【ハルピュイアの鎮魂】―禁忌を超えて、魂に、触れる。― ディストピアSFホラー×異形吸血鬼譚×異種族恋愛BL

静谷悠

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中学生編

二十二(2023.初夏)

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 最初は、空耳だと思った。
 
 キチキチ……、かすかす……、というような、はかない呼吸音のようなものが、死臭を発する遺体の山の方から響いてくるのだ。
 
 どこからか、夜光虫が集まり、あそこに一群れ、こちらに一群れと漂っている。よく見ると、地面にこぼれた血液や、死骸の目に集まっているのだ。
 
 その、青白い微かな光が、無残な光景を僅かに浮かび上げている……
 
 樹が、顔を上げて囁いた。
「おと、する。いきてるよ……だれか」
 
 彼は緩んだ翼を押しのけて歩み出た。今度は晶も止めなかった。翼化を解き、樹の後に続く。夜気がむき出しの腕に冷たい。
 かす、かす、という音は、手前の穢狗の身体から聞こえてくるようだ。それは、小柄な年取った男の穢狗で、着ている古い作務衣のような着衣は、乾いた血液でくろぐろとこわばっていた。

「じじ!」

 ぱっと駆け寄った樹は、身体を揺さぶった。「じじ、じじ!」
 そのがっしりした顎の形には、晶も見覚えがあった……
 投げ出された腕はぴくりともしない。しかし、固いものを擦り合わせるような音は、紛れもなくその身体から響いてくる。そう……その、腹のあたりから。
 何かがおかしい……
 ざわざわと違和感が胸の中に蠢く。

「樹」

 少年は、跪き、祖父の顔に耳を寄せて呼吸を確かめようとしていた。
 その、薄青い輪郭が、もこり、と蠢いた……気がした。
 
「樹……離れろ」
 声が、震えた。「いつき」
 
「えっ」
 樹が顔を上げたとき、作務衣が腹からばさりと裏返った。垂直に持ち上がる巨大な影、それが禍々しく樹の真上に落ちかかる。晶は跳んだ。樹の身体を引き倒す。ザクッ、と音を立てて、それは樹のいた地面に突き刺さった。
 
 (尾……、)
 
 老いた男の顔貌を歪めている腫瘍が、皮膚の下でもたり、もたりと動いている。移動している。他のものと溶け合い、膨らんでいく。
「あっ……あ……」
 腫瘍それ自体の大きさも膨張していた。男の身体は大きく膨れ上がり、人間とは思えない形となり、男の皮膚は引かれて伸びた。古い作務衣の脇が破れ、弾けた。
 晶が樹の眼を覆ったとき、皮膚が裂けた。中から硬い甲殻がぬるりと現れる。それは、前肢を使って男の残骸を引き寄せると、食べはじめた。
 
 (や……夜蟲……)
 
 気づけば、そこら中から音がしていた。
 キチキチ……、キシキシ……、ギシギシ……包み込むように立ち上がる音の中で、そこここで何かが蠢いている。遺骸の山が、むくりと動いた。それも、何度も。
 手の中で、樹の目が濡れ、肩がしゃくりあげた。

「あきら、あきらぁ……」

 ものも言わず、晶は彼の手を引いた。
 逃げなければ。隠れなければならない。
 防災壕……それか、対災害三度以上の……
 小さい頃から何度も何度も聞いてきた防災警報のフレーズが耳に蘇る。
 翼化して逃げるべきか……しかし、夜蟲の多くは空を飛べる。樹が背に乗っていては戦えない。まして、樹は動揺し、背に掴まれるかも危ぶまれた。晶は彼を引きずるように、平屋の一つに靴のまま踏み込んだ。窓が割れて畳に散り、縁側がべっとりと濡れている。住人は、既にあの遺骸の山のうちにいるに違いない。
 ガラスの破片を避け、次の間に入り込んだ。そこは粗末な台所で、床には火床が切られ、埋み火がぼんやりとあたりを照らしていた。鍋には水が張られ、湯がいたフキが漬けられている。古布を綴ったような座布団の上に、樹を座らせた。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
 樹の身体は、がくがくと震えていた。その背に両腕を回し、晶は彼を抱き締めた。
 
 (夜蟲は――ねのたみの、死骸から生まれるのか……?)

