愛人

鈴江直央

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短編

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 小さく息を吐くと湿った空気が白く広がった。ついこの間まで半袖だったのにあっという間に気温が下がった。もうそろそろマフラーを引っ張り出して来ても良いかも知れない。
「ただいま」
 家の中の者に声をかけつつ片手にぶら下げていたビニール袋を置いた。
「おかえり!」
 キッチンから顔を出して笑いかけてきたのは同居人である。
「今日寒かったよね。ほらほら温まって」
 さり気なく私の持っていた荷物を全部持ってリビングへと招かれた。
「ココアがいい」
「熱くて甘いやつね」
 分かってるよと笑って同居人はキッチンへ戻って行く。あの同居人とはもう数年の付き合いだが、彼は稀に見るクズ男だ。女の子を取っ替え引っ替えして遊んでいるし、仕事もしておらず私の所に居座っている。出て行く気は無いらしい。
「はいどうぞ」
「ありがとう」
 かくゆう私も彼と大差ない。悪い男に目を付けられがちで一時期破産するところだった。元々貢ぎ体質なのもあって癖のある人しか寄ってこない。
「ねぇねぇ、今日の晩ごはん何にしよっか?」
「温まるもの」
「お鍋とか?」
「ありだね」
 そんな何気ない会話を心地よく感じる。私が彼を追い出さないのは、一緒にいて楽だからだ。お互い都合がいいのだ。互いのことにはよっぽどの事が無い限り口を出さない。仕事は私が、家事は彼がやる。せめて仕事をしてくれたらと思うが最近は大して気にならなくなった。体の関係はあっても恋人期間は無い。どことなくそこに踏み込むとこの均衡が崩れる気がしてるから。
「ねぇ、あのさ」
「ん?」
 彼は時々こうして声を掛けてくる。この時は大抵、
「ううん。なんでもないよ」
 そう言って微笑むだけ。
 互いにずっとどこか遠慮したまま、これからもきっと時は過ぎて行く。

            ・

 久しぶりに会社の飲み会に参加したら同期が口裏合わせた飲み会と言う名の合コンだった。
「ほんっとにごめん!今日だけでいいから!」
 トイレで手を合わせ頭を下げられ、断れない雰囲気になる。
「奢ってくれるならいいよ」
 同期は快く承諾してくれた。今日は同居人も帰ってこないらしいから、ご飯も食べられるし時間潰しにはなるだろう。
 席に戻ると私は場の雰囲気に合わせて軽く自己紹介だけ済ました。気がつくと結構飲んでしまったのか、お開きムードの中1人の男にしつこく声をかけられていた。
「帰るので」
「もう一軒くらいいいじゃん~」
 馴れ馴れしく肩に腕を回され、うんざりする。周りも酔っているのではやし立てるばかりだ。
「行かないって言ってる」
「なんで?俺と話すの楽しいよ?」
 どこからそんな自信が湧いてくるのかと殴りたくなるのを堪えつつ、腕を振り解こうとするも圧倒的な力の差でずるずると引きずられる。
 ふと、同居人が女の子と腕を組んで歩いているのが見えた。そう広くない街だ、こういう偶然も稀にある。その姿を見て急激に冷静になった私は抵抗を辞めた。
「お、行く気になった?」
 気持ち悪い笑みを浮かべながら話しかけてくる男に満面の笑みを見せる。
「嫌だつってんだろ」
 遠慮も手加減もせず股間を蹴り上げた。男は声にならない叫びを上げてうずくまる。同僚やその他の人たちが何か言っているのを無視して走って帰宅した。
 何度もああいう光景は目にしてきた。なんなら部屋に女が居た事もある。なのに何故、こんなにも苛立っているのか。気付かないふりをしていたのに。気付きたくなかったのに。
 あぁ、もっと早く、居心地がいいと思ってしまった時から、追い出すか私が彼の元を離れたら良かったんだ。好きになってしまったら何かが壊れると怖くて、踏み出せない私は彼の何かにもなれない。
 一度帰宅したものの、帰ってきた彼に合わす顔がなく、私は暫く友人の家に泊まる事を連絡してスマートフォンの電源を切った。

