愛人

鈴江直央

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短編

想い出

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 深い深い闇にいた。生まれたときから世界は真っ暗で、僕らには生きるすべが無かった。
盗みや殺しでしかその日食べられる飯も手に入らない。
何日も飲まず食わずなんて当たり前の日々。
僕以外の人間全員死んでしまえ。
それともいっそ死んでやろうか。
でもいざ死のうとすると体が震えて出来なかった。
誰か。お願いだから僕を。僕を殺せ。


            ・


 気がつくと朝日が優しく降り注ぐ嗅いだことのない柔らかい匂いのするベッドに横たえられていた。
僕は、何をしていたっけ?
「気がついた?」
声をかけられ思わず飛び起きて身構えた。
「そんなに警戒しなくて大丈夫。ひどい傷だったから、連れて帰ってきちゃった。」
そこには、なんというか、素朴な町娘がいた。
でもなんだか気を許しては行けない気がした。
「よかったらこれ食べて。お腹空いてるでしょ?」
差し出されたスープを僕は考えるより先に奪って食べていた。
そんな僕を彼女は悲しそうに見つめていた、気がする。このときの僕は早くこの家から出ていくことしか考えてなかった。

 この家に来てからもう数日が経とうとしていた。
僕が家を抜け出そうとすると決まって彼女に連れ戻された。
怪我が治ってないだとか、ご飯ができただとか、お風呂に入らなきゃだめだとか。
こっそり抜け出そうにもいつどこで見ているのか必ず見つかる。
「私はディア。ここにひとり暮らしなの。」
ディアと名乗った彼女は随分前からここにいるようだった。
時々悲しそうにするのも、それが原因だろうか。

 僕がここに来て一月が経ったある日。
ディアは何だか慌てていた。
「お願い。私がいいって言うまでここにいて。」
そう言って僕を一室に閉じ込めた。
僕はわけがわからそこにいた。
するとしばらくして外から国の兵士がやってくるのが見えた。
そいつらは激しくドアを叩き、無理やり家に乗り込んだ。
僕はあいつらを知っている。
国のため、王のため、そして何より自分たちのために、
僕のような人間を無残に取り押さえ殺し、金をもらう奴らだ。
僕は死にたいと思う。
だけど、あいつらにだけは捕まりたくない。
何故かそう思っていた。
そんな奴らがなぜここにやって来る?
ディアは普通の女の子だ。
何かが激しく割れる音がした。
誰かの叫び声と、ディアの悲鳴。
考えるより先に体が動いていた。
ディアの目の前に立ち兵士を睨みつける。
「どうして出てきたの!」
ディアの声が聞こえたが無視した。
僕が今できるのは彼女を助けること。

「彼女には指一本触れるな。金がほしいなら僕を連れて行け。」

 ここに来て初めて言葉を発した。
情けなく無かっただろうか。
声は震えていなかったか。
ディアが息を呑むのがわかった。
兵士は少し驚いたみたいだった。
そして僕を連れてディアの家をあとにした。
最後に見たディアの顔は一生忘れない。


            ・


 ふと、ディアと出会った時のことを思い出した。
もう何年も前だ。
一月しか一緒に居なかったのに彼女の優しさのおかげで
私は人にやさしくなれたのだと思う。
あとで聞いた話だが、ディアは王国のお姫様らしい。
何かが理由で街に追い出されたのだとか。
しかしディアの存在は国王一家にしか知らされていなかったし、王は王子を欲しがった。
そこで私が僕を連れて行けなんて言ったものだから、
王はなぜか私を気に入って養子にしてしまった。
初めて顔を合わせたとき、王は生かせと言った。
そしてディアしか子供がいなかった王は次期王として私を王子として育てた。
その頃からの私の目的は
いつか絶対にディアをここに連れて戻ること。
もしくはディアとこんな世界から逃げてやる事しか考えてなかった。

 ある日、久しぶりの公休が出た。
私は誰にも何も告げずに城を出た。
密かに行動するのは得意だ。子供の頃に慣れてしまった。
ずっと気になっていた昔ディアと過ごした家に赴いてみた。
期待なんてしていなかった。
ただ、彼女との思い出に浸りたかっただけだ。
だから私がショックに思うことではないはずだった。
忘れていた。
彼女は彼女で生活があること。
私のことなんて覚えているかもわからないこと。
この気持ちは"僕"の一方的な気持ちに過ぎないことを。
「あら、お役人さんかしら?何か御用?」
彼女は私に気がつくとそう声をかけた。
私がいや、と首を振ると不思議そうにした。
彼女の腕の中にいる、小さな、彼女そっくりの娘も不思議そうに私を見つめた。
言葉が出なかった。
「顔色が悪く見えます。よかったら家で休みませんか?」
もう一度首を横に振った。
彼女が幸せなら、、それでいい。
小さく礼をすると私はその場から立ち去った。

