【ハルピュイアの鎮魂】―禁忌を超えて、魂に、触れる。― ディストピアSFホラー×異形吸血鬼譚×異種族恋愛BL

静谷悠

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高校生編

六(2026、冬)

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 鬼が不意に手を離し、母の身体は濡れた床にくずおれた。
 鬼は、吠えるような、かなしみに満ちた声を発した。それは鬼が走るにつれて、長く尾を引きながら廊下を遠ざかって行った。

 紫穂が自ら傷つけた手を、母の口に充てがった。
「飲んでください。早く、逃げなくては」
 母は、従順にそれを舐め取りながら、ようやく我に返った顔になった。「あ、ありがとう、紫穂ちゃん――あきらに、晶にやってくれる? 晶が――怪我を――」
「水埜さん、晶くんは」
 紫穂はためらった。
「……わたしでは、受血できないんです」
「え? ――どういうこと?」
 晶の顔を覗き込んでくる母の顔は青ざめていた。「脳震盪かしら……ひょっとしたら、頭蓋内に損傷があるかも……」彼女は自分の指を噛み切り、晶の口に押し込んだ。
 鉄錆の臭いと苦味が広がり、晶は咳き込んだ。えずきが抑えられない。身を震わすうち、唾液と血液が口の端を垂れ、顎に伝った。浅い呼吸を繰り返す彼の口元を、紫穂がハンカチで拭った。
「ど……どうして?! 小さいころから、何度もしてきたことなのに……?」
「水埜さん」
 紫穂は、母を見つめた。
「晶くんは、コンパティビリタス・アシュエラの片割れです。アシュエラ合致が進んだ今、互いの血液しか、もう受け容れられない」

 母は、目を見開いた……
「コンパティビリタス・アシュエラ……」

 そうだ、もう、自分は……あいつしか、樹しか、受け容れられないのだ……
 暗闇に落ちていく意識の中で、晶は彼の半身を想った。
 
 泣いている……ないている?

 樹が、泣いている。
 (なんで……)
 その、温かな火は遠くちらちらと光り、頼りなく揺れた。
 悲しんでいる。……
 晶が手を伸ばそうとしたとき、その火は、不意に遠ざかり、温度を失った。
 
 (どうして?)
 
 悲しんでいるなら、慰めたいのに……
 抱きしめて、ぬくもりを分け与えたいのに……

 そのとき、初めて、晶は(こばまれた)と感じた。

 (なんで……?)

 意識が冷たい闇に沈んでいく……

 そのとき、母が言った。
「ありがとう……紫穂ちゃん。
 全部、――思い出したわ」

 *

 見慣れない白い天井が、紅く染まっている。窓に映る燃えるような夕焼けが、黄金と緋色、そして薄紫にレースのカーテンを透かしていた。

 (あぶない)
 
 不意に、焦燥に胸を掴まれて、晶は身を起こした。彼が横になっているのは、人間用とは思えない狭いストレッチャーの上だった。
「危ない! 急に起きないで」
 紫穂がその肩を支えた。実際、晶は危うく、不安定な移動用ベッドから転げ落ちるところだった。
「ここは……?」
「良かった、目が覚めたのね」
 答えたのは母だった。
「研究所の最上階。少なくとも、今は安全だと思うわ……」
 彼女は疲れた顔をしていた。わずかの間に何年も年取ったようだった。
「警察に電話が繋がらないの。薫さんにも」
「さっき、崇くんからラインが来てた」
 紫穂はスマホの画面を見せた。
『町がひどいことになっている。化け物……黒い大きな人間のような、ネットではオニと呼ばれてるみたいだけど、ともかくそれが群れで暴れてる。自衛隊が出動してる。稲敷は安全じゃない。隠れてた方がいい』
 添付の写真には、炎上するガソリンスタンドや、民家の割れた窓が写っていた。晶の通学路にある、見知ったコンビニが写り込んでいる……
 見ているうちに通知が追加された。
『そっちに、樹が行ってる? いきなり駆け出して追いつけなかった。晶を探しに行ったんじゃない?』

 震えながら、晶はストレッチャーから床に下りた。足がふらつき、彼はぐらつくストレッチャーにしがみついた。
「まだ駄目よ! 受血もできないのに」
「行かなきゃ」
「晶?!」
「行かなきゃいけないんだ」
 制止を振り払い、彼は窓に寄った。それは、確信だった。
 
 (樹が、危険な目にあっている……)

 冷たく固い錠を開け、大きく開くと、凍るような十二月の風が吹き込んだ。未だ着ていた白衣と上着を脱ぐ。翼化するときには邪魔だ。
「樹くんの――ところにいくの?」
「そう」
「じゃあせめて、これを持っていって!」
 紫穂は、晶のスマホを突きつけた。
「今、起こっているのは異常事態よ。情報がなくては生き残れない。特に、さっきの、……オニ」
 彼女の声は恐怖に掠れた。
「彼らの情報があるとすれば、それはここ、この研究所よ。今、水埜さんと極秘データベースへのアクセスを試みているの。通話にしておいて。できる限りのことを伝えるから。もちろん、音を出したくないときにはそっちで切るのよ」
「……わかった」
「戻ってきてね」
 紫穂の目を見返しながら、晶はスマホを通話状態にすると、ズボンのポケットに突っ込み、ファスナーを閉めた。飛翔するときいつもやるように、上着を腰に巻きつける。
 いつか、樹を迎えに行ったとき――そして、隼太を墜落から救った時のように、晶は人型のまま窓枠を蹴り、空中で翼化した。後方で、母が息を飲むのが分かった。夕焼け空に広げられた翼は、規定をはるか超えて大きく、白と七色に輝いた。今や彼にとって、人型でいることよりも、翼を出していることの方が自然で、容易いことだった。
 記憶を取り戻した母は、どんなことを思ったのだろう……という思いが微かに晶の脳裏を過ったが、それは忽ち流れ去り、晶の意識はただ一つの方向に向いた。
 闇の中の火……
 温かく燃えているその所在が、手に取るように分かる……
 
 (樹、いま行く)
 
 身を切るような北風を裂いて彼は、東へ東へ飛んだ。しかし、寒さは感じなかった。遠く、樹の火を思うだけで身体は隅々まで温められていた。飛ぶうちに、眼下に見えるひと気のない国道は、市街地に流れ込んだ。
 車も人もいない。
 夕闇が迫るというのに、町は暗かった。
 スマホからは、紫穂と母の会話が聞こえている。
 
『……あれが、アシュエラの羽根?』
『わたしも、見たのは初めてなんです。晶くんは、人前で翼化しないようにしてるから……』
『あんなに、飛ぶのが好きな子だったのにね』
 母の声は、僅かに掠れた。『……どうして飛翔部をやめたのか、ずっと不思議だったのよ』
 
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