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収穫祭編
十一、レドリッヒ邸侵入
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ルードルフ・エーデルクロッツが動いたのは、収穫祭当日の夜だった。侯爵夫人の元を辞すや、彼は足早にアルトシュタットのミッテンラード通りを下り、貴族の邸宅街に足を踏み入れた。祭りから帰る馬車が時折彼を追い越していく。怪しまれぬよう、丸めた外套に隠して小包のようにした剣を身体にくくりつけ、すこし背を丸めて用事を言いつけられた使用人を装った。月が円く明るい夜は邸宅への侵入に適さないが、行動を起こすのが早ければ早いほど、敵の裏をかくことができることを、ルードルフは知っていた。侯爵夫人からの裏付けで、レッチェンを拉致したのがレドリッヒという事実は、ほぼ確定と言ってよい。証拠なしに侯爵夫人が動けない一方、「ならずもの」であるルードルフは自由だった。
レドリッヒ邸には明かりが灯り、行き交う使用人の影がカーテン越しにちらちらと見えた。祭の夜ということもあるが、通り過ぎる影の足取りが不自然に早く、何か落ち着かなさが感じられる。
人通りが絶えた瞬間、ルードルフはさっと地を蹴り、黒いスレートの外壁に取り付いていた。僅かな凹凸と塀に這う蔦を足掛かりに、滑りにくい鹿革の手袋と長靴の滑り止めを駆使して、数十秒後には、ルードルフは塀の上にたどり着いていた。鋭い鋳鉄のフィニアルの内側に身を伏せ、通行人の足音をやり過ごす。人は理由もなく上を見上げないことがほとんどだが、今夜のような明るい月夜には、やはり注意が必要だった。
一番厄介なのは犬だが、庭内にその気配はなかった。番犬がいる庭は、必ず独特の饐えたような臭いがするものだ。一瞬、塀の中の気配と窓の影の動きに注意を巡らせてから、ルードルフは飛び降りた。月光に影が濃く砂地に落ちる。この最も危険な瞬間、ルードルフは足音もなく斜めに塀際を駆け、数瞬のちには植え込みの影に身を潜めていた。
邸内に侵入するのは、もう少し邸内が静まってからがよい。端正に刈り込まれたツゲの茂みの下は身を隠すのに都合がよく、ランタンをもった警備の長靴が通り過ぎる間、ただ湿った空気に息をひそめるだけでよかった。
(昨日アルトバッハがレドリッヒ伯を襲撃したばかりだというのに、予想より警備が手薄だな……)
ルードルフは、このとき既にわずかな違和感を覚えていた。
扉を開け閉めする回数が減るのを、ルードルフは夜気のなか観察していた。全員が寝静まる必要はない。邸内を動きまわる人間が二、三人ならば、ルードルフは見つからずに侵入する自負があった。
邸内の明かりが減っていくとともに、月が空に高く昇っていく。収穫祭の月は、磨き抜かれた銀のコインのようだった。
もう一度夜警が通り過ぎてしばらくしてから、ルードルフは動いた。
二階までの多くの窓は鉄格子つきだが、最近の上流階級の流行に則って、三階の窓には高価な硝子が惜しみなく使われ、見晴らしを阻害する鉄格子は排除されている。お陰で仕事がしやすくなる。しかも、幸いなことに、おそらくはサロンに面しているのだろう、一段と目立つ二階のバルコニーには、美しい硝子の飾り窓が採用されていた。
待機している間に、経路はすでに頭の中に描いてあった。音を立てずに銅製の雨樋を登るのには短靴のほうが好ましかったが、文句を言える状況ではない。幸いなことに、外壁には美しく蔦が絡まり、年代物のスレートにはそこここに継ぎ目がある。熟練した侵入者であるルードルフには、まず容易い仕事ではあった。バルコニーの支柱に指をかけ、ひと思いに手すりを乗り越える。
万が一室内から人が見ていたら、月を背負ったルードルフの影が、くっきりと硝子に写ったかもしれなかった。
彼は、しばらく影の中に身を伏せて、室内の動きを探った。
空気の動きはない……
飾り窓に寄ると、鍵がかかっていた。
(面倒だが、問題にはならない)
繊細な木枠で細かい意匠に分断された硝子の飾り窓は、見るものには美しいが、侵入者にとってはありがたいものである。
