【ハルピュイアの鎮魂】―禁忌を超えて、魂に、触れる。― ディストピアSFホラー×異形吸血鬼譚×異種族恋愛BL

静谷悠

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高校生編

十一(2026、冬)

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 ビデオカメラは、母が言ったとおりリビングのキャビネットにしまってあった。晶はコードでテレビデッキに繋ぐと、画面を映した。
「わあ、晶、小学生か。ちっちゃいな」
「可愛いわね」
「昔っから飛ぶの上手いなぁ。ダントツじゃん」
 それは、小学五年生のときのあの運動会だった。気恥ずかしかったが、母が指示したのはこの映像には違いなく、晶はそのまま友人たちの鑑賞を許した。
「あきら、かわいい……?」
 会話を耳に挟んで、樹が顔を起こした。眠そうに目をこする。
「ほら、寝るならベッド行けよ」晶は言ったが、樹はのろのろとソファに移動し、晶の隣に落ち着いた。膝に身体を持たせかけてくる。お陰で、温かくはあった。
 小学生の晶が一つ技を決めるたびに、撮影していると思われる母が「やった!」「行けっ!」と小さく囁くのが、しっかり音に拾われていた。呼吸が浅くなり、晶は顔を樹の背に埋めた。友人たちも、いつか押し黙り、画面に映し出される運動会をただ眺めていた。

 画面が暗転した。

 次に映し出されたのは、薄暗い室内だった。事務机の上にデスクトップが点灯し、ファイルが数冊乱雑に投げ出されている。室内は明かりがつけられておらず、パソコンの画面のみが光っていた。
 今回も、撮影者は母のようだった。彼女の癖である、右側に傾ぐような手ブレが時々入る。かすかな、緊張しているような呼吸音が、僅かに聞き取れた。
 母の手が、ビデオカメラをそのままデスクに置いたので、重たい音とともに画面がパソコンの側面のみを表示した。キーボードを打つ音が響く。
 ややあって、酔いそうな勢いで画面が揺れ、ようやく意味あるものを映し出した。それは、デスクトップの画面だった。

 映っているのは、暗い部屋だった。
 人影が、顔を伏せるようにして、坐している。緩やかな袖が広がる。その上半身だけが、画面に映っている。一瞬、老人――と思ったのは、その白に近い銀髪のせいで、僅かに浮かび上がる尖った顎も、鼻先も滑らかだった。

 少年だ。おそらくは、十代の。

『これを観る人間が、果たしてこの世に存在するか分からないが――何も遺書を残さないのは業腹なので、敢えて記録しておくこととする』
 その、声――
 樹が、顔を上げ、画面を見た。
 いぶかしむように晶を見上げる。
 
 少年の声は、晶が樹のピアノに合わせて歌う時のような、複雑な和音を含んでいた。

『今、在来人の社会は、深刻な危機にあるが……これは、全く、身から出た錆といったところだ。ワクチンに適合し、アーダマン=カフカ症候群を克服したと信じた在来人が、そうでない人間を人間以下のものとして貶めてきたつけを、今払うときが来たのだ』

 七年前に撮影されたビデオ……さらに、画像自体はさらに昔のもののはずなのに、あたかも、今現在のことを言っているかのようだ。紫穂と崇も同様に思ったようで、ちらと視線を送ってきた。

『《蝿の王》が生まれるとき、無数の《悪夢》が地上を蹂躙する……そうなれば、生き残れるものは少ない。なのに――自分たちの、最後の救いの舟を、在来人たちは自ら壊した』
 語る声が、徐々にしわがれ、低くなっていくのに、晶は気づいた。
 画面に映る滑らかだった頬も、いつしか萎び、尖った顎の輪郭が歪んでいく。

 紫穂が小さく声を漏らした。

 老いているのだ……。

『滅んでしまえばいいのだよ。このように、愚かな種族は……劣ると決めつけた他者を蔑み、搾取することしか知らない痴愚どもめが』

 その声に、凍るようなにくしみが籠もり、晶は身を震わせた。
 老いつつある少年は、顔を上げた。その瞳が、虹色にきらめいた。見れば、緩やかな幅広の袖と見えたのは、白い翼だった。その翼も、とめどなく輝きを失い、みすぼらしく変化している。
 そして、その両翼の中に――
 黒髪の少女が、壊れた人形のように、彼の膝にもたれていた。大量の血に染まり、絶命しているのは、明らかだった。長い睫毛が頬に濃く影を落としている。

『愚かさが、彼女を殺した。
 もっとも死ぬ理由などないはずの彼女を、在来人を救う最後の鍵となる彼女を、彼らは自らの手で屠ったのだ』
 
 浅黒い、滑らかな肌の少女――しかし、その肌の下で蠢くものがあった。
 
「夜蟲化」が起ころうとしている。

 穢狗なのだ。
 受血され、人の姿になってなお、その身体の中には、病魔が息づき、蟲となろうとしている。

 少年とはじめは見えた老人は、その異様に蠢く亡骸の上に、そっと伏せた。

『アシュエラを失った今、わたしも長くはない……もはや、この世に未練もない』

 晶の震える手を、樹がつかんだ。

『在来人など、このまま滅びてしまえばいいが……
 一つだけ、心ある者のために生き延びる手がかりを残してやろう。
 答えは、生体研究所のウサギが知っている』

 彼は、少女の髪に唇を寄せながら、嘲るように笑った。
 
『自分たちが狗などと呼んで貶めたものの、心からの声を聞け。それができた者だけが、真実を聞き出すことができるだろう』

 唐突にデスクトップの画像は停止した。
 ビデオはそのまま撮影を続けた。デスクトップ上の、ビデオクリップの説明がクリックされ、短い説明文書が開かれる。
 ――『1959年、牧村慎博士と野生型穢狗No.21と呼ばれる個体の記録。牧村はこの個体をエリンと名付け、教育を施した。エリンは数学に秀で、大学生レベルの内容を理解したと牧村は主張する。また、エリンは各国の伝承や神話を好み、特に北欧神話は一部暗唱するほどだった』

 ビデオはそこで終わっていた。

「これが……晶のお母さんが見せたかったものなのか」
 呆然と、崇が呟いた。
「――俺と同じだ……アシュエラ化していた。あの、瞳……虹色になるんだよ。俺も、翼化すると時々なる」
「それは研究所のデータにあったわ。特殊なHLA抗原を細胞上に提示する結果、免疫反応から局所的なタンパク質の凝集が起こり、プリズム様の反射を起こすと同時に、ヘモグロビンの一部を励起させて光エネルギーを発する。結果として血液が虹色に輝く状態となる……コンパティビリタス・アシュエラの最終徴候の一つよ」
 彼女の顔色は、蒼白だった。
「でも……牧村博士は――少なくとも、五十代だったはずよ。研究所で写真を見たもの」
「幼年化も……おそらく、アシュエラ化の特徴なんじゃないか。だから、アシュエラを失ったとたんに老化が進行する」

「――俺は、声変わりしてないんだ」

 晶はそっと呟いた。「もう、諦めてる」
 崇は、まじまじと彼を見つめた。
「そうだな――そうだよな」
 晶は、無言で目を伏せた。
「俺たちが、大人になっても、おまえは……きっと今のままで、ずっと、十代のまま――」
「崇」
 静かに、紫穂が遮った。「なにもかも、私たちが今を生き延びられたらの話よ」
 
 
 
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