古都―名前を奪われた青年と明日を持たぬ剣士の物語―

静谷悠

文字の大きさ
73 / 99
石毒の蛇

7*

しおりを挟む
 こんなに深く眠ったことは、なかったような気がした。手も足もぐったりと弛緩し、いつの間にか目が覚めているにもかかわらず、身体が動かない。心地よく気怠い眠気を味わいながら、ギュンターは目を閉じていた。身体は浮いているかのように手応えがなく、足や手がぶらぶらと揺すぶられた。
(……?)
 そう、身体は、持ち上げられ、手足が空に揺れている……薄いシーツが掛けられた身体が、支えられている……
(運ばれている……?)
 脱力した左手は、揺れるたびに微かな痺れが走った。
 すぐ耳元で男の声がした。
「ありがとう。もういい。……朝食は後でいい。分かったから、もう下がれ」
 扉が閉ざされる気配がした。
 湿った空気が流れ、温かな湯気が顔にかかる。水が滴る音がした。
 身体が温かな湯に沈められたとき、ギュンターは、はっとして目を開けた。
「おっと……起きたか」
 立ち上がろうとして、彼は足を滑らし転びかけたが、フリードリヒの腕がそれを支えた。
「暴れるな、包帯が濡れる」
「な……っ、え、風呂?!」
「うん」
 言いながら、背後に身体を滑り込ませてくる。左肩の包帯が濡れないように身体が持ち上げられ、支えられるのが分かった。
 昨夜眠った部屋ではない。
「ここは……?」
「隣の客室だ。同じ部屋に用意させてもよかったが……眠っているところを見られたくないかと思って」
「こ……ここに、あなたが運んだのか」
 ギュンターは、肩まで赤くなりながら言った。フリードリヒとともに眠っているところを見られるのはもちろん嫌だが、一糸まとわぬ姿で運ばれるのももちろん嫌だった。
 フリードリヒは、笑って言った。
「ギュンター、いつまで私のことを『あなたズィー』と呼ぶんだ」
「え……」
「恋人同士は、おまえドゥと呼び合うものだろう」
「こ、恋人……」
「違うのか?」
 言いながら、耳に口を寄せ、軽く歯を立てた。昨夜の記憶が身体に蘇り、ギュンターは小さく呻いた。
「ち、ちょっと……」
「忘れているなら、思い出させてやってもいいぞ」
 まったく抵抗できない体勢で、男に抱きすくめられているということが唐突に意識され、ギュンターは、身を震わせた。
「なんだ……」
 フリードリヒは、笑いの含んだ声で囁いた。「思い出させてほしいのか?」
 部屋は、レースのカーテン越しに注ぐ陽光で明るく、透明な湯の中の身体は隠しようもなかったが、ギュンターは、無意味に身体を曲げ、フリードリヒの視線を遮ろうとした。
「隠さなくてもいいだろう」彼は青年を抱き寄せた。「おたがいさまだ」
 先ほどとは違う理由で、青年の顔は熱くなった。後ろから、熱い身体が押し当てられている……大きな手が感じやすい場所を包み込み、なぞるようにして愛撫した。身体を震わせると、腰にフリードリヒの身体がこすれ、ギュンターは喘いだ。
「気持ちいいな?」
「うっ……」
「言ってごらん」
 喉に声が詰まったが、ギュンターは、しゃがれた声で囁いた。
「き……気持ち、いい……」
 フリードリヒは、そっと耳裏に口づけた。「ちゃんと言えたな……」
 全身の力が抜け、ギュンターは、頭をフリードリヒの肩にもたせかけた。濡れた金髪が、男の肩に絡む。フリードリヒは、首筋に口づけながら手を伸ばし、身体の奥に指を進めた。
「うっ……ん、く、ぅうっ」
「まだ、柔らかいな…」
 耳たぶをそっと噛みながら囁く。「気持ちいいか?」
「う……」
「ここは?好き?」
 深く抉ってくる指先は、意図しているのか違うのか、ぎりぎりで欲しい場所から外れている。
「くぅ……っ…」
「ほら、言って」
「そ、そこじゃなくて……」
 ギュンターの声は、恥辱に掠れた。
「うん……こっち?」
「ち、違う……うぅっ……」
 自由になる右手で、いつかギュンターは自身を侵すフリードリヒの手にしがみついていた。「こ……こっち……う、く、あぁああ……」
「ここ?」
 声を出せずに、ギュンターは、こくこくと首を振った。
「これが好き?」
 耳に囁かれるフリードリヒの声は甘かったが、同時に譲らぬ強引さがあった。「言ってごらん」
 ぐりっと指先が動き、求めていた部分を押しつぶされて、ギュンターは身悶えた……「うあぁっ……あ、ああっ……」
「ほら……これが好きか?」
 抱きしめる手が、恐怖を和らげ、快楽に頭が痺れる。ギュンターは、すがるようにつぶやいた。「す……好き……あなたにそうされるのが……好きだ……」
「よしよし」
 指が抜かれ、ギュンターは、自身の息が期待で浅くなるのを感じた……
 フリードリヒの大きな手が腰骨にかかる。湯の中で容易く身体を動かされ、熱く滑らかなものが、ゆっくりと、しかし容赦なく身体を押し広げながら割り入ってきた。
「うっ、うっ、……うぅっ……」
 涙が滲み、喉が詰まる。
「まだ、辛いか?」
「う、うん……」
「一回やめよう」
「いやだ、」ギュンターは身を捩るようにして、右手でフリードリヒの身体を引き寄せようとした。「嫌だ……やめるな……」
「ギュンター」
 フリードリヒの息も浅かった。彼は、青年を抱きすくめると、唇に口づけ、深く貪りながら更に深く押し入った。
「んぅっ、う、うぅう……うああ、ああっ!」
「ここ?」
「うっ、そ、そう……」
「自分で、もっと当てていいぞ」
「じ……自分で……?」
「そう。気持ちがいいように」
 フリードリヒは、内心まだ難しいだろうと思っていたのだが、青年は、ぎこちなく身体を動かし、腰を浮かして、フリードリヒを身体の中で感じようとした……
「う、くぅっ……」膝ががくがくと震え、ギュンターは片手だけでしがみついてきた。「で……できない……」
「よしよし、頑張ったな」
 フリードリヒは、青年の腰骨を掴むと、ゆっくりと腰を使った。ギュンターは声もなく身体を反らし、息を吐き出した。先ほど、不器用にここが好きだと伝えてきた場所を、擦り上げてやる。水音が立ち、水面が波立った。
「き……気持ちいい……気持ちい……フリッツ、やめないで……」
「いい子だ」
 囁きながら耳を噛むと、青年の身体が跳ねた。「ここも……好きだな」
「う……す、好き……」
 手を伸ばし、胸を優しくつねってやる。「くうっ……」うねるように身体の中が収縮し、フリードリヒは浅く息を吐いて自身の衝動をやり過ごした。「こっちも、好きか?」
「う、うん……好き……」
「ここも」手を伸ばし、震えて熱を持つ身体の中心に触れていく。「こうやって触るのが好き?」
「うあっ」
 引きつった身体を捕まえ、全身に愛撫を加えながら、容赦なく内部を擦り上げる。
「ああっ、気持ちいい……っ、も、もう、無理、いくっ、フリッツ……あぁああっ」
 青年の内部がきつくうねり、手の中に熱いものが吐き出された。フリードリヒは自らの衝動を逃がしながら、拳の中にそれを受け止め、湯が汚れないようにしてやった。荒い息を吐く青年から自身を抜き出し、そっと湯船に座らせてやる。湯から上がり、快楽の余韻に身体をひくつかせる青年を見つめながら、彼のものでぬめる手で自らを扱き、リネンの中に放った。ギュンターは、荒く息を吐きながら彼を見上げていたが、それはかつてサロンの中心で皆の視線を集め、完璧な笑顔を見せていた彼とは別人のような、無防備な表情だった。
 身体を清めて、浴槽に戻ると、フリードリヒは年少の恋人を抱きしめた。
「ギュンター」
 幸福な気持ちで、彼は囁いた。
「今日は、たくさん好きなものが分かったな?」
「フリッツ……」
 青年の灰色の瞳は、まだ靄がかかったように茫然としていた。
「私は……あなたが好きだ」
 自分はりんごが好きだ、と言う幼い子どものような調子で、彼が言ったので、フリードリヒは思わず笑った。だが、それがどれだけ彼にとって大きなことかも、また理解していた。何が嫌か、何が好きなのかすら、分からずにただ虚構の中を生きてきた彼にとって、どれだけその一言が重いのかを。
「そのうちには、好きマークではなく、愛しているリーベと言ってもらえたら嬉しいな」
 フリードリヒは、囁いて、彼の額にキスをした。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

