婚約破棄された令嬢は、護衛騎士に愛されていたようです

桜月みやこ

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 ソレル殿下はよく通る声で、しっかりはっきりと、ビシッと私に指を突きつけながら仰った。

 人を指さしてはいけませんって幼稚園で……
 あ、幼稚園なかったわ、この世界。

「ローズマリー、君との婚約を破棄する!」

 はーい、知ってまーす。
 というか待ってました!

 笑いそうになるのを堪えて、でも、少しだけ哀しみを抱えて、私はそっと俯く。
 周りから見たらきっと悲し気に見えるだろう表情を作って、仕上げに涙を一粒ポロリ。


 婚約破棄イベントの定番である学園の卒業パーティーの場。
 突然の宣言に静まり返っていたその空間に、私の涙が見えたらしい人達からざわめきが広がっていく。


 ざわめきが大きくなる前に、私はゆっくりと顔を上げる。
 たっぷり間を取って、浅く息を吸ってから、少しだけ声を震わせて──

「……承知、致しました」

 ドレスの裾を持ち上げて、片足を斜め後ろに引いてから反対側の膝を曲げて、ソレル殿下に跪礼をして。

 そして姿勢を戻すと、そのまま踵を返してパーティー会場の入口へと向かう。
 一瞬だけ、最後に姿を見ておきたくて視線が反れてしまった事は見逃して欲しい。
 だってきっと、その姿を見られるのはこれが最後だから。


 無事に婚約破棄された喜びで走り出したいような逸る気持ちを抑えて、ゆっくりと歩く。
 ショックを受けているけれど、気丈に耐えているように見えるように、きゅっと唇を引き結んで。

 そして扉の前で一度会場へと向き直ると、もう一度ドレスの裾を持ち上げて軽く礼をする。
 皆さま、お騒がせして申し訳ございません、の礼だ。

 戸惑いつつも扉を開けてくれた学園の警備担当者に小さく目礼すると、ビシッと見事な敬礼を返してくれた。
 良いのに。単純にお礼なんだから。
 元日本人だから、その辺どうしたって「当然です」と素通りする事が出来ない私は、世間からは少し変わり者の令嬢扱いだ。

 扉を出て、遠慮がちに閉じられたのを音で確認すると、私は小さく「よっしゃ!」と拳を握った。



 私はローズマリー・シブレット。
 公爵家の長女で、ついさっきまで、ここアローカリア王国の第一王子であるソレル殿下の婚約者だった。

 今まで私たちが学んでいたこのウェデリア学園で、ソレル殿下はヒロインであるロベリア嬢と恋に落ちた。らしい。

 私はこの卒業パーティーでその婚約が破棄される事も知っていたから、別にショックでも何でもない。
 むしろ全く好みではないソレル殿下の、つまらない話の相手を務める事すら面倒だったのでようやく晴れの日を迎えられた! という気分。

 何で知ってたかって?
 それはもうあれです。

 異世界転生 というやつです。


 五歳の頃に、少しお転婆だった私はよじよじ登ってみていた庭木(低木)から落っこちた。
 その時に頭をごいーんと打ってしまって、そして目覚めた時には全てを思い出していた、というワケ。

 前世の私は日本人で、そしてどうやらここはその前世で、友人がハマっていた乙女ゲームの世界らしいと気付いた。

 大事なことなので二回言います。

 友人がハマっていた乙女ゲームの世界、です。

 そう。私はそのゲームをやった事がなかった。
 友人が「○○様がステキで~~」だとか「悪役令嬢がイラつく~!」だとか毎日のように言っていたから、諸々の名前を憶えてはいたけれど、攻略対象者毎のストーリーだとかはほとんど知らない。
 ウェデリアという学園を舞台に、何やかんやあってヒロインが幸せになる物語、という大雑把な認識しかなかった。

 木から落っこちた時には既に私と殿下の婚約は成っていて、だからこそすぐに気付けたワケだけど──
 婚約していなかったら、その時点では気付けなかったかもしれない。

 友人がゲームの内容をぺらぺらしゃべっていたから、登場人物の簡単なプロフィールくらいは知っていた。
 だから国の名前と自分と殿下の名前、そしてウェデリア学園という存在から、どうやら私はそのゲーム内での殿下の婚約者の、いわゆる悪役令嬢なんだと気づいた。
 そのあともさりげなく情報収集をして、攻略対象者と同じ名前の人物が存在している事を確認して、確信したってわけです。

 いや~、でもゲーム知らないし、殿下はちっとも好みのタイプじゃないから、殿下の為にと自分を磨いたり、殿下を恋い慕うあまりヒロインに嫌がらせしまくったりなんて事はどう頑張っても出来そうになかったので。

 全部放棄して、何もしませんでした!


