実家までの、極寒地獄の30分行進を覚悟したが、「母さんが車で迎えに来てくれるから、それに乗っていけば。」という裕人さんの提案に乗っかった。
名古屋駅から、実家の最寄り駅までは、急行列車に揺られて15分ほど。その車内でも、裕人さんの御託は、留まるところを知らなかった。
私は、駅の西側のロータリーに止まっていた、幸子さんの車に乗せてもらった。
「すいません。少し遠回りになってしまうと思うんですが。」
「いいわよ、気にせんで。田部君の家って、保育園の方だっけ?」
「違うよ、母さん。小学校の方だよ。」
急に、悲しくなった。
今思えば、まともに裕人さんと会話をしたのは、あの日が最後だった。電話で結婚の報告を受けた時も、ウダウダと雑談していない。おめでとう。良かったなぁ。気づけばそれしか、言っていない。
彼にとって、私は、友人だったのだろうか。
しおりの紐を挟んでから、手帳を閉じた。
缶コーヒーを少しだけ飲んで、ドアを開けた。外気は、むせかえるほどに暑い。
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