ファミリア・ラプソディア

Tsubaki aquo

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chapter2

step.12-3 ピアノと酔っ払い

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* * *

「ここ、か……」

 僕は集合住宅の、とある部屋の前で歩みを止めると、ニャン太さんが書いてくれたメモをポケットにしまった。

 玄関の扉には、猫の形をした木製のプレートが下がっていて、『根子』と書かれている。
 確信と共にチャイムを押せば「はいはいはーい、ちょち待ってねー」と中から明るい声が聞こえた。

 ガチャガチャと鍵を開ける音。
 勢い良く扉が開いて、柔らかな生活の光と共に背の高い女性が顔を出す。

 キリッと吊り上がった眉に、化粧気のない切れ長の一重の目。腰まである長い髪は明るい茶色だ。
 テレビの音がした。ふわりと鼻腔をくすぐるのは、苦いタバコの香りだった。

 彼女がお姉さんだろうか。見た目も雰囲気も、ニャン太さんには似ていない。

「こ、こんばんは。夜分にすみません。ピアノ教室の鍵を借りに来ました」

 少し緊張して挨拶をした。
 彼女はサンダルを突っかけ扉を背中で押さえると、目を細めた。腕組みをして、僕のことを頭のてっぺんから足先までジロジロと見てから、顎を少し持ち上げる。

「……へえ。あんたが4号さん?」

「よ、4号……?」

「ああ、ごめん。ええと……デンデンくんだっけ? ニャン太の4番目の彼氏の」

「ええと……そんなとこです」

 僕は曖昧に笑った。
 正確にはニャン太さんの恋人ではないのだけれども。というか、この関係性は彼の家族公認なのか。それがびっくりだ。

「発表会の件、受けてくれて助かったよ。めっちゃ上手なんだって? 期待してるから。……って、3号くんに伝えといて」

「ははは……」

「はい、これ鍵」

 彼女は靴箱の上の小物入れからひとつの鍵を取ると、差し出した。

「朝の9時までに玄関ポストに突っ込んどいてくれればいいから。手間かけてごめんね。
本当ならこっちが頼んでんだし、届けるべきなんだけど――」

「ぅわぁぁああん! ニーニがたたいたー!」

 言葉の途中で、部屋の奥から甲高い子供の泣き声が聞こえてくる。
 彼女は頭をガシガシかくと、大袈裟な身振りで肩を竦めてみせた。

「……ちょっと厳しくて」

「気にしないでください。バイト帰りに寄っただけなので」

「やっさしー。あんた、いい男だね」

「おかーしゃーん! ねぇっ、おがーしゃーーーんっ!!」

「あーもー、すぐ行くってば!」と彼女は背後に声を投げてから、

「じゃ、また。とにかくありがとう。そして、よろしく」

 ニッと人好きのする笑みを浮かべて僕の手に鍵を握らせた。
 子供を育てるのって大変そうだなぁ、なんて思いながらそれを受け取る。

「おやすみなさい」

「……あっ、ちょち待って」

 扉を閉める直前、彼女は振り返った。

「はい?」

「類くん、最近どう? 元気?」

「元気ですよ」

 ……徹夜で死にかけてたけど。と、僕は心の中で続ける。

「そう。……良かった」

 どこかホッとした様子で、今度こそ彼女は扉を閉めた。
 今度は何でケンカしてんの……と、扉の向こうから優しい声が聞こえる。

 ピアノの先生というから、もっとホワッとした……いわゆる、お嬢様然とした女性を想像していたが、違っていた。
 ニャン太さんにあんまり似ていないな、と思ったのは初めだけで、彼女のパワフルさとか、鍵についた可愛らしいキーホルダーなどから家族の繋がりを感じて微笑ましくなる。

 僕は鍵をショルダーバッグにしまうと、一度、マンションに戻った。
 帝人さんとの待ち合わせにはまだ時間があったので、類さんとソウさんと夕御飯を食べる。
 それから、電車でピアノ教室のある最寄り駅へ向かった。

 そこは都心にも関わらず、緑の多い下町然とした場所だった。
 駅前の小さなロータリーにはタクシーが列を作っている。

 僕は駅の外の明るい場所で、本を片手に帝人さんを待った。
 セミが飛んできて死ぬほどビックリして、僕は構内に戻った。改札すぐ横で、さっきと同じように文庫を広げる。

 肌に張り付く夏の風が、夜に垂れ込めている。
 セミの声。近くの飲み屋から聞こえる、酔っ払いの喧噪。

 最終電車を告げるアナウンスが流れて、僕は顔を上げた。
 まばらな人の流れが改札から吐きだされ、薄暗い闇夜に吸い込まれていく。

「伝くん。ごめん、待たせたね」

 声に振り返れば、帝人さんがパスケースを改札に押し付け、出てくるところだった。

「いえ、今、来たところですから」

 僕は文庫をショルダーバックに突っ込み、頭ひとつ大きい帝人さんと並んで歩き始めた。

 すれ違う人がチラリと帝人さんを見る。中でも女性の視線は熱を帯びている。

 彼には、類さんとはまた違った華があった。
 太い眉に、少し目尻の下がった優しげな眼差し。
 広い肩幅に、引き締まった腰元。
 緩くウェーブかかった髪を後ろに撫でつけている。
 歩き方はゆっくりと、大きく、余裕がある。

 これで研修医だというのだから、神様はえこひいきだ。将来性もあって、顔も良くて、性格もいいだなんて。

「お疲れさまです。帝人さん、ご飯は?」

「コンビニのおむすびを2個食べたよ」

「え、それで足りるんですか?」

 体格的に、絶対に足りないだろう。
 僕の問いに彼は苦笑をこぼした。

「ソウのご飯を食べちゃってるとね……。他のものでお腹を満たす気にならないというか」

「わかります……」

 僕はしみじみと頷いた。
 前はスーパーの惣菜も美味しいと食べていたのに、類さんたちと暮らしてからご無沙汰している。

「美味しいですよね。ソウさんのご飯」

「胃袋がっちり掴まれちゃってるよね」

「まさしく、それです」

 フッと笑った帝人さんが鼻をこする。
 それを見て、僕は「あれ?」っと思った。
 今夜は、手袋をはめていない。

「どうかした?」

 視線に気付き、彼は小首を傾げた。

「あ……その、今日は手袋していないんだなぁと思いまして」

「え?……ああ、そういうことか。いつも付けているんじゃないんだよ。潔癖症ってわけじゃないし」

「違うんですかっ!?」

「ははっ、違う違う。俺はそんなに繊細じゃないよ」

 それなら、どうして手袋を付けているのだろう。
 思い返してみるが、基準はわからない。
 ピアノを弾いていた頃の名残なのだろうか?
 
 そんな他愛もない話をしていると、気がつけばピアノ教室に辿り着いていた。
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