殺された女伯爵が再び全てを取り戻すまでの話。

吉井あん

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60話 青い薔薇を捧げる。

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 セナイダ。
 エリアナのお母様だ。
 フェリシアからすれば年の離れた異母姉になる。


「ええ、そうよ。五代ウェステ伯の娘なの」
「左様でございましたか。お嬢様は先々代の……」


 女性は私の足元にひれ伏した。


「私の亡き母がお屋敷に勤めておりましたので、セナイダ様には何度かお目見えさせていただいたことがございました。ご恩がありながら私は亡き奥様に不義理を働いてしまいました。お嬢様には申し訳が立ちません」

「気にすることはないわ。あなたのせいじゃない。オヴィリオが悪かったのよ」


 私はしゃがみ、女性の背中をさする。

 仕方のないことだ。
 身分が遥かに上の男性から関係を強要されて断れる女性がいるだろうか。
 しかも苦しい生活の中で話を持ちかけられたのだ。受け入れる他ない。
 弱みに漬け込んだお父様が悪質なだけだ。


「それよりも教えてほしいの。オヴィリオに変わったところはなかったかしら?」

「変わったところ……。そういえば旦那様がここへいらっしゃる時はいつも先告があるのですが、突然いらしたことがあります」


 お父様が連絡もなく妾宅に?


「それはいつのこと?」

「今年初めての吹きおろしがあった日でしたので、春先……エリアナ様のご不幸の前あたりでしょうか」


 その日は春を告げる風が朝から強く吹き荒れていた。
 女性は昼間の農作業を終え、疲れた体を横にした途端に戸を叩く音がした。
 慌てて戸を開けると、ひどく興奮したオヴィリオが立っていたいという。


「いつもは穏やかな方なのですが、その夜の旦那様は気が立っていらしたのか些細なことにもあれやこれや注文をつけました」


 それこそ女性の仕草や髪型から家の造作といったどうしようもないことまで、ネチネチと文句をつけた。
 女性は困惑した。


「お嬢様の前では憚られることなのですが、それまで私と旦那様の間にあるのは体の交わりだけでした。旦那様は望んだ時にいらっしゃり、終わるとすぐにお戻りになられる。会話をすることすらほとんどありませんでした」


(お父様、最低ね……)


 無理矢理愛人にした挙句にこの思いやりのカケラもない扱いとは……。
 浮気相手だからという理由もあるだろうが、囲っている以上、最低限の節度は持ってもらいたかった。

 私の顔色を見て女性は慌てて眉を下げ両手を振る。


「あぁ、お嬢様。誤解なさらないでください。私もこの関係が気楽でよかったのです。仕事だと割り切っておりました。旦那様には何の感情もございませんので」

「そうなのね。あなたの心が傷ついていないのならよかったわ」

「無傷でございます」と女性は私の答えに安心したのかまた続けた。


 オヴィリオは違った。
 あらゆることにケチをつけたかと思うと、急に優しくなった。
 女性の容姿を褒め愛の言葉を囁いただけでなく、お前にはわからないだろうがとカディスの政情や将来の展望をも饒舌に語ったのだという。


「その……お勤めの後もご興奮なさったまま落ち着かない様子でした」
「何か言ってた?」
「はい。とても高かったがいい取引ができた、と」


 取引。
 これは武器のことか、それともエリアナに飲ませた毒のことか。


「取引の内容はわかる?」

「いいえ。そこまでは……。ただ家宝をいくつか売り払うほど高かったが効果は折り紙付きで、よく効くのだと。媚薬か何かと思いましたが……。旦那様は娼館にも通われていらっしゃったので」


 ここだけではなく娼館へも通っていたのかと頭が痛くなる。
 が、今はそこはいい。


(家宝を売るほど高かったもの……。武器か毒か判断がつかないわ)


「もう少し詳しく教えてもらえ……」
「ねぇ、ちょっと良いかな」


 レオンがお父様の残した日記を中程まで広げ指で弾く。


「フィリィ、日記見てたんだけどね。ここ。ここに多分詩が書いてあるんだが、意味がわからないんだ。わかるかな?」


 私と女性は一緒に紙面を覗き込んだ。
 何のことはない日々の記録の中に、何の前触れもなく詩が挿入してある。


『ミモザのようなあなたに青い薔薇ローサアスールを捧げよう。あなたの青い瞳に私が永遠に住まうように青い薔薇を捧げよう』


 レオンは首を傾げた。


「この詩、重要だと思うんだけど、全然覚えがなくてね。どういう意味か分かる?」


 私と女性はお互いに顔を見合わせくすくすと笑う。
 王都でのエリート教育を受け一流の大学を卒業したレオンとはいえ知らないことがあるのということが可笑しくて仕方がない。

 王家に重用され、おそらくは国を支える人物にも分からないことがあるのだ。
 愉快だ。


「レオンにも知らないことがあるのね」
「あのねぇ。世界は広いんだよ?」


 レオンは私の手首を掴み引き寄せると、これ以上はないというほどに甘く見つめる。


「フィリィ、僕の本当の姿も知らないだろ? このままここでキスしても良いんだけど?」

 ちょっとそれは困る。

 私は何とか距離を取り、顔を逸らしながら応えた。

「あの。え、こ……これマンティーノスの女子衆に伝わる民謡なの」
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