            ・

『暫く友人宅。家の事よろしく。』
 だいぶ肌寒くなった夜の街を昨日とはまた違う女の子と並んで歩いているとそんな連絡が入った。珍しいなと思った。あの子が友人の所に行く時は大抵失恋した時か仕事で相当苛ついたことがあった時だ。最近彼氏の話や恋愛話しは聞いていないから、後者だろうか。
「何だあの女っ!」
 ふと聞こえてきた男の喚き声にそちらに目をやると、顔面蒼白で股間を抑えながら怒り狂ってるやつがいた。
「うわ、何あの人ぉ」
 隣の女の子が嫌そうに眉をしかめる。
「お前の同僚とか言ってたよな。慰謝料請求するって言っとけよ」
「そんな、あんたがしつこいからでしょ!あたしは関係ない!」
「うるせぇ!」
 女の肩を乱暴に押して怒鳴っている男があの子の名前を口にした。思わず足が止まる。
「あんな楽しくなさそうなやつ願い下げだわ。この俺が楽しませてやるって言ってんのに逃げやがって」
 あの子の名前は割と珍しい方だから、あの男の言う女はあの子で間違いないだろう。また変な男に捕まったらしい。これは逃げたくもなる。が、友人の所に行くほどの事か?とも思う。男運の無さからこういう目には割と合っているはずなので、帰ってきて愚痴を吐く位で済みそうなものだが。
「ねぇ、どうしたの?行こ?」
 隣の女の子が上目遣いで言った。しかしそれよりもあの男をどうにかしないと気が済みそうにない。
 誰だと問われ答える義理はないと言い、一発食らわせた。
「俺の女泣かせたら許さないから」
 おそらくあの子に蹴られたであろうすぐ後に見ず知らずの男に殴られるなんて思いもしなかっただろう。満足して帰ろうとした矢先、女の子から声が上がる。
「ちょっと、どこ行くの!?」
「ごめんね。気分じゃ無くなった」
 ぱちんと弾ける音がして、じわりと頬が熱くなってから叩かれたのだと気づく。
「サイテー」
 これまで何度となく聞いた女の子の捨て台詞。去っていく後ろ姿を見つめながら呟く。
「知ってる」
 それでもあの子は『バカじゃん』の一言でどうしようもない自分を部屋に置いてくれている。
「あー、さみぃ」
 早く帰ってこいよ。と返信しておいた。

            ・

 あの子から連絡があってから2週間経ったある日。
「こんにちは!引越業者です!」
 急に家に押しかけてきた引越屋はあの子の依頼だと言い、テキパキと荷物を詰め始めた。
「ちょっと待って、あの子は?聞いてないけど」
「一緒に暮らしている人は家族でも恋人でも無いと仰ってました。だから何も教えるなと。こちらとしましてもお客様の個人情報を話すわけにもいかないので、すみません」
 訳がわからず電話してみた。しかし繋がらなかった。混乱して呆然としている間にあの子の荷物は全てトラックに積まれ、爽やかな笑顔のお兄さんと共に去っていった。去り際に渡された手紙だけを残して。

「急に決めた事なのでびっくりしたと思います。
 何も相談も話もしなくてごめんなさい。
 だけど、私と貴方との関係なら、それも必要無かったのかも。
 引っ越した理由は主に2つ。
 1つ目は会社の意向で地方の部署に移るから。
 2つ目。
 貴方の事を好きだと自覚してしまったからです。」

 思わず顔を上げた。何となく、この2つ目の理由を書くのに少し時間がかかったのではないかと思った。不器用なあの子の事だから、意を決して包み隠さず書こう、と言った感じがした。不安のような高揚のような不思議な感覚になり心臓が早く動き始めた。