 それからしばらくは仕事が手につかなかった。
世界だけが走り去って私の周りは何もない。
子供の頃から何も変わっていない。
あの時彼女を守れたことが私の生きがいだ。
それでいい。それだけでよかった。
彼女が幸せならなお良いことだろう。
なのになぜこんなにも苦しくてこんなにも彼女のことが愛おしいのか。
「王子。著名が無かったので迷ったのですがこれを。」
従者が持ってきたのは一通の手紙だった。

「また遊びに来てください」

 その一言だけだった。
名前も宛名も何もなく。
真っ白な紙の真ん中に整った可憐な字。
分かっていたのか、と思った。
どこでわかったのか、と思った。
どうしようもなく彼女を抱きしめたくなった。


            ・


 あの手紙を受け取ってからまたさらに何年も過ぎた。
その間に私は王になっていたし形だけの結婚もしていた。
なんとなく後ろめたくて会いにいけなかった。
何より怖かった。
そして息子がある程度大きくなり教育係を新しくしようとしたときだった。
若いときのディアそっくりの娘が名乗りを上げた。
「私が王子を一人前にして見せます」
きりりと結んだ唇には何か決意が漲っている気がした。
そして娘は一つ条件を私に告げた。
「母もここで暮らすことをお認めください」
城がざわついた。
町娘からこのような言葉が出たなら無理もない。
娘は一心に私を見つめた。

「異論は認めない。不自由なく過ごせるよう何でも申せ。今日からここがお前たちの家だ。」

私の言葉に皆が絶句した。
誰かが口を開いて何か言おうとした。

「異論は認めない。もとよりディア及びその娘は王家の者。……私が迎えに行かねばならなかったのに、すまない。」

 娘の側まで行き膝を折り謝罪した。
よそ者は私なのだ。なぜこんなにも長い間彼女達を放置してしまったのか。

「私の私利私欲で君たちをここに呼び寄せるのは違うと…思っていた。君や、ディアの苦労は、私には、わからない。だからこそ私にできることがあれば協力しよう。」

 もう逃げている時ではない。
今この立場だからこそ守れるものもあるのだ。
「お母様が言ってた。貴方は勇気のある人だって。私を守ってくれたんだって。短い間でも貴方の優しい心が大好きだって言ってた。」
私は幸せだ。きっと今、世界で1番。


            ・


「ねぇ、王様。どうしてあのあと来てくれなかったのよ」
少し拗ねたようにディアが言った。
お互いいい年になった。
彼女の髪にはちらほら白髪が混じっているし皺も増えた。
私より少しお姉さんのディアは、それでも少女のようだった。
「待ってたのよ。あの時、貴方だって分かったからお手紙書いたのに。」
ちゃんと受け取ったよ。と笑ってみせた。
「旦那はね、あの子が出来たと知ったとたん出ていったの。子供は、いらないってずっと言ってたから、」
寂しそうに呟いた彼女の顔を私は見たことがあった。
私を介抱してくれたときもこんな顔をしていた。
思わず抱きしめた。
もうそんな顔はさせない。

「私がずっと側にいる。」

 精一杯の決意だった。破るつもりもない。
きっと君を幸せにする。


            ・

 
 柄にもなく泣いていた。
こんなの聞いていない。
そんな急にいなくならないでほしい。
貴女が私を変えてくれたのに。
もう目もそんなに良くないし、耳も聞こえにくくなったけど、貴女の優しい笑顔や声は必ず分かった。
「泣かないで、またきっと会えるわ。」
 ディアの優しい声、微かに広がった笑顔。私の目の前でディアはゆっくり息を引き取った。
息子に王座を引き渡してから数年、ディアと二人でゆっくりとした時を過ごした。
小さな愛を育んだ。色々な話をした。ゆっくりゆっくり時は進んだ。
 ディアの病気が発見されたのはもう随分病状が進んでいた時だったし、医者にもそう長くないと言われていたから、驚く事はなかった。
でも。どうしようもない喪失感と、悲しみが溢れて呆然としてしまった。
何よりも、貴女が愛おしくて、愛おしくて、どうしようもなく泣いた。


             ・



 「貴方はいい王様で、いい父親だった。一生感謝する。…お母様によろしくね」
 ディアと同じ顔で、そんなこと言わないでくれ。年のせいか最近涙もろくて仕方がない。
もうろくに身体を動かすことも出来ないのに。

 外は混沌としていてあちこちから悲鳴があがり、国がもう終わることを予感させている。隣国からの突然の襲撃に耐えることができず、息子は捉えられた。
私はディアと過ごしたこの場所で死ぬことを選んだ。
あなたのいない世界にはもう耐えられないんだ。

 「大丈夫。きっとまた会おう」

 愛する娘にそう言うと私は意識が薄れるに身を任した。


 優しい光を感じた。子どもの頃ディアの家で目が覚めた時のような柔らかく温かい光。
目を細めながらそちらを見つめた。

 「あぁ。待たせてごめん」

 貴女に向かって笑ってみせる。彼女は優しく笑い返してくれた。
 彼女の手を取り二人で歩き出す。
 
 これからもずっと僕達は一緒だ。

                  
                   -Fin-
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