「しんだら、そのひにおくる」
 樹が、腕の中で泣きながら呟いた。「……ばばのとき、いった。じじが。よるはだめだ。よるしぬと、おくれない。ひる、おくらないと」
 耳元で唇が震え、声が吐き出された。「むしになる」
「樹……」
「おれ、おくれなかった。やくそく、したのに。じじ、おくる、いったのに……」
 温かな涙がぼたぼたと手に零れた。激しいすすり泣きが樹の喉から漏れ、晶はその背を撫でた。 
 薄い壁の外で、パキッと小枝が拉がれた。下生えの上を何者かがごそごそと移動していく……長い胴体と、何本もの脚がある、何か……
 樹の背を抱く手に力を込める。樹は、嗚咽を飲み込もうとした。自ら手を口に当て、泣き声を押し殺そうとする。肩がひくつき、喉から細くうめき声が漏れた。
 その耳元に、晶は囁いた。
 
 (樹……俺がいるよ)
 
 ひくっ、と息が吐き出される。
 
 (おまじないをしよう……悲しいとき、怖いとき……誰かが死んでしまったときのおまじない)

「あ……」

 温かな涙が零れ、晶の肩に染み込んだ。

 (とねりこの)
「と……とねりこの」
 (あめたかきえだ)
「あめたかき……えだ……」
 (くれつちに、おおわれたねの)
「くれつちにおおわれたねの……」
 (いずみはうんめい)
「いずみは、うんめい」
 
 樹は呟き、濡れた顔を晶の首に埋めた。口の中で、繰り返し繰り返し呟く。
 それはかつて樹が晶に教えた魔法の言葉であり、晶を密室の洗脳から救った呪文でもあった。
 
 夜蟲が這いずり回る夜の底で、樹は晶の体温にすがり、その言葉を繰り返しながら、ひたすらに時間が経つのを待った。



  
 (紫穂のメモ 五 2026.5)
 
 【未解明の事例についての考察】
 ①穢狗と腫瘍性疾患、変化と夜蟲
 筑波生体研究所のガイドAl・エリンの情報より、日本本土(そしておそらく世界全体)に繁栄し【世界大戦】以前=【失われた千年】の文明を構築した人類は、受血を必要とせず変化へんげもできないことから、穢狗もしくはねのたみの前身と考えられる(暫定的にこれを旧人類と呼ぶ)。この旧人類が腫瘍性疾患に罹患し、骨格や顔貌を歪められたもの――これが、現在のねのたみと考えるのが妥当である。 
 この腫瘍性の細胞塊は、宿主であるねのたみが生存している間は、境界悪性細胞として緩やかな転移・増殖を繰り返すに過ぎないが、宿主が死亡して一定の時間が経過すると、体内で急激に増殖・融合して種々の生物の形を取る。これが一般に夜蟲と呼ばれるものであることを、友人Aが2023年に目撃している。――この現象は、どうやら死亡した宿主の思念に影響されるようで、県南地区ではサソリやムカデ、昆虫類などの節足動物が多いが、県北から東北地方では蛞蝓やミミズなどの軟体・環状生物の姿が多いなど地域の傾向がある。
 
 ※暫定的考察※
 夜蟲化は、おそらく、在来人が強力なイメージと意思の力で形質転換を起こし変化へんげするのと同じメカニズムと推測できる。意識によりコントロールされた形質転換が在来人の変化へんげであり、死亡によりコントロールできなくなった形質転換がねのたみの夜蟲化なのだろう。……
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