「必要な時に、気分が乗ったときに、側にいる都合のいい関係が心地よかった。
 だけど、この前街で貴方と女の子が並んで歩いていて、
 あぁ、私はどうしようもなく貴方が好きなんだと、
 本当は私があの子の様に貴方の隣を歩けたらと、
 心の何処かで思っていて。
 それでも家から出て行かない、貴方は私の所に居てくれると自惚れていました。
 でも、好きだと自覚してしまったら、もう側には居られないとも思いました。
 貴方が、一人の人をずっと想い続けた試しは無いですから。
 貴方の事を恋人以上に、家族のように居心地がいい人だと思っていました。
 お互いに良く知り合った仲ですが、お互いに踏み込まない分、
 知らない事の方が多い気がします。
 長くなりました。私の気持ちだけをぶつけて逃げてしまったこと、
 貴方と向き合う勇気が出なかった事、本当にごめんなさい。
 元気で。さようなら。
 PS・家賃は3ヶ月先まで先払いしてます。その間に自分でどうにかしてください。」

 女の子は楽だと、扱いやすいと思っていた。甘い言葉をささやいて、気持ちよくしてあげればある程度の事は都合がつくし、クズ男だと分かると勝手に離れて行ってくれた。女の子は好きだったけど愛したことはなかった。なのに、あの子は少し違っていて、
「また女の子泣かせたの!?バカじゃん?」
「仕事?家賃?もういいよ。その代わり家事やって」
「女は連れ込むな!私が刺される!」
「寒い。ココア入れて。熱くて甘いやつ」
「また変なやつに絡まれた。何でなの?」
「あのさって、何?」
「一緒に寝るの?…子どもみたい」
「おかえり」
 ぶっきらぼうで働き者で、時々見せる笑顔が頭の中をかけて行った。
 気付かないふりをしていたのは君じゃなくて…
「俺の方だ」

            ・

 引っ越してから1年。あの合コンの後出社すると、同期が私を他社と揉め事を起こしたと批判し、私は会社を辞めざるを得なくなっていた。今考えるとひどい話だが、あの時は彼から逃げることで頭が一杯でありがたいとさえ思った。その後は地元に戻ってきて夢だった小さなカフェを経営している。
「いらっしゃいませ」
 扉の鈴が軽快に鳴り、お客さんの来店を告げる。私は反射的に声をかけ、その人の顔を見て固まった。
「一人です。席はどこでも?」
「…は、い。どこでも、お好きなところに」
 引越し先は告げていない。連絡先も消した。会社も辞めている。なぜ、どうしてばかりが頭の中に浮かぶ。
「ホットココア1つ。甘めでお願いできますか?」
「はい…」
 声が震えそうになって、急いでキッチンに逃げ込む。やっとの思いで出来たココアを持って行くと彼は嬉しそうに飲み始めた。
「今日は寒いから、温かいものが美味しいですね」
「そう、ですね、」
 彼の意図が分からなくて、なんと言えばいいのか困る。整ったきれいな顔立ちを覆っていた長めの髪はさっぱりと切られ、今まで見たことの無いスーツ姿にどきりとする。
「今日は、いつも言えなかったあのね、の続きを言いに来た」
 ココアを飲み終えると彼はゆっくりと私の目をまっすぐ見つめ言った。
「ねぇ、あのね、」
「…うん?」

「結婚しようか」

            ・

 数年後。私達は元のアパートで元のように二人で暮らしいてる。前と違う事と言えば、お互いの左手の薬指が埋まった事や、彼が社長で毎日勤勉に働いてる事、私のお腹の中に小さな命が宿っている事、などだろうか。
 私が居なくなった1年間、彼は元々趣味でやっていた副業のようなものを自分の会社として立ち上げ、女性関係の事柄を一掃し、私の居場所を探していたのだと言う。
「遅くなってごめんね」
 と、彼はよく言う。
「諦めてたし待って無かったから、サプライズみたいで嬉しかったよ」
 そう言うと彼は嬉しそうに笑った。
 彼の会社のビルの一角を借りて私のカフェ営業も続いている。温かい毎日だと思った。
「寒いねぇ、ココアいれてもらえる?」
 仕事の合間に顔を出してくれる彼は相変わらずだ。
「いいよ。暖かい甘いやつね」
 また貴方の入れたココアも飲ませてねと告げ、笑い合う。
 どんなに寒くても二人のペースで歩んで行けそうだと思った。

           ・Fin・

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