 何もしなかったから、殿下の私に対する印象がマイナスに振り切れる事はなかったみたいだけど、だからと言っていつでもつまらなさそうにしている婚約者に惚れるかと言ったら、それもなかったようで。

 ヒロインが別の人のところに行ったらどうしよう?
 もっと積極的に殿下に嫌われに行った方が良いのかしら??
 と思った事もあったけど、理由もないのにわざわざロベリア嬢をいじめるのも嫌だったので、暫くは様子を見てみよう、という事にして。
 そして順調にヒロインに対する好感度が上がって行っているらしい殿下を見て安心した。

 他の攻略対象の方々とも満遍なく仲良くなっているようだと知った時は、殿下に走ってくれる事を全力で祈願したものです。
ロベリア嬢が殿下と違う人とくっついてしまったら、私は殿下と結婚しなければならない。

 それはどうしても避けたかった。
 だって本当に殿下の事好きでも何でもないし。
 ──他に好みの人がいたし。

 なのでロベリア嬢が無事に殿下ルートに入ったらしい、と確信した時は思わずワルツを踊りたくなったりして。

 ヒロインに嫌がらせなんてしていなかったから、本来は『断罪イベント』となるはずだったであろう卒業パーティーも、ゲームの強制力とやらでありもしない罪を被せられたらやだな~なんて心配していたけど、ただの『婚約破棄宣言』で終わったのもまた一安心。

 まぁでもとりあえずは家に帰って両親に婚約破棄されちゃいました~って報告しないとね。
 その後は……今までも考えてはいたけれど、『断罪』されてしまう可能性もあるし──と決め切れずに来たこの先の身の振り方を早めに確定させないと。

 殿下から婚約破棄された令嬢なんて、きっと色々面倒だから誰も見向きもしてくれないだろうな、と思う。
 これが歴代の悪役令嬢たちであれば実家で領地経営の手腕を発揮してバリバリキャリアウーマン化してみたり、実は貴女が好きでしたって颯爽と攫ってくれるどこぞのイケメンにあれこれ奪われてみたりするのかもしれないけれど……。

 残念ながら我が家には超絶優秀な弟がいて、既に父の右腕として手腕を発揮している。
 ちなみにその弟もウェデリア学園に在学していて、あのパーティー会場のどこかにいたはずなので多分もうすぐ追いかけてくるんじゃないかな。

 実は貴女が好きでしたパターンも、残念ながらありえないと言い切れてしまう。

 自分で言うのも何だけど、前世があるから許して下さい。
 一応ゲームのキャラクターなので、ローズマリーは美人なんです。

 愛想を振りまけばかなりモテると思う。しかも中々に良い身体をしている。
 前世の私はBカップだったので、ひそかにローズマリーの胸の感触を楽しんだりなんて……しました、ごめんなさい。
 ふにふにです。超気持ちいいです、Dカップ。
 Eカップならゴロが良かったのに……もっと上げて寄せればいけるかしら、Eカップ。


 だけど、子供の頃に前世を思い出してしまって、そこから十年以上殿下の婚約者をやらなければいけないし、婚約破棄されたらされたで扱いに困られてどっかに引っ込むしかないだろうし──
 なんて思ったら、何かこう……色々と無気力になっちゃいまして。
 無気力と言っても、それは主に対人関係に関してで、淑女の何たるかとか王妃教育とかお勉強とか、そういうのはちゃんとやりましたよ。

 万が一断罪されてしまった時の事を考えると色々辛くなりそうなので社交界で親しい友人も作らず、学園でも基本的には一人でマイペースに過ごしていたので……
 あれ。もしかしなくても私ってかなり寂しい子?
 ──まぁそんなワケで、密かなる想いを寄せられるような事を何もしていないので攫われるパターンはほぼない。ちょっと寂しい。


