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第1章
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しおりを挟む私は、リストにあげた印刷会社や工場などを、手当たり次第に訪ねた。
受付係や工場で働く人に名刺を渡し、スマホのフォルダに入っていた、大学のサークル活動中に撮った画像を見せながら、こちらでお世話になっていた小川の知人の者なんですが、と尋ね回った。
「本当にすみません。失礼しました。」
6件目の会社の玄関をそそくさと退いて、腕時計を見ると、11時半を過ぎていた。
ここまでのところ、全く収穫がない。さっきの受付の女性の私を見る目は、完全に不審者扱いだった。肩書のない名刺だから怪しまれるのか。文言がマズいのか。
さすがに暑すぎる。今年の夏が異常なのか、名古屋だから暑いのか、相乗効果か。
会社の敷地を出ると、道路の向こうが陽炎で揺れている。見上げると、雲一つ無い青空の左に、直視できないほどにギラめいた太陽がある。
いったん、車に戻ろうかと思ったが、フロントガラスに日よけを付けてこなかった事を思い出し、とりあえず、どこかの店に入ろうと思い立ち、スマホを取り出した。画面はズボンから染み出した汗で、びしょ濡れだった。
ハンカチでは抑えが効かず、バッグから取り出したタオルで、顔と首の汗を拭きながら、座れるようなところを探した。暑いのは勿論承知の上だったが、
「敵わん。」
今すぐにでも、浴衣に着替えて、温泉街を闊歩したい気分だったが、カッターシャツで歩くしかなかった。
2,3分ほど歩くと、大通りの交差点に出た。車道が、高速道路の高架によって、日陰になっているせいか、気休めばかりに涼しく感じる。周囲を見渡すと、さまざまな看板が目に入った。
ファミレスか、コンビニか。休息地をどちらにしようかと迷ったが、ファミレスは、車道の向こう、少し距離がありそうだ。コンビニを目指して、歩を進めた。
駐車場には、かなり車が停まっていた。乗用車は1台だけで、あとのほとんどが、社用車やら作業車が、アイドリングしたまま、停まっている。入口左側の店内に、イートインスペースが設けられているのに安堵して、コンビニの扉を押して入った。
店内は、恐ろしく冷房が効いていて、涼しい。
雑誌コーナーの前を折れて、ドリンク売り場の冷蔵庫の扉を開けて、缶コーヒーを手に取った。
左の扉が勝手に開いた。作業服姿の男がドリンクを取り出して、扉を閉めた。
私も買おう。いつまでかかるか分からないし。と思い、左にずれて、スポーツドリンクや炭酸飲料が入った冷蔵庫の扉を開けた。
ん。さっきの人の作業服。裕人さんのと、同じじゃないか?
私は扉を閉めて、左右を見渡したが、男の姿は無い。通路を移動すると、弁当売り場の前に、姿があった。
どうなんだろう。本当に同じ職場の人間なのだろうか。3年前の自分の記憶に、自信が持てない。が、今日回った6件のうちの半分は、作業服姿の人がいたが、記憶の中の裕人さんの服装とは、色味が違っていた。
でもあの人のは。
意を決めた。
「すいません。」
私が声をかけると、男は、びくっとして、弁当から目を逸らして、こっちを向いた。
「はい?」向いた顔と声は、自分より確実に年下だった。20代前半か。顔が日に焼けていない。外回りや現場仕事では無い、と踏んだ。
「驚かせてすみません。あの、つかぬ事をお聞きしたいんですが、その、職場はこのあたりですか?」
「はあ?」声に怪訝が混じった。まずいと思い、カバンの名刺入れから名刺を出す。
「私、田部と申します。あなたの同僚に小川という、私と同年代の人間が働いておりませんでしたか?」
「あ、はい。おりましたが。」
「え?」
聞いたこっちが間抜けな声をあげてしまった。本当か?