ルードルフは、ぴったりと外套を押し付けると、掛けがねに近い窓硝子に一定の力加減で圧をかけた。鈍いくぐもった音とともに、一区画、拳の入る分だけ硝子が割れる。ルードルフは、慎重に手を入れると、そっと掛けがねをはずした。
想像どおり、そこはサロンだった。
月明かりは、室内に入ってしまえばむしろルードルフの味方となった。明かりをつけなくとも、室内を悠々と観察できる。
豪華な調度の間をルードルフは音もなくすり抜け、邸内を探りはじめた。
レッチェンが囚われているとするなら、客室に軟禁されているか、もしくは古い貴族の邸宅にときどき見受けられる地下牢など、人目につかないところに監禁されている可能性が高い。効率的に動くためには、二階から始めて地下牢の存在を探るのがいいだろう。
廊下を影のように渡りながら彼は一つ一つ扉の施錠を確かめていった。二階の施錠されていない扉は、食堂や書斎、若しくは使われていない客間の可能性が高い……
客間と思われる扉に施錠はなく、中に人の息づかいはなかった。
(となれば、寝室や屋根裏か……もしくは、地下)
ルードルフの脳裏に、記憶の中の地下牢が浮かんだ。……窓のない牢獄、手や足の枷……そして、人間を苛むための器具……
仕事中に感情を乱さないことが常だったため、そのとき突然自分に起こったことが何なのか、彼はすぐには分からなかった。
呼吸が乱れ、目の奥が熱くなる。
(あいつがもしも、そんな目に遭っていたとしたら……)
意識して、呼吸を整えようとしたが、一度とめどなくなった感情はなかなか収まらない。
(それを指示したレドリッヒ伯……もしくは、ギュンター・フォン・レドリッヒ。生まれてきたことを後悔するような目に遭わせてやる)
ルードルフは、暗い廊下で立ち止まり、壁に身体をもたせかけた。脳裏を怒りに支配されていながらも、訓練された身体は、徐々にではあるが、呼吸を取り戻していった。
そうだ、今あいつを救うのに必要なのは、いつもの自分だ……
呼吸をゆっくりと整えながら、ルードルフは目を閉じた。少なくとも、このままの状態で先に進むことは命取りになる。
(レッチェンに会ったことで、俺は変わってしまった……)
鈍い痛みとともに、彼は顧みた。
(生き延びてさえいればいいと、思って、そのためにだけ全力を尽くしていたあの単純な強さは、今の俺にはない。お陰で、判断を誤ってばかりいる。
アルトバッハを殺さず見逃したのがいい例だ……あのときやつを殺っていれば、こんな面倒なことにならずに済んだのに)
それなのに、不思議と、今の自分を嫌いになれない。
あのとき、すがるように抱きしめてきたレッチェンの腕、かすれた声を思い出す。
(おまえが、約束するのか。……ほんとうに、おまえが)
そうだ。
あのとき、俺は……確かに、おまえのために変わりたいと願った。
闇の中、ルードルフは、ゆっくりと目を開いた。いつのまにか、彼の呼吸は、常の滑らかな平静さを取り戻していた。
(ならば、今の自分で、より強くなるしかない)
*
台所から拝借したランタンを外套の下に隠し、漏れ出る最小限の明かりでルードルフは階段を下っていた。警備が何もない……悪い予感がした。音を立てず、しかし焦燥に駆り立てられて、ルードルフは石組みの階段を下り、突き当たりの地下牢に走り込んだ。
鉄格子の扉は、開いていた。湿った黴の臭いが立ちこめる。壁からぶら下がる鎖、壁際には囚人の屎尿や、ひょっとすると血液を洗い流すための排水溝が抉られていた。
しかし、そこは、無人だった。
ランタンの覆いをとり、小さなテーブルに置く……
ルードルフは、床に打ち捨てられていた、鈍い光沢のある布を拾い上げた。
清々しいタイムと、静かに香るラベンダー、そして甘い中にも確かな存在感をもって主張してくるローズマリーの香り……
それは、前日、ルードルフ自身がレッチェンに着せかけてやった、あの枯葉色のローブだった。
ルードルフの髪にローズマリーの香油を馴染ませつつ、愛おしむように触れながら、あのとき彼はささやいたのだ……(おまえの匂いに合うよ)
