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高校生編
十八(2026、冬)
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かなしんでいる……
樹を背に乗せて飛びながら、晶は気がかりだった。いつも温かく感じられる火が、どこか遠く、心細く感じられる……
樹が、かなしんでいる。
「おまえ、どうしたの……」
首に手を回し、ほおずりするほど近くにいる樹に、彼は囁いた。「血を、ほつれにやるの、いや?」
「ん……」
「そんな、死ぬほどやらないよ」
「うん」
「あ、それとも、アシュエラだから? 俺の血、他のやつにやるのが嫌?」
「……うん……」
「馬鹿だな、そんなことで妬くなよ……」
言いながらも、晶は違和感を未だぬぐえずにいた。
樹の考えていることが分からない……
その感覚は久しぶりだった。最近の晶は、敢えて樹が何か伝えてこようとしていないときでも、だいたい彼が何を考えているか分かるようになっていたし、逆もそうだと思っていた。
風が冷たくなり、霧雨が顔に吹き付けた。寒さを感じることなど、ここしばらく無かったというのに、晶はその冷たさに震えた。
「どうする? 真っすぐ行くか?」
崇が大声で聞いた。眼下では樹海が途切れ、土浦の民家が見えて来ている。
「ああ……後回しにしても仕方がないだろう」
紫穂は、寒さに顔を強張らせていたが、無言で彼らについて飛んだ。
晶の家がある曙地区を越え、稲敷中央を目指すと、次第に夜蟲が増えてきた。
「高度を上げたほうがいい。紫穂、大丈夫か」
崇が気遣った。
「というか、二人とも、一緒に来るの? 俺と樹だけでよくないか。危険だし……」
「あなた達二人に任せて遠くでイライラしてるなんてまっぴらよ」
「お姫様がこう言うから、護衛も必要だろ」
「なによ、崇だってついていきたいんでしょう」
「シッ」
晶は囁いた。
暮れ始めた空を背景に、遠く黒い町並みの中に、盛り上がったできもののように、白い巨大な輪郭が見えた。高く飛んでいてなお、それは大きかった……
「町立体育館よりでかいな……五倍くらいかな」
崇の語尾は頼りなく震えた。
「町役場に寄りかかってるみたい……人間は生き残ってるのかしら?」
晶は神経を張り巡らせたが、闇の中には羽虫のように無数の光が青白く飛んでいた。
「夜蟲が多すぎて無理だ。わからない」
「さすがにもう避難しただろ」崇は顎をしゃくった。「俺たちは図書館の上の階にいるよ。あそこなら様子がわかるだろ……やばそうなら、なるべく助けに行くから」
「無理はしなくていい」
眼下にぬめるような白っぽい皮膚を見おろす。「危なそうだったら、逃げろ」
「言われなくても。心配すんな」
樹にも安全な所にいて欲しかったが、それを言っても聞かないことは分かっていた。いずれにせよ、自分に生命の危険があるなら、樹だけが安全でも仕方がないだろう。
(俺たちは、アシュエラなんだ……)
崇と紫穂が図書館の方に方向転換したのを視界の隅に見届けて、晶は町役場の方に翼を切った。ぎゅっと樹が抱きついてくる。
と、思ったとき、黒い濁流のように大量の夜蟲が集まり、襲いかかってきた。
(放すなよ、樹!)
