愛人

鈴江直央

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短編

花火

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 夏は嫌いだ。嫌になるほど、泣きたくなるほど笑う君を思い出すから。君は覚えていないかも知れないけれど、あの日、夜空は花火でいっぱいで、俺一人が花火を見上げて泣いていた。

            ・

「おはよう!」
 明るく声をかけてきたのは高校に入ってから仲良くなった風心だった。
「顔死んでるよ?」
 俺の顔を覗き込みながらおかしそうに笑う。
「夏は苦手なんだよ…」
 額に垂れてきた汗を袖で拭い言う。風心の首筋に浮かぶ汗が目に留まり、小さく心臓が脈打つ。雑念を払うようにもう一度汗を払って、二人で並んで歩き出した。もう2年と少し、こうして二人で登下校している。
「こうやってさ~、二人で学校行くのもあと半年だよ」
 風心が少し寂しそうに言った。初めて出会ったときは新入生同士で、たまたま同じ道を気がつくと隣に並んで歩いていた。歩くスピードも、歩幅も、慣れない制服も、緊張して歩く姿も同じで、何だか気になってふと顔を合わせて笑っていた。
「俺は風真。君は?」
「風真って言うの?私は風の心でふう!お揃いじゃん!」
 そう言ってにっと歯を見せて笑った彼女に、あの時から、今の今までずっと、俺は恋したまんまだ。この関係が壊れるのが怖くて告白すらしていないのだが。それに、風心は入学してから3年に上がるまで、数人とお付き合いをしたらしい。先輩だったり、同じクラスの人だったり、後輩だったり。でも、風心が俺との用事を優先してしまうから、皆残念ながらお別れしたと言っていた。
「…俺が被害被ってるんだよなぁ」
「え?なに?」
「何でもないよ」
 元カレ達は俺を気に入らず、少なからず嫌がらせを受けたりした。一人一人相手にしていてもキリがないので、放置していたら収まったが。
「いいじゃん。同じ大学受けるんだし、まだまだ一緒にいられるよ」
「そうだけど、そうじゃないの!」
「いいんだよ。ずっと俺と一緒にいれば」
 ふとしたことで居なくなってしまいそうだ、と思ってしまったからなのか、言葉がするすると出た。風心は驚いたみたいに足を止めた。
「ずっとって、どのくらい?」
「ずっとはずっと」
「…大学生の間だけ?」
「ちげーよ。これからもずっとだよ」
 耳が熱くなっていくのがわかった。こんな恥ずかしいこと、今まで言ったことがない。
「ずっと、ずっとかぁ」
 何故か嬉しそうにしながら風心は手を繋いできた。
「風心…!?」
「ふふ、いいでしょ!」
 いつも以上にご機嫌になった風心を見てたら何でも良くなった。好きだなぁと思った。

            ・

 夏休み。恋人になってから初めての夏休みだ。風心が花火大会に行きたいと言うので行くことになった。
「めちゃめちゃ可愛くしてくるからっ」
「それ以上可愛くなってどうするんだ…」
 電話越しに風心は楽しそうに笑う。
「風真ってこんな感じなんだね」
 あの日以来風心はよくそう言う。君が気づいていないだけで、俺は何も変わったことはしてない。
「すっごい褒めてくれるしさー、優しいしさー、なんだろ、愛情表現がすごい!」
「そうかな。普通だよ」
「んーん!絶対そう!」
 小さくありがとうね、と呟かれ俺はこちらこそと言った。毎日のように会って話をして電話も欠かさないけれど、なんだか凄く抱きしめたくなった。

 珍しいなと思った。風心が時間通りに待ち合わせに来ないのは。花火が始まる前に屋台を回ろうと話していたのに、もうあと数十分で始まってしまう。
「風真くん?」
 聞き慣れた声がして振り向くと風心のお母さんが立っていた。
「あ、こんばんは」
 風心と仲良くなってからずっと、風心の家族とも親しくさせてもらっている。付き合い始めた旨を伝えたらとても喜んでくれた。
「風真くん、落ち着いて聞いて、風心がね…」
 放たれた言葉は僕の心臓を貫いて。花火の弾ける音と共に、俺の中で何かが切れた。
 叫んだような気がする。その叫びは声になったかどうかも危うい。風心のお母さんはそんな俺を見て泣いていたと思う。全身の毛がざわめいて、関係なく咲き誇る花火に殺意が湧いた。
「風真くん。一緒に来てくれる?」
「…はい」
 今どんな状態で風心が居るのか想像出来なかった。俺の頭の中にいるのは、いつも笑顔の君なんだ。

