【ハルピュイアの鎮魂】―禁忌を超えて、魂に、触れる。― ディストピアSFホラー×異形吸血鬼譚×異種族恋愛BL

静谷悠

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高校生編

十五(2026、冬)

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「エリン、パスワード入力だ」
 晶の声にウサギは片耳を上げた。樹は、ちらと晶を見、彼が頷くのを見て、例のねのたみに伝わる古いまじないを唱えた。

「とねりこの
あめたかきえだ
くれつちにおおわれたねの
いずみはうんめい」

《マスターパスワードを認識したよ!》
 ウサギは、ほがらかに言った。
《筑波生体研究所クローズドエリアの案内が解禁されたよ。希望する?》
「もちろん」
 崇が立ち上がると、ウサギはぴょんと跳ねた。そのまま跳ねながら、骸骨めいた廃墟の後方へと進んでいく。これまで、晶たちが一度も入ろうと思わなかった場所――認知操作のために、注目することすらせずにいた方角――だ。

「えっ、この建物……? どう見ても廃墟だけど、何か残ってんのかな」

 鉄が軋む音がして、地面が振動した。唐突にそこに暗い穴が口を開けたように見えた――が、実際のところ、土の下にあった分厚い扉が左右にぎこちなくスライドしているのだった。上に積もっていた土が、下に続く階段に降りかかった。
「え……ここ、入るの?」
 崇が心底嫌そうに言った。「何か、悪いガスとか溜まってない? てか、この扉閉まったら、出れなくなるじゃん……」
《館内は二十四時間、継続的に換気されてるよ!》
「それっていつのこと?!」
《現在も太陽光発電により最大七十八パーセントの電力がまかなわれているんだ。館内の空気は清浄だよ!》
 どこかで水滴の垂れる音がした。蛍光灯が瞬き、土に汚れた階段を浮かび上げている。
「まあ……行くしかないわよね」
 紫穂は肩を竦め、土の降り積もった階段に足を踏み出した。

《ここは筑波生体研究所のクローズドエリア! 通常の見学は予定されていないんだけど、特別設定によりマスターパスワード入力時のみ解禁することになっているんだ!》
 足音ががらんとした通路に深く反響した。瞬く青白い光の下、ざらつく砂を踏んで、奥へと進む。崇は気味悪そうにウサギに目をやった。

「牧村博士がそうしたってことか……?」

《牧村慎博士はガイドAlエリンの設計者で、筑波生体研究所におけるアーダマン=カフカ症候群、特にワクチン開発の権威だよ。もちろんボクにクローズドエリアのガイドを設定したのも牧村博士さ》

「アーダマン=カフカ症候群、について教えてくれる?」紫穂が、抜かりなくメモ帳を取り出した。
《ナイスタイミング! 丁度今から入るエリアは、アーダマン=カフカ症候群の標本室なんだ。臓器は各種の方法で固定されているから、免疫染色やPCR検査を新たに行うこともできるよ》
「標本室……」
 崇はますます嫌そうな顔になった。「絶対見たのを後悔するやつだろ、それ……」
「いいわね。案内してちょうだい」 
《オッケー!》
 ウサギは気軽く言い、右手の部屋に導いた。自動ドアがきしみながら開いた。顕微鏡が並び、旧式のパソコンの間に、ファイルが雑多に積み重ねられている。壁際にはいくつもの円柱形の容器が並んでいた。中の一つに、胎児――それも、複数の腫瘍塊によって身体を歪められた胎児が、丁度母の胎内にいるように頭を下にして収められているのを見て、晶は目を逸らした。

《アーダマン=カフカ症候群を引き起こすRNAウィルス、通称取り替えっ子チェンジリングウィルスは、第三次世界大戦で実用化された人為ウィルスなんだけど、人類が産んだ最悪の生物兵器と呼ばれているんだ》

 あくまで明るくエリンは言いながら、一つの容器の前で止まった。その中には、板に張られた皮膚の標本があったが、その皮膚には幾つもの盛り上がりがあった。ちょうど、受血する前の樹の皮膚のように。

《なにが最悪かというと、兵器としては完全に未完成だったことなんだ。生物兵器の絶対条件である、治療法を使用国が保持している――という一点を満たさないままに、開発したC国は、戦況が絶望的になったと彼らが判断した一九五八年十二月二十五日、多発テロによりチェンジリングウィルスを世界にばらまいた》

 その、朗らかな口調の中に、晶は牧村博士の嘲るような声を聞いた気がした……

「チェンジリングウィルス――」

《テロでは乾燥粉末が用いられ、エアロゾルによる空気感染が主体となった。感染者の三十パーセントは劇症型アーダマン症候群となり、気管・肺胞に急激に進展する腫瘍のために四十八時間以内に呼吸不全で死亡。残りの七十パーセントは腫瘍免疫によるウィルスキャリアとなり、全身の腫瘍を発症しながら数十年は生きながらえる。いずれにせよ、感染直後の外見の変化が著しいことから、イギリスの伝説にある妖精による取り替え子にちなんでチェンジリングウィルスと名付けられたんだよ》

「腫瘍を発症しながら、数十年、生きる……」
 晶は、樹を振り返った。今は伸びやかな手足の人の姿をしている樹だったが、一日受血をしないだけで、彼は腫瘍に歪められた穢狗の姿に戻ってしまうのだ……

「アーダマン=カフカ症候群、そのキャリアなのね……ねのたみの人たちは」

《チェンジリングウィルスの面白いところは、そのRNAを宿主の細胞内で第十九染色体上のDNAに転写し取り込ませるというところ。性腺細胞にも同様のことが起こる結果、キャリア患者の子はほぼ百パーセントの確率で先天性アーダマン=カフカ症候群を発症するよ》

「ち、ちょっと待って。そのウィルスとかを研究してるところなんだろ……ここ。空気感染、って言った?」
 口を押さえながら、崇は言ったが、エリンは朗らかに続けた。

《第三次世界大戦で、チェンジリングウィルスは世界中に広まったんだ。大戦終了時には、生存する人類の九十九・九九パーセント以上が既にキャリアになったと見積もられる。従って、質問してくれた君は、既にキャリアだと考えるのが自然だよ》

 しばらく、沈黙が下りた。
 ややあって、呟いた紫穂の声は、震えていた。
 
「じゃあ、わたしたちは――、腫瘍に犯されず、吸血し飛翔するわたしたちは、なにものなの?」 

 
 
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