一瞬念じて、晶は翼を閉じ、錐揉み状に墜落した。猛スピードで落下しながら、僅かな翼の加減で身体を振り、攻撃を躱す。鋭い爪か嘴かが頬を掠め、裂けた皮膚から血がしぶいた。明け方に樹の精を受けていた影響で、その傷は瞬く間に治癒した。
(もっと近づかなくては――)
間近に見る「それ」は想像したよりさらに巨きかった。ふと、山脈が身じろいだ……晶たちが近づいたのは、背骨のような凹凸の西の端だったが、そこがぐらりと動き、持ち上がった。
頭なのだ。
目も鼻もない、肉塊――その下方に亀裂が入り、洞穴のような暗い裂け目が生まれた。
霧笛のような――腹の底が震えるような響きが空気を揺るがす。
「それ」が、鳴いていた。
ざざざ……と応えるように、空がざわめいた。曇り空が墨を流したようにかきくもり、無数の点になって降り注ぐ。
夜蟲の群れだった。
これが、《蝿の王》――なのだ。夜蟲を生み出し、操る――
「うっ、つあっ、あっ――」
翼を捻って避けようとしたが、あまりの数に躱しきれなかった。白い羽毛が飛び散り、血が滴る。何か、鋭い牙を持つもの――おそらくは、蝗のような何か――が飛びちがいざまに翼を引き裂いたのだ。人型であれば、手のひらが切りはなされるほどの重傷だった。
だが、好機でもあった――
「あきら、あきら! はやく、おれの、ち……」
「まだだ」
晶は苦痛を堪えて身体を入れ替えると、鋭く滑空し、大きく開かれた口腔に斜めに飛び込んだ。
どっと腐臭が押し寄せた。
出口が閉じられる。
暗闇の中、熱い空気の塊に包まれて、晶は息を詰まらせた。ぬるつく足元に膝をつくと、肉の塊がうねり、洞窟の奥へと送り込もうとしてくる。樹が手を伸ばし、晶にしがみついた。
「あきら、おれ、ここいやだ……」
「俺だってやだよ」
眉をしかめながら、晶は手のひらをなすりつけるようにして、血のしたたる翼を肉の壁にこすりつけた。
《王》が、首をもたげ、咆哮した。
足元がせり上がり、天地が逆転する。危うく広大な喉奥に転落しかけたとき、樹の手が晶をつかんだ。樹は歯列に爪を立てて這い上がり、晶を引っ張りあげた。音波がビリビリと肌を震わせる。
土手のような唇の向こうに身を投げたとき、樹が背にしがみついてきた。血と粘液に汚れた翼で風をつかむ。
――血を、与えた。俺の血……アシュエラの血を。
《ほつれ》は――どうなったろうか……
そのとき、ふたたび、白い山が吠えた。
それは、濁った音の嵐となって、晶の鼓膜を打った。
……あぁあきやぁあああ……
と、それは、聞こえた。
「えっ」
樹を背に乗せて飛びながら、晶は気がかりだった。いつも温かく感じられる火が、どこか遠く、心細く感じられる……
樹が、かなしんでいる。
「おまえ、どうしたの……」
首に手を回し、ほおずりするほど近くにいる樹に、彼は囁いた。「血を、ほつれにやるの、いや?」
「ん……」
「そんな、死ぬほどやらないよ」
「うん」
「あ、それとも、アシュエラだから? 俺の血、他のやつにやるのが嫌?」
「……うん……」
「馬鹿だな、そんなことで妬くなよ……」
言いながらも、晶は違和感を未だぬぐえずにいた。
樹の考えていることが分からない……
その感覚は久しぶりだった。最近の晶は、敢えて樹が何か伝えてこようとしていないときでも、だいたい彼が何を考えているか分かるようになっていたし、逆もそうだと思っていた。
風が冷たくなり、霧雨が顔に吹き付けた。寒さを感じることなど、ここしばらく無かったというのに、晶はその冷たさに震えた。
「どうする? 真っすぐ行くか?」
崇が大声で聞いた。眼下では樹海が途切れ、土浦の民家が見えて来ている。
「ああ……後回しにしても仕方がないだろう」
紫穂は、寒さに顔を強張らせていたが、無言で彼らについて飛んだ。
晶の家がある曙地区を越え、稲敷中央を目指すと、次第に夜蟲が増えてきた。
「高度を上げたほうがいい。紫穂、大丈夫か」
崇が気遣った。
「というか、二人とも、一緒に来るの? 俺と樹だけでよくないか。危険だし……」
「あなた達二人に任せて遠くでイライラしてるなんてまっぴらよ」
「お姫様がこう言うから、護衛も必要だろ」