           ・

「ねぇ、パパ。ママってどんなひとだったの?」
 愛おしい娘の髪を不器用ながらに結んでいると、そんなことを聞いてきた。
「んー、可愛い人。しっかりしてるようで、ちょっと天然」
「ママかわいいよねぇ」
 そのママとそっくりな顔で笑う。全く、将来が心配だ。
「ママが何ー?」
 キッチンから顔を出してにこにこと笑う君。
「パパとむうちゃんのないしょのおはなしー!」
「えーずるい!ママも混ぜて!」
「だめ。夢生とのないしょだから」
 仲良いのはいいけどさぁ!と言いながら君はまたキッチンに引っ込んだ。

 あの日、風心のお母さんから、風心が俺との待ち合わせに向かう途中で交通事故に合い意識不明で助かる確率も低いと言われた。花火の音だけが俺を包み、なにも考えられず、ただただ風心の元へ急いだ。
 沢山の管と包帯に包まれ横たわる姿に立ち尽くしたのを覚えている。着ていたであろう浴衣は血に染まり、髪飾りは割れてしまっていて。もう二度と目を開けない予感をさせる真っ白な顔。
「ふ、う……」
 なんとか絞り出した彼女の名前も、掠れて音にならなかった。いつも思っていた。そんな男と付き合うくらいなら俺にしておけと。君が、何度も大切にしたかった人に傷つけられ泣いているのを見てきた。俺に気付いて欲しかった。1番君を守れるのは…俺だと思っていた。
 迎えに行けばよかったと思った。花火がキレイに見える穴場にしていれば良かった。いや、そもそも花火大会になんて行く約束をしなければ。俺と、恋人になんてならなければ。そんな思いが募って、触れたくて触れたくて仕方がないのに、俺はただ小さく呼吸する風心を見ているしか無かった。
「声を掛け続けてください。必ず届きますから」
 医者の声に何も考えられなくなっていた頭が働き出した。風心の家族が必死に声をかけている。俺は風心の手を握り締めた。
「風心。俺はここだよ」

「あの時ねはっきり聞こえたの。風真の声だけはっきり。家族の声もお医者さんの声もまーったく聞こえなかったのに、風真の声だけ届いたの」
 夢生の着替えを手伝いながら懐かしそうに話す君。
「その時何故かすごく泣きたくなった。風真はずっと、側に居てくれて、俺がいるよって言ってくれてたのに、それに気づかずにいたから。きっと、たくさん傷つけちゃったと思って」
 気にしなくていいよと笑ってみせる。
「近くに居すぎて気づけないなんてね」
「今、俺の側に居てくれてるからいいんだよ」
「むうちゃんもいるもん!」
 俺と君の間にいる可愛い娘。
「奇跡だよなぁ」
「ほんとにね」
 二人で抱き締める。幸せが溢れた。

 二度と目を覚まさないかと思われた。医者にもあと数日意識が戻らなければ覚悟してくださいと言われた。そのくらい風心は危険な状態だった。でも、手放したく無かった。居なくなるなんて考えられなかった。一人にしないで欲しかった。何があっても、振り向いて貰えなくても、俺が1番君を想ってることを、一生かけて伝えたかった。だから、何度も何度も呼んだ。
「むうちゃんは奇跡なの?」
「そうだよ。パパとママの宝物」
 大学に無事行けて、結婚して子供ができて、今当たり前のように過ごしているこの日々が奇跡で。
 今でも夏の花火の音は苦手だ。あの時のことを鮮明に思い出すから。でも、あえて毎年家族で出かけていく。風心や、夢生が、自分でさえ、ここに存在していられることが素晴らしいことなんだって思えるから。その思いを忘れないために。
 風心の手を握り締め続けていたあの日々でさえ、思い浮かぶのは風心の笑顔ばかりで、今にも起きて何しているの?と、笑いかけてくれそうで、その笑顔に救われてきた俺だから、君の1番であるために、今日を大切にする。

「ねっ!来年もまた、皆で花火見ようね!」
 そう言って笑う君。
「愛してるよ」
 どうしても伝えたくなった。君は驚いたように目を少し見開いた。そしてすぐに嬉しそうに細める。
「ずっと?」
「もちろん。ずっと」
 まるでこれからの俺達を後押しするかのように、夜空に大輪の花が咲いた。


                ・Fin・
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