追憶のあまりの甘さに溺れそうになりながら、ルードルフは踏みとどまった。
一時は、ここにレッチェンがいたことは間違いない。
同じ館の中で三階か屋根裏に移動されたのかもしれないが、それは自身の願いにすぎないことを、ルードルフはわかっていた。客間に案内されるような状態で、ローブを床になげうって行くのは不自然すぎる。そして、館全体の警備が甘いのも、主人と虜囚がすでに他に移されたと考えれば辻褄が合うのだった。
硬い、澄んだ音を立てて、何かが転がり落ちた……ポケットに入っていたのだろうか、それは指輪だった。
ルードルフは、それを拾い上げた。
竜を貫く剣の意匠……
文字を知らぬルードルフではあったが、聖人の伝承や昔話を、人並みに語ってもらった記憶はあった。
竜殺し……つまり、聖ゲオルギウス。
(ゲオルク……)
ランタンの光の中で、ルードルフは、祈るように冷たい銀に口づけた。例え、本人が不要だと言った名であっても、それがレッチェンの一部であり、彼がずっと身につけてきたものであることは疑いようがなかった。
必ず、この指輪を、彼に返す……。
彼が要らないと言ったものであっても、それが彼自身だというなら、拾い上げてもう一度彼に贈りたい。
そうしたら、……もっと彼は、自由に生きられるのではないか。
(そうか、俺は……)
ルードルフは、指輪を握りしめながら思った。
(あいつがただ生きているだけでは足りないんだ。あいつが、自由で、あいつらしく、幸せでいてくれないと、駄目なんだ……)
いつの間にこんなに贅沢になってしまったのだろう。
そう自らを顧みながら、ルードルフは、しばし無人の地下牢に佇んでいた。
~~~~~~~~~
【人物紹介】
◆ルードルフ・エーデルクロッツ
アルトシュタット下町、酒場の二階に下宿する男。用心棒、雇われ剣士、暗殺などなんでもこなす凄腕の荒事師。黒髪、長身、アイスブルーの瞳。
◆レッチェン(レエトヒェン)=ゲオルク・アルブレヒト・フォン・ドルーゼン(ショルシュ)
ひと月前に下町に現れた正体不明の青年。ルードルフの部屋に居候している。名前はたんに赤という意味で、居合わせた酔客がそう呼んだことから定着した。錬金術や医学の知識がある。赤毛、色白、緑の目。どうやら、髪は染めたものらしい。ショルシュはゲオルクの愛称。
◆ギュンター・フォン・レドリッヒ
レドリッヒ伯の長男。さわやかな物腰と長身、金髪碧眼の美青年。ゲオルクとは従兄弟で同じ大学に通う。「ウサギ狩り」でショルシュの尊厳を奪った張本人。
レドリッヒ邸には明かりが灯り、行き交う使用人の影がカーテン越しにちらちらと見えた。祭の夜ということもあるが、通り過ぎる影の足取りが不自然に早く、何か落ち着かなさが感じられる。
人通りが絶えた瞬間、ルードルフはさっと地を蹴り、黒いスレートの外壁に取り付いていた。僅かな凹凸と塀に這う蔦を足掛かりに、滑りにくい鹿革の手袋と長靴の滑り止めを駆使して、数十秒後には、ルードルフは塀の上にたどり着いていた。鋭い鋳鉄のフィニアルの内側に身を伏せ、通行人の足音をやり過ごす。人は理由もなく上を見上げないことがほとんどだが、今夜のような明るい月夜には、やはり注意が必要だった。
一番厄介なのは犬だが、庭内にその気配はなかった。番犬がいる庭は、必ず独特の饐えたような臭いがするものだ。一瞬、塀の中の気配と窓の影の動きに注意を巡らせてから、ルードルフは飛び降りた。月光に影が濃く砂地に落ちる。この最も危険な瞬間、ルードルフは足音もなく斜めに塀際を駆け、数瞬のちには植え込みの影に身を潜めていた。
邸内に侵入するのは、もう少し邸内が静まってからがよい。端正に刈り込まれたツゲの茂みの下は身を隠すのに都合がよく、ランタンをもった警備の長靴が通り過ぎる間、ただ湿った空気に息をひそめるだけでよかった。
(昨日アルトバッハがレドリッヒ伯を襲撃したばかりだというのに、予想より警備が手薄だな……)
ルードルフは、このとき既にわずかな違和感を覚えていた。
扉を開け閉めする回数が減るのを、ルードルフは夜気のなか観察していた。全員が寝静まる必要はない。邸内を動きまわる人間が二、三人ならば、ルードルフは見つからずに侵入する自負があった。
