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天使と出逢った日 -Side Ghislain-

03.

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気が付けば、外はすっかりと日が落ちているようだった。
荒い息を繰り返してぐったりとしている彼女にさすがにやりすぎたと反省しつつ、俺のコートでもかけてやろうと横に放り投げてあったコートに手を伸ばしたその時、小屋の片隅にある暖炉が目に入った。
最初に点けておくべきだったと反省しつつ、魔法を唱えて暖炉に火を灯す。

ぱちぱちと爆ぜる炎を眺めながらノエルを抱き締めていると、息が落ち着いたらしいノエルが俺の腕の中でもそもそと身じろいだ。
腕を緩めると、ふとノエルの視線が暖炉に向いて不思議そうに首を傾げたのが分かったから、こめかみに唇を寄せながら「点けておいた」と告げて抱き寄せ直す。
嬉しそうに俺の胸に頬を摺り寄せたノエルに「ありがとう」と言われて、貪るように抱いてしまった俺に礼など言う彼女のその優しさに、その可愛さに、叫び出したい程の愛しさと罪悪感を覚えてぎゅっと抱き締める。

「礼を言うのは俺だ──助かった。そして、すまなかった……その、随分と無理をさせた……」

そう詫びれば、ノエルは明るく笑って「気持ち良かった、すっきりした」などと言ってくれた上に「私こそ、利用しちゃってごめんなさい」と顔を曇らせた。
全ては愚かな俺のせいだというのに、なぜノエルが謝るんだと「ノエルは何も悪くない」と伝えたが、それでもノエルはごめんなさいとありがとうを繰り返す。
俺もすまないありがとうと返していたが、ふいにノエルがクスクスと笑い声を上げた。

「何か、これじゃ終わりがないね」
「あぁ……そうだな」

可笑しそうに笑うノエルにつられて苦笑を返すと、ノエルが甘えるように俺の胸に頬を擦り付けて来る。
あぁ、可愛い。
ずっとこのまま過ごせれば良いのに、と思っていた時、ノエルが身体を起こそうとしたので慌てて抱き締める。

「どこへ行く?」

少しばかり声が低くなってしまったせいか、ノエルが僅かに狼狽えた。

「いえ、あの……身体、拭きたいなぁって……」
「あぁ」

そういう事かと頷いて、俺は即座にノエルと、ついでに自分にも洗浄魔法をかけた。
途端にノエルが丸い目を更に丸くさせている。
あぁ、そんな表情も堪らなく可愛い。
可愛いが、目がぽろりと落ちてしまわないか心配になる。

そんなに驚く事でもないだろうと思ったが「魔法なんてあまりお目にかかれない」と言われて、そういえば魔法を扱える資質を持つものは貴族に多い、という話を思い出した。
王都の周辺では貴族でなくとも魔法を扱える者はそこそこ見られるが、地方となるとほとんどいないのかと、俺はその事に驚く。
俺も貴族の内ではあるが、母が平民であった為かあまり使える魔法は多くないし、その威力も大したものではない。
だがノエルはそんな俺をすごい、カッコイイと、きらきらと瞳を輝かせて見上げてくる。

──あぁ、本当に可愛すぎる。何故こうも可愛いのか。

堪らなくなってノエルを押し倒すと、ノエルは戸惑ったように僅かな抵抗を見せたが、俺はそんなノエルの中に強引に入り込む。

夜が明けてしまえばこの小屋もノエルも、全て掻き消えてしまうのではないかと不安に襲われながら、俺はノエルの肌のあちこちに痕を残しながら、もう一度ノエルを隅々まで味わった。


❊❊❊❊❊ ✽ ❊❊❊❊❊

眠るつもりはなかったが、少しうとうととしてしまっていたようだった。
腕の中でノエルが身じろいだ事で覚醒した俺は、腕の中のノエルをじっと見つめる。
ぼんやりとした、髪と同じキャラメル色の目が俺を捉えて、そして少ししてその目が驚いたように見開かれた。

ノエルも朝になったら俺が消えているとでも思っていたのだろうか。
だが恐らくは俺がノエルに対して危惧したような、天使が空へ戻ってしまうのではないか、というような事ではないだろう。
彼女一人残して立ち去る様な薄情な男だと思われたのかと思うと、少しばかり面白くない。

「町まで送って行くくらいはする」

そう伝えれば、ノエルは途端に慌てたようにぱたぱたと手を振った。

「え? いや、それはちょっと……目立ちそうだし大丈夫デス」
「しかし……」

町はすぐそことは言えここで放り出すような真似が出来るかと思ったが、ノエルから「アルイクスを探すなら手伝う」と言われて、俺はぐっと言葉を飲み込んだ。

あぁ、そうだ。
俺の任務は、アルイクスを見つけて陛下の元へお届けする事──

もしも追手が迫っていたとしたら、ノエルまで巻き込みかねない。
あまり時間はないかもしれない。

だが離れたくない。
このまま、せめてあともう少しだけ──

そう願ってしまう己の心に必死で蓋をして「頼む」と伝えると、ノエルは任せろとばかりに可愛らしく微笑んだ。


アルイクスはそう簡単には見つからないだろうから早めに出て探そうと提案されたので、それならばとすぐに出発しようとしたが、立ち上がろうとしたノエルがかくんとその場に座り込んでしまった。

やはり相当に無理をさせてしまったか。
何故俺は回復魔法がからっきしなのか……。

自己嫌悪に陥りながらノエルを抱き上げると、ノエルが「おんぶで良いんですけど!?」とじたばたと暴れ始めた。
背負ってはノエルの可愛らしい顔が見えなくなるじゃないかと、俺はノエルの言葉を無視してノエルを抱き上げたまま小屋を出た。