「なによ、崇だってついていきたいんでしょう」
「シッ」
晶は囁いた。
暮れ始めた空を背景に、遠く黒い町並みの中に、盛り上がったできもののように、白い巨大な輪郭が見えた。高く飛んでいてなお、それは大きかった……
「町立体育館よりでかいな……五倍くらいかな」
崇の語尾は頼りなく震えた。
「町役場に寄りかかってるみたい……人間は生き残ってるのかしら?」
晶は神経を張り巡らせたが、闇の中には羽虫のように無数の光が青白く飛んでいた。
「夜蟲が多すぎて無理だ。わからない」
「さすがにもう避難しただろ」崇は顎をしゃくった。「俺たちは図書館の上の階にいるよ。あそこなら様子がわかるだろ……やばそうなら、なるべく助けに行くから」
「無理はしなくていい」
眼下にぬめるような白っぽい皮膚を見おろす。「危なそうだったら、逃げろ」
「言われなくても。心配すんな」
樹にも安全な所にいて欲しかったが、それを言っても聞かないことは分かっていた。いずれにせよ、自分に生命の危険があるなら、樹だけが安全でも仕方がないだろう。
(俺たちは、アシュエラなんだ……)
崇と紫穂が図書館の方に方向転換したのを視界の隅に見届けて、晶は町役場の方に翼を切った。ぎゅっと樹が抱きついてくる。
と、思ったとき、黒い濁流のように大量の夜蟲が集まり、襲いかかってきた。
(放すなよ、樹!)
一瞬念じて、晶は翼を閉じ、錐揉み状に墜落した。猛スピードで落下しながら、僅かな翼の加減で身体を振り、攻撃を躱す。鋭い爪か嘴かが頬を掠め、裂けた皮膚から血がしぶいた。明け方に樹の精を受けていた影響で、その傷は瞬く間に治癒した。
(もっと近づかなくては――)
間近に見る「それ」は想像したよりさらに巨きかった。ふと、山脈が身じろいだ……晶たちが近づいたのは、背骨のような凹凸の西の端だったが、そこがぐらりと動き、持ち上がった。
頭なのだ。
目も鼻もない、肉塊――その下方に亀裂が入り、洞穴のような暗い裂け目が生まれた。
霧笛のような――腹の底が震えるような響きが空気を揺るがす。
「それ」が、鳴いていた。
ざざざ……と応えるように、空がざわめいた。曇り空が墨を流したようにかきくもり、無数の点になって降り注ぐ。
夜蟲の群れだった。
これが、《蝿の王》――なのだ。夜蟲を生み出し、操る――
「うっ、つあっ、あっ――」
翼を捻って避けようとしたが、あまりの数に躱しきれなかった。白い羽毛が飛び散り、血が滴る。何か、鋭い牙を持つもの――おそらくは、蝗のような何か――が飛びちがいざまに翼を引き裂いたのだ。人型であれば、手のひらが切りはなされるほどの重傷だった。
だが、好機でもあった――
「あきら、あきら! はやく、おれの、ち……」
「まだだ」
晶は苦痛を堪えて身体を入れ替えると、鋭く滑空し、大きく開かれた口腔に斜めに飛び込んだ。
どっと腐臭が押し寄せた。
出口が閉じられる。
暗闇の中、熱い空気の塊に包まれて、晶は息を詰まらせた。ぬるつく足元に膝をつくと、肉の塊がうねり、洞窟の奥へと送り込もうとしてくる。樹が手を伸ばし、晶にしがみついた。
「あきら、おれ、ここいやだ……」
「俺だってやだよ」
眉をしかめながら、晶は手のひらをなすりつけるようにして、血のしたたる翼を肉の壁にこすりつけた。
《王》が、首をもたげ、咆哮した。
足元がせり上がり、天地が逆転する。危うく広大な喉奥に転落しかけたとき、樹の手が晶をつかんだ。樹は歯列に爪を立てて這い上がり、晶を引っ張りあげた。音波がビリビリと肌を震わせる。
土手のような唇の向こうに身を投げたとき、樹が背にしがみついてきた。血と粘液に汚れた翼で風をつかむ。
――血を、与えた。俺の血……アシュエラの血を。
《ほつれ》は――どうなったろうか……
そのとき、ふたたび、白い山が吠えた。
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……あぁあきやぁあああ……
と、それは、聞こえた。
「えっ」
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