邸内の明かりが減っていくとともに、月が空に高く昇っていく。収穫祭の月は、磨き抜かれた銀のコインのようだった。
もう一度夜警が通り過ぎてしばらくしてから、ルードルフは動いた。
二階までの多くの窓は鉄格子つきだが、最近の上流階級の流行に則って、三階の窓には高価な硝子が惜しみなく使われ、見晴らしを阻害する鉄格子は排除されている。お陰で仕事がしやすくなる。しかも、幸いなことに、おそらくはサロンに面しているのだろう、一段と目立つ二階のバルコニーには、美しい硝子の飾り窓が採用されていた。
待機している間に、経路はすでに頭の中に描いてあった。音を立てずに銅製の雨樋を登るのには短靴のほうが好ましかったが、文句を言える状況ではない。幸いなことに、外壁には美しく蔦が絡まり、年代物のスレートにはそこここに継ぎ目がある。熟練した侵入者であるルードルフには、まず容易い仕事ではあった。バルコニーの支柱に指をかけ、ひと思いに手すりを乗り越える。
万が一室内から人が見ていたら、月を背負ったルードルフの影が、くっきりと硝子に写ったかもしれなかった。
彼は、しばらく影の中に身を伏せて、室内の動きを探った。
空気の動きはない……
飾り窓に寄ると、鍵がかかっていた。
(面倒だが、問題にはならない)
繊細な木枠で細かい意匠に分断された硝子の飾り窓は、見るものには美しいが、侵入者にとってはありがたいものである。
ルードルフは、ぴったりと外套を押し付けると、掛けがねに近い窓硝子に一定の力加減で圧をかけた。鈍いくぐもった音とともに、一区画、拳の入る分だけ硝子が割れる。ルードルフは、慎重に手を入れると、そっと掛けがねをはずした。
想像どおり、そこはサロンだった。
月明かりは、室内に入ってしまえばむしろルードルフの味方となった。明かりをつけなくとも、室内を悠々と観察できる。
豪華な調度の間をルードルフは音もなくすり抜け、邸内を探りはじめた。
レッチェンが囚われているとするなら、客室に軟禁されているか、もしくは古い貴族の邸宅にときどき見受けられる地下牢など、人目につかないところに監禁されている可能性が高い。効率的に動くためには、二階から始めて地下牢の存在を探るのがいいだろう。
廊下を影のように渡りながら彼は一つ一つ扉の施錠を確かめていった。二階の施錠されていない扉は、食堂や書斎、若しくは使われていない客間の可能性が高い……
客間と思われる扉に施錠はなく、中に人の息づかいはなかった。
(となれば、寝室や屋根裏か……もしくは、地下)
ルードルフの脳裏に、記憶の中の地下牢が浮かんだ。……窓のない牢獄、手や足の枷……そして、人間を苛むための器具……
仕事中に感情を乱さないことが常だったため、そのとき突然自分に起こったことが何なのか、彼はすぐには分からなかった。
呼吸が乱れ、目の奥が熱くなる。
(あいつがもしも、そんな目に遭っていたとしたら……)
意識して、呼吸を整えようとしたが、一度とめどなくなった感情はなかなか収まらない。
(それを指示したレドリッヒ伯……もしくは、ギュンター・フォン・レドリッヒ。生まれてきたことを後悔するような目に遭わせてやる)
ルードルフは、暗い廊下で立ち止まり、壁に身体をもたせかけた。脳裏を怒りに支配されていながらも、訓練された身体は、徐々にではあるが、呼吸を取り戻していった。
そうだ、今あいつを救うのに必要なのは、いつもの自分だ……
呼吸をゆっくりと整えながら、ルードルフは目を閉じた。少なくとも、このままの状態で先に進むことは命取りになる。
(レッチェンに会ったことで、俺は変わってしまった……)
鈍い痛みとともに、彼は顧みた。
(生き延びてさえいればいいと、思って、そのためにだけ全力を尽くしていたあの単純な強さは、今の俺にはない。お陰で、判断を誤ってばかりいる。
アルトバッハを殺さず見逃したのがいい例だ……あのときやつを殺っていれば、こんな面倒なことにならずに済んだのに)
それなのに、不思議と、今の自分を嫌いになれない。