「姉さん!!」

 あ、来た。
 私はゆっくりと振り返る。

「フェンネル、パーティーは良いの?」

「……うん、知ってたけど、もう少し何とかしなよ」

 盛大に呆れを含んだ視線を送られて、私はへらりと笑う。

 そう、優秀な弟にはとっくの昔に私が婚約破棄される事を待ち望んでいる事なんてバレていたようで、多分緩んでしまっている顔を何とかしろと言っているのだろう。

「とりあえず家の馬車待たせてあるから、帰ろう」
「はぁい」

 自然と手を差し出してくる弟に自分の手を預けて、ゆっくりと歩く。

「お父様とお母様、怒るかしら」
「殿下にね」
「私、やっぱり暫くは傷ついたフリをしようと思うの」
「引き籠ってお菓子ばっかり食べるのは禁止だよ」
「え!? 少しくらい良いわよね? 一日三回は甘い物食べないと死んじゃう身体なのよ、私」
「出歩きもせずに毎日三回も甘い物食べてたら、どうなるか分かってる?」
「……うん、まぁ、そこは……適度な運動を心がけますので、何卒……」
「一日一回」
「せめて二回!」
「ダメ、一回──暫く傷心を理由に引き籠っても良いけどさ……その後、どうしたい?」

 フェンネルの問いかけに、私はうー、と唸る。

「分かってるのよ、お荷物だって。だけど、殿下から婚約破棄された女なんて誰も貰い手ないでしょう? だからっておじーちゃんの後妻とか、変な趣味持ってるおぢさんとかに貰われるのは嫌だし……」
「いや、別にお荷物でもないし、そんなとこにもかせないから」
「フェンネルがいるから家の事で私がやれる事なんてないし……やっぱり修道院が妥当なところかしらね?」

 こてんと首を傾げると、フェンネルが驚いたように私を振り返る。
 あら、滅多に見ない表情だわ。

「修道院?? 本気で言ってるの?」
「割と本気よ。何でそこまで驚くの?」

 フェンネルだって案の一つとして考えなかったわけではないだろうに、と思ったけれど、驚きっぷりを見るにフェンネルの案には本当に入っていなかったのかもしれない。
 お姉ちゃんもビックリです。


「──彼の事は、良いの?」

 ぽつりと聞かれて、私は苦笑する。
 やっぱり気付かれていたか、と。

「だって、どうしようもないでしょう?」

 私の好みの人。
 最初は、単純に見た目だったと思う。

 見た目が好み。
 無駄なことをしゃべらない、寡黙な感じも好み。
 何せ殿下が俺ってカッコいー的な話を延々してるような人だったので。

 そこから少しずつ惹かれて……気が付いたら好きになっていて。
 あまり表情が動かないのに、たまーに、本当にたまーに見せる「今笑ったの?」みたいな仄かな笑みが大好きで。
 いつか私にも笑って見せてくれないかな、というのが最大の願望だった。

 けれどこんな気持ちは絶対に知られてはいけないと、むしろ彼には特別素っ気なく、ろくに会話も交わさずに来た。
 きっと彼にとって私は『自分が仕える主の元婚約者』以外の何者でもないだろう。

 それなりに夢を見てみた事もあったけど、彼が殿下に仕えている以上、夢は夢。
 この先彼と私の人生が交わることはないだろう。

「私、なるべく暖かいところが良いなぁ。寒いのは嫌いなのよ」

 きっとこれから私が入る修道院の候補を選んでくれるであろうフェンネルにそう希望を伝えて、それにフェンネルが何か言おうとした、その時──

「ローズマリー様!」

 ぐいっと、背後から腕を引かれた。

「きゃっ!?」

 引かれた勢いで、緩く重ねていただけのフェンネルから手が離れて、私はバランスを崩す。
 転ぶ……! と思った時には、既に背中はとんっと硬いものにあたっていて、転ぶこともなく私の身体はその硬い何かに支えられていた。

「何……」

 振り返って、私は目を瞠る。

「え……? ディル、様……?」


 夢が、そこに居た。
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