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ルシウスは死後、幸せに暮らした。1
しおりを挟むマーロン帝国の南、ドレウ公国。
繊細な細工を施された貴金属が有名なこの国で、「若いのに良い仕事をする」と最近話題の細工師がいた。
「細工師のネルザン様のいらっしゃる工房はこちらでよろしかったでしょうか」
「はい、私がネルザンですが」
夕暮れ時の工房に、下町には不釣り合いな貴婦人がひとり、訪ねてきた。
留守番をしていたネルザン……ネルザンと名乗り、細工師として働いていたネロが名乗ると、貴婦人は上品に笑った。
「あら。では、あなたがネロ殿でいらっしゃいますか?」
「っ、」
突然、捨てたはずの名前を呼ばれ、ネロは言葉を詰まらせて凍りつく。
けれど数回、深く呼吸を繰り返し、腹に力をいれた。
逸らした視線を目の前の貴婦人に戻して、口を開く。
「……はい。かつて、そう名乗っていたこともございます。……失礼ですが、あなた様は」
ネロの問いかけに、さらりとフードを脱いで顔を見せた女性の顔は驚くほどに秀麗だった。
瞳は冬の湖面のように青く、一つにまとめられた髪は太陽のような輝く金色をしている。
どこか痛みをもたらす色彩に、困惑しながら立ち尽くすネロに、女性は柔らかな笑みを浮かべて、美しい淑女の礼をした。
「私は、ルシウス・アノルウスの妹、ユリアと申します。この度は兄が多大なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。アノルウスを代表してお詫び申し上げます」
「えっ!?ルシウス、様の……!?」
聞きたくはなかった、けれどどこか予想していた名前に、ネロは唇を噛んで視線を彷徨わせる。
複雑な顔で黙り込むネロに、麗しい貴婦人、ユリアは申し訳なさそうに眉を落とした。
「はい。こちらの国でもご立派に暮らしていらっしゃるようで、安心いたしましたわ。兄のせいで苦しい生活をされていたらと思っておりましたの」
「いえ、そんな……!それに帝国で俺……いや、私があれほどの評価を得て、分不相応な暮らしを出来ていたのも、ルシウス、さま、のおかげなのですから」
「あら、そんなことございませんわ」
ユリアの言葉に、慌ててネロは弁明する。
そもそもマーロン帝国でのネロの評価は、ルシウスの助力があってのものなのだから、と。
けれど、ユリアは当然のような顔で否定し、あっさりと首を振った。
「兄が何もしなくても、あなたはきっと成功していらっしゃったと思いますわ」
「え?」
驚くネロに、ユリアはまるで確信を抱いているかのように語る。
「兄の功績は、せいぜいあなたを孤児院に連れて行ったことくらいかと。ドレウ公国でも十分認められていらっしゃいますし、ネロ様のご実力ですわ。兄の助力などなくとも、時間をかければ十分に認められたでしょうし、名声を得られたかと存じますわ。兄の行いは、まさしく余計なお世話以外の何物でもございません」
軽やかな声で紡がれるのは、己の兄への糾弾だ。
ネロは何も言えず、天使のような顔をした少女の酷評を聞いていた。
「ご安心くださいませ。兄にあなたの居場所を告げたりは致しませんわ。あの愚兄の所業には、私も腹に据えかねておりますので」
「愚兄……」
「兄は、頭が回るだけの愚者ですわ」
思わず言葉を繰り返してしまった。
ツンと口を尖らせ、眉を寄せた不満げに語る顔は愛らしいのに、薄桃色の小さな唇から紡ぎ出される言葉は驚くほど手厳しい。
「ネロ様、兄にはね、婚約者がおりますの。ご存知でした?」
「え?いえ」
突然変えられた話題に、ネロは戸惑った。
ルシウスの婚約と自分に、一体何の関係があるのかと困惑するネロを見つめ、ユリアは優しい微笑みを浮かべる。
「兄の婚約者は、コルネリア様とおっしゃって、私たちの帝国の第三皇女様ですわ。お美しく、お優しく、聡明で、嫋やかで、まるで地に舞い降りた天女のような、至上のお方です。私にとって、この世の誰よりも大切なお方ですわ。……けれど、兄は」
歌うように皇女を称えるユリアの目には、これまでにない温かな光が浮かんでいた。
しかし、ルシウスのことに話が及ぶと、忌々しそうに眉を顰める。
「コルネリア様に、ちっとも関心を示しませんのよ。ご自分の婚約者だというのに」
「……」
柔らかな声には、不似合いなほどの怒りが込められている。
憤懣やる方ないというように、薄青の瞳に白い炎を燃やすユリアを見ながら、ネロは返答に困り、無言を通した。
「…… まぁ、それはもう良いのですけれど」
暫くして怒りがおさまったのか、ユリアは少し気まずげに、落ち着きを取り戻して話し始めた。
「ネロ様が居なくなってから、兄は完全に腑抜けで、使い物になりませんのよ。一応最低限の働きはしておりますが、将来アノルウス公爵として国を担うことなど、とても出来そうにありませんの」
わざとらしく頬に手を当てて、困った表情を作ったユリアは、ネロに「どう思われます?」と言わんばかりの目を向けた。
「今の兄は、友が一人消えたくらいで、己のなすべきことをちっとも出来なくなっている、貴族の風上に置けぬ屑ですの。それも己の考えなしの愚行のせいで、なのに。あのような者は、アノルウスの名に相応しくありませんわ」
あっさりと兄の未来を切り捨てて、ユリアは無邪気ににっこりと笑った。
「だから、私、お兄様を殺してしまおうと思って」
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