あのとき、すがるように抱きしめてきたレッチェンの腕、かすれた声を思い出す。
(おまえが、約束するのか。……ほんとうに、おまえが)
そうだ。
あのとき、俺は……確かに、おまえのために変わりたいと願った。
闇の中、ルードルフは、ゆっくりと目を開いた。いつのまにか、彼の呼吸は、常の滑らかな平静さを取り戻していた。
(ならば、今の自分で、より強くなるしかない)
*
台所から拝借したランタンを外套の下に隠し、漏れ出る最小限の明かりでルードルフは階段を下っていた。警備が何もない……悪い予感がした。音を立てず、しかし焦燥に駆り立てられて、ルードルフは石組みの階段を下り、突き当たりの地下牢に走り込んだ。
鉄格子の扉は、開いていた。湿った黴の臭いが立ちこめる。壁からぶら下がる鎖、壁際には囚人の屎尿や、ひょっとすると血液を洗い流すための排水溝が抉られていた。
しかし、そこは、無人だった。
ランタンの覆いをとり、小さなテーブルに置く……
ルードルフは、床に打ち捨てられていた、鈍い光沢のある布を拾い上げた。
清々しいタイムと、静かに香るラベンダー、そして甘い中にも確かな存在感をもって主張してくるローズマリーの香り……
それは、前日、ルードルフ自身がレッチェンに着せかけてやった、あの枯葉色のローブだった。
ルードルフの髪にローズマリーの香油を馴染ませつつ、愛おしむように触れながら、あのとき彼はささやいたのだ……(おまえの匂いに合うよ)
追憶のあまりの甘さに溺れそうになりながら、ルードルフは踏みとどまった。
一時は、ここにレッチェンがいたことは間違いない。
同じ館の中で三階か屋根裏に移動されたのかもしれないが、それは自身の願いにすぎないことを、ルードルフはわかっていた。客間に案内されるような状態で、ローブを床になげうって行くのは不自然すぎる。そして、館全体の警備が甘いのも、主人と虜囚がすでに他に移されたと考えれば辻褄が合うのだった。
硬い、澄んだ音を立てて、何かが転がり落ちた……ポケットに入っていたのだろうか、それは指輪だった。
ルードルフは、それを拾い上げた。
竜を貫く剣の意匠……
文字を知らぬルードルフではあったが、聖人の伝承や昔話を、人並みに語ってもらった記憶はあった。
竜殺し……つまり、聖ゲオルギウス。
(ゲオルク……)
ランタンの光の中で、ルードルフは、祈るように冷たい銀に口づけた。例え、本人が不要だと言った名であっても、それがレッチェンの一部であり、彼がずっと身につけてきたものであることは疑いようがなかった。
必ず、この指輪を、彼に返す……。
彼が要らないと言ったものであっても、それが彼自身だというなら、拾い上げてもう一度彼に贈りたい。
そうしたら、……もっと彼は、自由に生きられるのではないか。
(そうか、俺は……)
ルードルフは、指輪を握りしめながら思った。
(あいつがただ生きているだけでは足りないんだ。あいつが、自由で、あいつらしく、幸せでいてくれないと、駄目なんだ……)
いつの間にこんなに贅沢になってしまったのだろう。
そう自らを顧みながら、ルードルフは、しばし無人の地下牢に佇んでいた。
~~~~~~~~~
【人物紹介】
◆ルードルフ・エーデルクロッツ
アルトシュタット下町、酒場の二階に下宿する男。用心棒、雇われ剣士、暗殺などなんでもこなす凄腕の荒事師。黒髪、長身、アイスブルーの瞳。
◆レッチェン(レエトヒェン)=ゲオルク・アルブレヒト・フォン・ドルーゼン(ショルシュ)
ひと月前に下町に現れた正体不明の青年。ルードルフの部屋に居候している。名前はたんに赤という意味で、居合わせた酔客がそう呼んだことから定着した。錬金術や医学の知識がある。赤毛、色白、緑の目。どうやら、髪は染めたものらしい。ショルシュはゲオルクの愛称。
◆ギュンター・フォン・レドリッヒ
レドリッヒ伯の長男。さわやかな物腰と長身、金髪碧眼の美青年。ゲオルクとは従兄弟で同じ大学に通う。「ウサギ狩り」でショルシュの尊厳を奪った張本人。
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