「小川、小川裕人に間違いないですか?」
「下の名前までは。あ、外にいる先輩に聞けば、分かるかも知れません。買い物だけ、先に済ませてもいいですか?」
「わ、分かりました。待ちます。」
私は、缶コーヒーだけを購入して、イートインスペースで、彼が買い物をし終わるのを待った。
「お待たせしました。」声が聞こえたので、缶コーヒーを飲み干し、空き缶をゴミ箱に捨ててから、店を出た。
店の前に停められていた一台の車に、彼は近づくと、助手席のガラスをノックした。
そこに座っていた同じ作業服の男が、しかめっ面でパワーウインドウを開けると、さっきの彼が私を指さして、その男に話し始めた。先輩の男は、より険しい顔で私を見たので、私が軽く会釈すると、ドアを開け、出てきた。
先輩の男は、私よりもだいぶ背が高かった。180はあるか。年齢は、私と同年か、少し下のように見える。
私は、コンビニのわずかな廂の下に入りながら、車の方に歩み寄った。
「すいません。」私は、深めに頭を下げた。
「なんとなくの話はマルタから聞きましたが。警察のかたでは、ありませんよね?」
極めて怪訝な目つきで、私を睨んでいる。しかし、真実を語るより無い。
「私、そちらで働いていた小川裕人の学生時代からの知人でして、その、小川が亡くなったと聞いて、なぜ小川が亡くなったのかを知りたく、職場を探していたところ、小川と同じ作業服を着てみえた、そちらのマルタさんに声をかけた、という事なんですが。」
私は、スマホに裕人さんの顔写真を出して、男に見せた。
「えっと、田部さんでしたっけ。お仕事は何を?」
「いちおう、ライターを。芸能関係のですが。」
「あ、係長が言ってました。知り合いに芸能の仕事してる人がいるって。先輩も聞いたことありますよね?」
少し離れたところから、マルタが会話に割り込んで来た。いつの間にか、手にしていたレジ袋は、社内の運転席に置かれている。
「私も、小川先輩から伺った事があります。」
先輩の男の声で、私は車内から目線を戻した。
「信用していただけたでしょうか?」
「まあ、そうですね。」
にしても暑い。駐車場に車が入ってくる。その車体に反射された日射に、目を焼かれた。視線を道路に逃すと、少し離れたところに、名古屋発祥の喫茶店の、オレンジ色の文字が見えた。
「場所を変えませんか。」私は、提案した。
「すみません。休憩が短いんで。思い出したことがあれば、ご連絡します。」
「今は無理ですか。簡潔にでも。」
「なぜ小川先輩が亡くなったかは、聞いていません。部長から最初に聞いたのは、ご家族で密葬をされるそうだから、という事でした。あまりに言い方が強かったので、その日は、それ以上何も聞かされませんでした。」
密葬。気分が滅入るのと、体中から汗が滑り落ちるのを感じた。
「それは、いつの事ですか?」
「たしか、去年の」
「去年?」
「9月下旬の火曜日だったと。前日の朝会で、部長が『なんで小川は来ないんだ。』と、無断欠勤を怒っていたので。」
私は、ナポリタンを頬張った。腹が膨れれば、それで良かった。コンビニでの別れ際に、先輩の男からは、名刺を貰っておいた。『名古屋営業所 管理部主任 松枝将大(まつえだしょうた)』とある。
スマホを取り出して、『名古屋 9月27日 事件』と入力してみたはいいものの、知りたい情報は得られなかった。スマホと名刺をポケットにしまい、タバコに火を点ける。目の前に大量の煙が漂った。
「出張かね?」
店のママさんが、私のコップをテーブルから取り上げた。
「まあ、そんなところです。」私は適当に相槌した。
「東京からかね?」
ピッチャーを持つ手は震えながらも、水は、こぼれる事なく注がれ、コップは、元の位置に置かれた。
「帰省も兼ねてですが。」
私は、会釈だけして、コップに口をつけた。
「故郷はどこかね? 市内ね?」
ママさんは、私のテーブルにピッチャーを置くと、腰を曲げたままの状態で、私の方を覗き込むようにして見た。
カウンターの方を見ると、ママさんとそっくりの顔をしたマスターが、フライパンを煽っている。私の角度から見える客は、カウンター席に1人、テーブル席3席に1人ずつで、全員、食事を口にしているようだった。
「穂川(ほがわ)市です。」
「穂川? アサミさんと一緒だがぁ。」ママさんは、語尾を訛らせて、驚いた。
「ヒデ~。アサミさんって、実家は、穂川だったな~?」
店に響く声で、ママさんはカウンターのほうを向いて、尋ねた。
「旦那さんの方だったと思うけど~。」
マスターはこっちを向くことなく、手元を動かし続け、ママさんの質問に応えた。
「アサミさんというのは?」マスターの答えを疑っている、ママさんに尋ねた。
「ああ、ここを手伝ってもらっとる子だわ。まあすぐ、帰ってくると思う。まあ、それまで、ゆっくりしとって下さい。」それだけ言うと、カウンターの方へ戻っていかれた。
私は、アサミさんが来るまで、帰ってはいけないらしい。ナポリタンが半分残っているし、食後のアイスコーヒーもまだ運んでもらっていないから、別にいいのだが。
食後のコーヒーを出すタイミングを見計らうべく、お代わりの水を注ぎ、世間話をして、食事のペースを確認する。それが、あのママさんの流儀なのだろう。
私は、タバコを叩いて、灰を落とし、だいぶ短くなってしまったのを一吸いした。
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