ファミリア・ラプソディア

Tsubaki aquo

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chapter4

step.33-7 決意と覚悟

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 やがて何度目かの吐精の後、彼は僕を押し潰すように組み、敷き呼吸が整うまで、そうしていた。

「……唇、血が出てる」

 そっと腕を外され、長い指先に唇をこじ開けられる。
 夏祭りの日、優しい旋律を奏でたあの指先だ。
 そこでやっと僕は口の中に広がる血の味に気が付いた。

「……気は済みましたか」

 僕は力なく衣服を整える帝人さんを見上げて、掠れる声を振り絞った。
 至近距離で見た彼の顔色は真っ青だ。

 呆然としていた彼は指を引くと、僕の上からどいた。
 隠微な水音を立てて、中からドロリと白濁が溢れ出る感覚に眉根が寄る。

 僕は怒りとショックで眩暈を覚えながら、なんとか身体を起こした。
 それから帝人さんを真っ直ぐ見つめて口を開いた。

「僕は……僕は、類さんに、嘘を、つきますよ。墓場まで持っていきます。あなたとのこと」

 言葉の途中でまた、涙が溢れてきた。

 帝人さんが目を見開く。
 僕は嗚咽を隠すこともせず、頬を濡らす涙を手の甲で拭った。

「類さんは……僕らの間に何かあったと気付くでしょう。でも、あの人は確証のないことを口にしたりはしない。僕が隠したいことを無理やり暴いたりしない。だから……僕は、類さんに嘘をつき続けます」

「……まだ、そんな……」

 類さんに隠し事なんてしたくない。
 でも、それが必要ならしてみせる。類さんのためなら、何だって出来るし、する。
 それが僕の覚悟だ。

「君は……どうかしてるんじゃないか」

「……そうかもしれません。でも、あなたには僕の気持ちがわかるんじゃないですか。
がむしゃらになって守ろうとしているのは、あなたも僕も同じだ」

 帝人さんと僕は同じだ。
 同じで、何かひとつだけ決定的にズレている。

 それは……一体、なんなのだろう。

「帝人さん、何をそんなに怯えているんですか。怯える必要なんてない。何も失わない。僕はあなたから……あなたたちから、何も奪わない」

「……黙れ」

「帝人さん!」

「……奪わない? 君はもう奪ったんだよ。現に類は変わってしまった」

「それの何がいけないんですか。
 類さんの時間は、たぶんお父さんを亡くした時から止まっていたんです。今、やっと動き始めたんですよ。やっと幸せになろうって、なってもいいって自分のこと許せるようになったんですよ!」

 彼は何を奪われたと思っている?
 考えろ。考えろ、考えろ――

「……3時間だ」

 ポツリと言って、彼はフラフラと立ち上がった。

「え……」

「3時間したら、戻ってくるよ。いろいろと準備しなくちゃならないから」

「準備って、なんのですか」

「君を殺す準備」

「……それで、あなたの欲しいものは手に入るんですか」

「……そうだね。予測が付けられないからベストではないけれど、ベターではあるかな」

「そんなことしたら、あなただって――」

「君になら、わかるよね。これは脅しじゃない」

 彼は僕の言葉を遮って、ハッキリと告げた。

「戻って来るまでに、君がいなくなっていることを切に願うよ。
 もしもまだいるようなら……俺は確実に君を殺す」

 彼はかがみ込むと僕の髪を指先で持ち上げ、耳朶に唇を寄せてくる。

「その時には覚悟は決まっているだろうから」

 それから優しく囁き、踵を返した。
 僕は呆然と浴室を出ていく彼の背を見送った。
 ぐっしょりと濡れたシャツが皮膚に張り付いていて、気持ちが悪い。

「なんでだよ……」

 僕は剥き出しの膝を抱えると、声を押し殺して泣いた。

* * *

 ちょっとの間、浴室に閉じこもり、そのままシャワーを浴びた。
 そうしているうちに少しずつ冷静さを取り戻してきて、僕は服を――帝人さんが用意していた服に腕を通し、リビングのソファに腰を下ろした。