冷酷無慈悲なラスボス王子はモブの従者を逃がさない

北川晶
BL
冷徹王子に殺されるモブ従者の子供時代に転生したので、死亡回避に奔走するけど、なんでか婚約者になって執着溺愛王子から逃げられない話。 ノワールは四歳のときに乙女ゲーム『花びらを恋の数だけ抱きしめて』の世界に転生したと気づいた。自分の役どころは冷酷無慈悲なラスボス王子ネロディアスの従者。従者になってしまうと十八歳でラスボス王子に殺される運命だ。 四歳である今はまだ従者ではない。 死亡回避のためネロディアスにみつからぬようにしていたが、なぜかうまくいかないし、その上婚約することにもなってしまった?? 十八歳で死にたくないので、婚約も従者もごめんです。だけど家の事情で断れない。 こうなったら婚約も従者契約も撤回するよう王子を説得しよう! そう思ったノワールはなんとか策を練るのだが、ネロディアスは撤回どころかもっと執着してきてーー!? クールで理論派、ラスボスからなんとか逃げたいモブ従者のノワールと、そんな従者を絶対逃がさない冷酷無慈悲?なラスボス王子ネロディアスの恋愛頭脳戦。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】

ゆらり
BL
 帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。  着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。  凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。  撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。  帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。  独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。  甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。  ※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。 ★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる

尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる 🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟 ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。 ――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。 お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。 目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。 ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。 執着攻め×不憫受け 美形公爵×病弱王子 不憫展開からの溺愛ハピエン物語。 ◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。 四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。 なお、※表示のある回はR18描写を含みます。 🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。 🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。

転生して王子になったボクは、王様になるまでノラリクラリと生きるはずだった

angel
BL
つまらないことで死んでしまったボクを不憫に思った神様が1つのゲームを持ちかけてきた。 『転生先で王様になれたら元の体に戻してあげる』と。 生まれ変わったボクは美貌の第一王子で兄弟もなく、将来王様になることが約束されていた。 「イージーゲームすぎね?」とは思ったが、この好条件をありがたく受け止め 現世に戻れるまでノラリクラリと王子様生活を楽しむはずだった…。 完結しました。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

処理中です...