【ハルピュイアの鎮魂】―禁忌を超えて、魂に、触れる。― ディストピアSFホラー×異形吸血鬼譚×異種族恋愛BL

静谷悠

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高校生編

八(2026、冬)

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「あきら、そっちいくな」

 旋回する晶に、樹は言った。その声は鋭かった。暗い空に火花が散り、ドンッという鈍い地ひびきとともに爆発音が聞こえた。
 それは、桜川の河川敷だった。葉を落とした桜の間に水音がしている……黒ぐろと並ぶ、小山のようなシルエットは……
「戦車だ。いくら基地が近いからって……市街地で」

 思わず晶が呟いたとき、その向こうに、が見えた。

 暮れかかる空を背景に、なにか、ぬめるように白いその輪郭。戦車が小山なら、それは山脈のようだった。滑らかな、脊椎を思わせる山並み……

「あぶない、あきら。はなれる」
「あれは――?」

 晶が旋回しつつ離れようとしたときだった。

 その人肌のような白さの山が、弾けるように盛り上がり、いくつもの――亀裂が生まれた。
 
 (血――)
 
 だらだらと溢れる血の中から、何かが、這い出てくる。黒い、影のような、たくさんの突起や脚を持つその輪郭。それは、血のような跡を白い皮膚に押し付けながら、全身を現し、そして、飛んだ。
 一つ、また一つと空に放たれるそれは……
  
「夜蟲……」

 漆黒の《悪夢ナイトメア》だった。

 雲霞の如く飛び立つそれは、無数の羽虫のように増え、夕暮れの空をさらに深い闇へと染め上げようとしていた。
 ざわざわと潮騒のように耳奥を満たす音は……羽音なのだ。
 
『晶、どうしたの? 何があったの?』
「母さん――」
 晶の声は掠れた。急角度で旋回したため、彼はバランスを崩しかけていた。
 逃げなければ。
 一刻も早く――ここから立ち去らなければ。 
 そのとき、なにか、物悲しい、汽笛のような音が……いや、声が、空気を貫き、震わせた。
 あれが……鳴いたのだ、あの白い巨大な山並みが吠えたのだ、と晶は何故か理解した。その耳を、樹が冷たい両手で塞いだ。

「はやく、いこう――あきら」

 (樹……?)

 背後の暗闇のなかで光る火は、揺らめき、心細く震えた。
 林間を抜けた。そこには、研究所の灰色の建物が、月光に照らされて浮かびあがっていた。
 街灯の下に、晶は下りた。
「おまえ、どうしたの?」
 翼を畳みながら、晶は樹を振り返った。「あれ、何……? おまえ、何か知ってるの?」
「あれ……」
「あの、なんか、白い……人間の肌みたいな、大きいやつ」
「あれは……」
 珍しく、樹は、言い淀んだ。人の姿のときにめったにすることはないのに、その手が胸元で忙しなく動き、何かを表そうとした。 
「はえの、……」 
「蝿?」
「はえの、おう」

「……蝿の王」
 
 そのとき、樹の胸が勢いよく晶の身体にぶつかり、長い腕が力任せに抱きしめてきた。
「あきら――あきらぁ……」
「痛っ、ちょっとおまえ……」
「あきら……」
 彼は、震えていた。「おれ、こわい」
「ん、……こわかった?」
「……うん」
 晶は、彼を抱いてやり、その温かな背をさすった。「追ってきてない。大丈夫だよ」
「うん」
「俺がいるよ」
「うん……」
 言いながら、樹は、さらに強く彼を抱きしめた。「おい、だから、痛いって……」
 冷えて乾いた唇が、瞼に、耳に、首筋にと降ってくる。「すきだ。だいすき。ずっとすき」
「ほんと、おまえ、どうしたんだよ」
「ずっとすきだから」
「知ってるよ……今さら」
 樹の顔を捕まえ、唇に口づけた。いつも通りに、樹の口は甘く、温かかった。晶は樹の首に腕を回して抱きしめた。樹は晶の口の中にため息をつき、味わうように舌を絡めてきた。
 
 ずっとこうしていられたらいい。
 何も考えず、何も見ず、この腕の中にいられたら……


 
 遠くから、近づいてくる気配があった。飛翔している。親しい、覚えのある火……これは。

「おい、大丈夫だったか、おまえら」 
 翼を畳みながら、降り立ったのは、崇だった。
 彼は腰に巻いていた上着を着ながら、二人に歩み寄ってきた。「さっむ……」
「崇」
「うわっ、晶、半そで?」
 言われて初めて晶は気づいた。取り繕うようにパーカーを着る。
「樹は走って行っちゃうしさぁ、町はめちゃくちゃだし……唐沢からラインが来ててさ、みんな、千葉の方に避難してるみたいだけど、紫穂がここだっていうからまず合流しようかと思って」
「――見たか? あの、山みたいな」
「ああ」
 崇の声が低くなった。「オニにも大分人が殺されてた――だけど、自衛隊が出てきてからしばらくはなんとかなりそうだったんだ。あの、『山』が出てくるまでは」
 歩き出しながら彼はちょっと身を震わせた。
「際限なく夜蟲は出てくるし。あの黒い夜蟲――何をしても死なないのな」
 研究所のドアは破られ、床にガラス片が散らばっていた。蛍光灯が瞬きながら青白く廊下を照らしていた。
 少なくとも、近くには生命の気配はない……
「紫穂と母は解析記述棟の五階にいる」
 晶は、渡り廊下を通って、二人を別棟に導いた。そこは、その日の午後に晶と紫穂が初めて鬼人を目にした生態管理棟だった。血の匂いが濃く立ち込めている。あちこちで警告のランプが点滅し、アラームが虚しく鳴り響いていた。通り過ぎる「ケージ」は、全て破壊され、空だった。ガラスの散った床を踏みしめて進む。白衣の女性が血溜まりの上に倒れており、晶は目を背けた。マニキュアと白衣の下の薄いピンクの袖口に見覚えがあった。午前に晶たちの指導をした研究員だった。手が激しく震え、晶は嘔気を飲み込んだ。
 
 そうだ……啓介も、こんな形で殺されていた。
 
 吸血鬼は、なかなか死なない。頭を潰さなければ。
 あのオニは、そう言った……
 憎まれているのだ、自分たちは。
 憎まれて、当然なのだ。自分たちが彼らにしてきたことを思えば……
 
 (それでも……)
 
 救いを求めるように、晶は、傍らを歩む樹の顔を見あげた。
 (憎みあう以外のことだって、きっと、俺たちは、できるはずなんだ――)
 晶の視線に気づいたように、樹は彼に目を向け、なぜか悲しそうに、少し微笑んだ。

 そのとき、スマホの通知音が鳴った。
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