【ハルピュイアの鎮魂】―禁忌を超えて、魂に、触れる。― ディストピアSFホラー×異形吸血鬼譚×異種族恋愛BL

静谷悠

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高校生編

七(2026、冬)

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『大事なことを、全部、忘れてしまっていたのね……あの子が教えてくれたのに。穢狗は――ねのたみは、人間なのだと』

 母は、座ってキーボードを叩き始めたようだった。 
『あの時も、この部屋だったわ……ねのたみと在来人との受血でどんなことが起こり得るのか、該当する報告を調べるつもりだった。既に起こってしまったこととはいえ、対処があるのか……まして、晶は、あの子と受血を続けたいと思っているようだったし』
『樹くんですね』
『ええ……』
 彼女はふっと笑ったようだった。『まさかそのときは、恋人にするとは思っていなかったけど。初対面じゃないと思ったのも当然よね、一週間くらいは一緒に暮らしていたんだもの』
 紫穂の声が、震えた。
『……さっきの穢狗たちに起こったことは、樹くんが受血をしたときの反応に似ていた。腫瘍が消えて、より……人間らしくなる。でも、――あれは』

『これよ』
 椅子の軋む音がして、母が紫穂に場所を譲ったのが分かった。
『晶に読んであげてくれる?』

 紫穂は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
『在来人―穢狗間での受血についての知見。レビュー、牧村ら、一九五八年、The Mudogs.二十号。
 多くの先行研究によると、穢狗が在来人から受血したときに起こる変化は、以下の三種類である。
 一、拒絶反応。移植片対宿主病(GVHD)が急激に生じ、発症すると四十八時間以内に九十パーセント以上が死亡する。
 二、コンパティビリタス・アシュエラ。一が生じなかった際に起こる特殊な状態。穢狗、在来人双方にHLA表現型の書き換えが起こり、お互いの受血を生存に必要とする状態になる。詳細は別書に譲るが、穢狗・在来人ともに生理的に著明な変化が起こる。Wattらによると、一となるか二となるかは、他の多くの細胞活動と同様、供血する在来人と受血する穢狗の「意志」の影響を強く受ける。すなわち、与えたい/受け容れたい意志が双方に存在した場合、程度により二に移行する確率が高くなる。一方で、この関係が崩れた場合、一度成立したアシュエラ結合であっても、拒絶反応に移行する例が知られている――』
 
 紫穂は小さく息を継いだ。

『そして、三つめが、鬼人化(Ogarization)である。この名称は、ヨーロッパ民話に登場する人食い鬼(Ogre)にちなんで、発見者であるFiniganが名付けた。
 これは、いわゆるほつれ(Deviant)となった在来人から受血した穢狗に起こる現象である。鬼人の特徴は以下の通りである。鉄灰色の肌、額の中央の突起、黒色強膜と赤色瞳孔。身長二~二・五メートル、体重一〇〇~一五〇キログラム。並外れた身体能力を有し、Finiganは一〇メートル以上垂直に跳躍する個体を目撃している。知能は在来人と同等か、やや劣る。多くは攻撃的であり、発生すると対処に難渋しうる。人間と同様の急所への攻撃または大量失血により無力化は可能だが、さらに困難なのは――』

 遠くで断続的に、自動小銃の発砲音がしている。爆発音とともに木が倒れた。小鳥の群れが羽ばたきながら散った。
 戦闘が行われている――自衛隊だろうか。

『困難なのは、彼らの死後に生じる夜蟲化(Nightwormization)である。通常の穢狗の死骸の夜蟲化は、死後五~八時間後の夜間に生じるにもかかわらず、鬼人化した個体の夜蟲化は、死亡後数秒から数十秒で完了する。この特殊な夜蟲は、暗色の個体が多く、ほとんどの物理的な攻撃を受け付けない。この特殊な夜蟲を、Finiganは端的にNightmareと名付けた』

 ナイトメア――

 悪夢。

 (くるな)

 急に、明瞭な言葉が耳元に囁かれ、一瞬晶は混乱した。
 (くるな、あきら!)
 樹の声はその場で聞いたかのように明らかだった。実際、すぐそこに、彼はいた。いつも触れていたいと願っている、温かな火、彼の半身――
 町外れの、夕暮れどきの公園だった。
「樹――」
 声を上げかけて、晶はそれを飲み込んだ。
 遊具だと思っていた影が、ぐらりと動いた――
  
 夜蟲。

 県南地区でよく見るように、それは節足動物の姿をしていた。巨大な蜘蛛だ。しかし、異常なのはその色だった――それは、影そのもののように黒かった。
 そのあぎとの下に見慣れた姿を見たとき、晶は反射的に自らの翼を刃翼に変え、蜘蛛の腹部を目掛けて突っ込んでいた。
 
 衝撃――
 あたかも鉄を殴ったかのような反動に、晶は跳ね飛ばされていた。
 
 背を土に叩きつけられ、呼吸が止まる。激痛が両の翼に走り、晶は叫んでいた。
 虹色の翼は無残に折れていた。蜘蛛は彼に向かって牙をむき出した。潮のように覆いかぶさってくる影――
 が、樹がそこに突っ込んでいた。牙を背で受け止めながら晶をかばい、樹は顔をゆがめながら彼を覗き込んだ。
 
「のめ、あきら……」
 
 このような状況でありながら、あれほど求めていたためだろうか、樹の口は目眩がするほど甘かった。苦痛に喘ぎながら、樹は晶の歯で舌先を傷つけ、血を飲ませようとした。晶もまた同じことをし、《悪夢》の腹の下でつかの間二人はお互いの血に酔った。
「く……うぁっ」
 血管に沿って光が走り、晶の翼は虹色に輝き渡りながら癒され、広がった。「樹……つかまれ」
 蜘蛛の脚が振り上げられた、その一瞬の隙に、晶は地を蹴った。腹の下から滑り出し、暗い空に向かって飛び立つ。跳躍した樹が背にしがみついて来たが、風をつかんだ翼はその体重を支え、昇り始めた満月に向かって舞い上がった。
 
「あいつ……飛んで追ってくるかな」
「きっとおそい。あきらははやい」
 樹は言い、ぎゅっと晶の首に抱きついた。
「おい、馬鹿、苦しいって」
「あきら、きてくれた……」
「来るなって言ったくせに、おまえ」
「だって、あきらがあぶないの、こわい」
 彼は囁き、耳の裏に口づけた。
「でも、うれしい……」
「なんだ」晶は飛びながら微笑んだ。「じゃ、俺がおまえに、来るなっていうときの気持ちも分かるだろ」
「うん、わかった」
 頭をこすりつけながら、樹は笑った。「こんどは、くるなっていわれてもいく」
「それじゃ駄目だろ」 
 うっかり、晶はスマホが繋がっていることを忘れていた。母が咳払いをしたので彼は赤面した。
『晶、大丈夫なの? 樹くんと合流できたのね?』
「――うん、今から戻る」 
 晶は、稲敷町を大きく旋回しようとしていた。
  
「あきら……そっち、いくな」

 不意に、樹が言った。
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