帰れない森

紡識かなめ

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第2章 最初の訪問

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 週末の朝、直人は車を出した。
 都市部の喧騒を離れ、目指すのは地図にすらはっきりとは載っていない場所──禁足地。
 父から譲られた土地であり、彼の中に今なおざらつく違和感を残している、あの山だ。

 頼れるのは、父が残した手書きの地図だけ。
 道は一本しかなく、途中で舗装も途切れる。
 細い林道は落石と雑草に覆われ、車体が枝をこする音が続いた。

 山道は、ここを通る者だけの道だ。
 バスもなければ駅も遠く、歩いて登るには片道数時間はかかる。
 つまり、車を持たぬ者は決してここには来られない。

 途中で車を停め、地図の目印に従って山中を進む。
 木々が鬱蒼と生い茂り、足元には落ち葉が積もっていた。
 しばらく歩くと、木立の奥にそれは見えた。

 小さな、そして一見すれば完全な廃屋。
 板壁は黒ずみ、屋根は苔むし、扉は軋みを上げる。
 鍵もかかっておらず、誰が見ても「放置された山小屋」だった。

 だが直人は知っていた。
 本当の入口はそこから先にあるのだ、と。

 室内は暗く、埃の匂いが鼻にまとわりつく。
 軋む床板を踏みしめながら、小屋の隅──木製の棚の背面をそっと押す。
 カタン、と音がして、棚がわずかにずれた。
 その裏に、小さな木箱が埋め込まれている。
 手元の鍵束から、先の尖った細い鍵を選び、鍵穴に差し込む。

 カチリ。

 開いた箱の中には、金属のフックが仕込まれていた。
 それを引くと、床板の一部がわずかに浮く。

 直人はしゃがみ込み、その板を両手で持ち上げる。
 きしんだ音とともに現れたのは──黒光りする鉄製の扉。

 無骨で、冷たい。
 古いわりに、しっかりと整備されている。
 鍵束の中でもっとも重い鍵を差し込むと、ゆっくりと扉が開いた。

 地下へと続く、暗く湿った鉄梯子。
 懐中電灯の光を頼りに、慎重に降りていく。
 足元にはしっとりとした湿気が絡み、空気はひどく重い。

 地上の音が完全に遮断され、息を呑むと、自分の鼓動だけが聞こえた。

   *

 地下空間は、想像よりも整っていた。
 壁は石積みで補強され、最低限の棚や収納が整っている。
 埃はあるが、荒れてはいない。
 誰かが、最近まで使っていた形跡が残っていた。

 布をかぶせられた木箱を開けると、そこにはいくつかの“道具”が収められていた。

 結束用の帯、古びた縄。
 金属製の何か──刃物か、押さえ具か。
 用途を明確には書いていないが、それぞれが何のためにあるかは直感で理解できた。

 棚には薄い手帳の束が並んでいる。
 開くと、手書きの文字で「記録」とだけ書かれていた。
 誰を、いつ、どのように──
 それ以上読む前に、直人は閉じた。

 まだ準備段階だ。
 今日は、地形と設備の確認。それだけだ。

 彼は鉄扉を閉め、鍵をかけ、床板を戻し、棚を元に戻す。
 小屋の扉をゆっくり開けると、森の影が濃くなっていた。

   *

 山道を下る途中、直人は前方に人影を見つけた。
 若者──三人。男二人、女一人。
 彼らは登ってきた道を歩きながら、スマートフォンを覗き込み、笑い声を上げていた。

 「すみませーん、ここって…」

 女の子が声をかけかけた瞬間、直人はすれ違いざま、完全に無視して歩き去った。
 顔を見ず、声も発さず、気配すら残さないように。

 若者たちが「あれ…?」と戸惑ったような声を漏らすのを背に、直人は静かに山を後にした。

 彼らの足音が、いつまでも耳に残っていた。
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