 見下ろした指先が震えている。キツく握りしめる。
 悲観している場合じゃない。もう3時間もないのだ。

 ゆっくり深呼吸をする。
 それから、フハッと乾いた笑いがこぼれた。
 類さんの傍にいたいだけじゃない。僕は未だに、帝人さんのことも諦められないでいる。

「ホントに、おめでたいな……」

 家族の形を変えてしまったから、彼は僕を追い出すと言った。
 それが本当なら、僕がマンションに来たばかりの頃と今で何かが違っている。

 明らかに違うと言えば、類さんだろう。
 クリスマスの日、ニャン太さんも言っていた。彼の病状はとても落ち着いた、と。

 だが、それが原因でこんなことになるのだろうか。

 何かがズレている気がする。
 そのズレに気付かない限り、もうこの問題を解決することはムリな気がする。

 帝人さんについて、僕は大きな誤解をしている。いや、今の今まで何も知らなかったわけだけれど。

 ひとつひとつ紐解くように、僕は彼との思い出を脳裏に思い浮かべた。

 彼はピアノがとても上手だ。

 隠し事が凄くうまい。

 隠れてタバコを吸っていたのは、類さんの誕生日を祝った日のことだ。

 鼻歌を歌うほど機嫌が良かった日、将臣に怒ってくれたこと、いつもみんなから一歩下がった場所で楽しげにしていること、類さんとニャン太さんが揉めても彼がいるから場が収まる……優しくて、ユーモアがあって、穏やかで。
 そんな彼と、ここ数日が重ならない。まるで、悪夢を見ているようだ。

 その時、ふと、僕はここにいる間、帝人さんがラテックスの手袋をはめていないことに気が付いた。

 いつも付けているわけではないから、潔癖症ではないのだろう。
 ならば、あの手袋は彼にとってどういった意味があるんだろうか?

 一般的には、直に触れないようにするため、だ。

 けれど彼にとって1番触れたくないのは僕だと思う。
 嫌がらせのためとは言え、あんなこと……不本意だったんじゃないか。
 彼は類さんとキスすらしないのだ。

 じゃあ、あの手袋の意味はーー

「……もしかして、逆、なのか?」

 僕は誰にともなく呟く。

 もしも帝人さん自身が触れないようにするためだとしたら……?

『君は平行線だって言ったけど、そんなことないよ。
 だって君は類のことが大好きだろう? 類が傷つくことは、出来ないじゃないか』

 ーーそうだ。
 僕はこの時、違和感を感じたんだ。

 落ち着け。焦るな。考えろ。

 帝人さんはいつ手袋を付けていた?
 いや、誰の前で付けていた?

 ……到達した答えに、僕は指を噛んだ。
 もしかして……もしかして帝人さんは……

□ ■ □

(はは……殺すだなんて非現実的だな)

 両手に大きな荷物を持ち玄関前で佇んでいた帝人は、自嘲の笑みをこぼした。
 滑稽だと自分でも思っている。そこまでするか、ともう1人の自分が呆れている。

 けれど、もう方法はそれしかない。
 伝は何をしても引き下がらないのだ。それならもう彼の存在を消してしまうしかない。死だけが彼を無害にする。どんな理由を後付けしたって、いなくなってしまえば彼に出来ることはないのだ。

 ……彼に敵わないことを帝人は自覚していた。

(……初めて会った時はもっと御しやすいと思っていたんだけどなぁ)

 すぐに出て行くだろうと思っていたのに、彼は予想以上にお人好しで、おめでたかった。
 何度、疎外感を覚えるような話をしても、彼は全く気にも止めない。
 自分は異物であると理解した上で、距離を詰めてくる。

 さすが、類が連れてきた相手だと思った。
 何もかも彼にそっくりだった。主張せず、与えるばかりで満足して……

(謙虚な愛は暴虐よりもずっと効果が高い、か)

 カラマーゾフの1文が脳裏を過る。
 それを振り切るように帝人は玄関扉を押し開けた。

 扉の開く音が、やけに耳に響いた。
 西日が静かにリビングに差し込んでいる。

「……まだいるのかい、伝くん?」

 返事はない。

 帝人はゆっくりと歩んでリビングを横切った。
 フローリングの床に黒い影が色濃く落ちる。

 待ち人がいるだろう部屋の扉は開いていて、帝人は躊躇うことなく中へ踏み込んだ。
 そして――

「……は」

 彼は詰めていた息を吐き出した。
 伝の姿はない。

「やっと……出て……行った……」

 両手の荷物が床に落ちて、重たい音を立てる。
 それから彼は崩れ落ちるようにして壁にもたれかかった。
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