そうしてまず、すっかりと置き去りにしてしまっていたネージュの元へ向かう。
忘れていたわけでは……いや、昨晩はすっかりと抜けてしまっていた事は認めよう……。すまない、ネージュ。

昨日「待っていてくれ」と伝えたその場で、ネージュは待っていた。
一度ノエルを下ろして、すまないと鼻を撫でてやるとネージュは甘えるように鼻を擦り付けて来る。
と、ノエルが「昨日は気付かなくてごめんなさい」と言いながらネージュに手を伸ばした。
はっと息を飲んで、咄嗟にネージュの手綱を握る。

何故かネージュは俺にしか懐かない。
俺以外が触れようとすると嫌がってひどく暴れるのだが──そんなネージュに、ノエルが触れた。
ネージュも少し不機嫌そうではあるものの、暴れる事もなく、その上ノエルに答えるように鼻を鳴らしている。

あぁ、やはりノエルは天使だ。
あのネージュが嫌がりもせずに身体を撫でさせている。

俺は震えそうになる声を、何とか絞り出した。

「気にするな、と言っているようだ」
「そう……? 本当にごめんね、ネージュ」

ネージュを撫でるノエルの姿に、俺はネージュに鼻先で突かれるまで感動に心を震わせていた。


その後ノエルの案内で森の奥まで進んだ。
アルイクスらしき草を見つけてもノエルは即座に「違う」と首を振る。
途中何度かノエルが足を止めて草をじっくり眺める場面もあったが、慎重に、どうやら花弁を観察しては「違ったわ」と首を振る。

間もなく日が真上に来るか、という頃。
ふと足を止めたノエルがはっと息を飲んだ。
そうして駆け出したノエルが、ぺたりと地面に座り込む。

「ノエル……?」

まさか、と思いながら、ノエルの横に膝をつく。
ノエルはそれまでと同じようにじっと目の前の草を見つめて、そして葉を、花弁を、確かめるように指先で角度を変えて観察する。
程なくして、ノエルがふーっと大きく息を吐いた。

「ジスラン……多分大丈夫だと思うけど。もしモドキだったらごめんなさい」
「──そうしたら、今晩もあの小屋に世話にならなければな」

俺がそう答えると、ノエルは「今晩はベッドで寝たい」と苦笑を零した。

そうしてノエルはゆっくりと茎を摘まんで──くっと指先に力を入れた。

「……あぁ……」

詰めていた息とともに、声が漏れる。

俺の時のように、折れた茎から液体が飛び出してくる事はなかった。
ノエルもほっと息をついて、そうしてその細い指でアルイクスを根ごと引き抜く。
丁寧に土を払い、取り出したハンカチにアルイクスを包むノエルを、どこか呆然と眺めた。

「ジスラン」

呼び掛けられて、はっと我に返る。
そうして差し出されたハンカチを、震えそうになる手で受け取る。

「本当に助かった。大切な方の為に、どうしても必要だったんだ」

──これで、陛下をお助け出来るかもしれない。
そう思うと、安堵感から僅かに身体から力が抜けたような気がした。

「だったら早く帰らないとダメじゃない。王都までって何日もかかるんでしょう?」

ノエルからそう言われて、ほらほらと背中を押される。

あぁ、遂に別れの時か、と思ったその時、ノエルがそうだと声を上げた。
「アルイクスの花弁は女の人にあげると良い」と言われて、俺は即座にその花弁をちぎって自分のハンカチに包んだ。
アルイクスを移し替えてノエルのハンカチに花弁を包んで返した方が良いかとも思ったが、ハンカチ一枚程度ならばノエルとの思い出のよすがに貰っても構わないだろうかと、気付かぬふりで自分のハンカチに花弁を包んでノエルに渡した。

渡した際に「どうせガサガサよ」などと拗ねたように言われたものだから、慌てて「ガサガサなんかじゃない。ノエルは可愛い」と訴えたが、ノエルはどこか悲しそうに「ありがとう」と微笑むだけだった。
本当だと、その柔らかな頬に口付けて抱き締めたい衝動を必死に抑え込む。

今ここでその身体を抱き締めてしまえば、きっと俺は帰れなくなる。
陛下が、近衛の仲間達が、俺を、アルイクスを待っているんだとそう己を叱責して、俺はぐっと拳を握りしめた。


ネージュが怒らないならばと、帰りはネージュに二人乗りをして一気に森を抜けた。
ノエルを抱える腕に力を込めて、俺の胸に凭れているノエルの柔らかな身体を、温もりを、香りを、記憶する。

このまま連れて帰ってしまいたい。
しかしもしアルイクスが効かなかった場合、
そして陛下の御身に万が一の事が起こってしまった場合、
志願して陛下の近衛となった俺が無事でいられる可能性はない。

先の見えない俺にノエルを付き合わせるわけにはいかない。
そもそもついて来て欲しいと請うたところで頷いて貰えるかも分からないが──


少しでも長く共に居たいと願っていても、慎重に小さな薬草を探しながら歩いた行きとは違いあっという間に森を抜けてしまう。
何とかもう少し、と「ここまで付き合わせたのだからやはり家まで送ろう」と言ったら、ノエルはぴょんとネージュから飛び降りてしまった。
そうしてよろしくねと声をかけられながら鼻を撫でられたネージュが、あろうことか勝手に歩き始める。
待て! と手綱を引いても、ネージュは涼しい顔で足を進める。
慌てて振り返ると、ノエルは笑顔で手を振っていた。

一緒に王都へ来てくれないか
また会いに来る
待っていて欲しい

──どの言葉も、音にする事は出来なかった。
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