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別れ
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「洋史」と、呼ぶ声に、洋史は振り向く。するとそこには、洋史が立っていた。
いや、そんなはずがない。
しかし、着ている物の違いはあれど、背丈も顔も、洋史であった。
薄暗い夕暮れ時である。
「幽霊でも見たような顔だな」
「直通なのか?」
「久しぶりだな」
言いたいことは沢山ある。問いたいことも同様だ。しかし、なにから言い出すべきか分からず、洋史は唇を噛み締めた。
「元気そうで良かった。
今は美術学校に通っているんだって?」
洋装姿の直通は、首から下をすっぽりとインヴァネスで覆っていて、盗み見たい場所を晒しはしない。
「直通、問いたいことがある。
その……三年前になるか……」
「なぜ、自死しようとしたか」
洋史は視線を落としたまま、頷いた。
「自死ではないのだよ」
言いながら左腕をインヴァネスから出すと、つい。と、シャツの袖を引っ張った。手首が露わになる。洋史が最も見たかった部分が。
洋史は目を凝らし、腕を凝視した。
細い腕には、幾筋ものミミズ腫れが確認できた。腕ばかりではなく、手の平にまで。横に、縦に、幾筋も交わって。
「剃刀で切った」
「これのどこが自死でないと言うのだ? どう見ても……」
「自死ではない。殺そうとしたのだ」
「殺す? 自分をか?」
「君だ。君を殺そうとした」
洋史は耳を疑いつつ、直通の目を見た。聞き間違いであることを祈り、からかいであることを願いながら。
「深くは問わないで欲しい。自分でも理解できぬのだ。どうして君を切り裂きたいのかなど。
いっそ、死んでしまいたいと思うのだが、死にきれず、生き永らえている」
「しかし、いつまでも思い悩んでいてもしかたのないこと。
僕は君から離れることにした。それを伝えに来たのだ」
「僕さえいなければ直通はもう、自分を傷付けずに済むのか?」
「わからない。それは誰にも分からないよ」
「行ってはいけない! 考えよう、考えるのだ」
肩に置かれた手を振り解いて、直通は頭を振った。
「病ならば、医者にかかろう。憑き物ならば、寺社に相談するも良い。
しかし、人が切り刻みたくてしかたないなど、誰に言える?」
「まさか、死ぬつもりではあるまいな」
「ないとは言い切れぬ。しかし、止めてはいけない。
人を殺すよりは自分を殺した方がまだ、傷付く者が少なくて済むというものだ。
家族も傷付かぬ。君も傷付かぬ」
「行ってはいけない」
「やめてくれ! 僕を人殺しにしたいのか!」
伸ばし掛けた手を、洋史は止めた。
もはや互いの表情さえ窺えぬ。
直通が立ち去るまで、洋史は呆然と立ち尽くしていた。
二十歳の冬のことであった。
いや、そんなはずがない。
しかし、着ている物の違いはあれど、背丈も顔も、洋史であった。
薄暗い夕暮れ時である。
「幽霊でも見たような顔だな」
「直通なのか?」
「久しぶりだな」
言いたいことは沢山ある。問いたいことも同様だ。しかし、なにから言い出すべきか分からず、洋史は唇を噛み締めた。
「元気そうで良かった。
今は美術学校に通っているんだって?」
洋装姿の直通は、首から下をすっぽりとインヴァネスで覆っていて、盗み見たい場所を晒しはしない。
「直通、問いたいことがある。
その……三年前になるか……」
「なぜ、自死しようとしたか」
洋史は視線を落としたまま、頷いた。
「自死ではないのだよ」
言いながら左腕をインヴァネスから出すと、つい。と、シャツの袖を引っ張った。手首が露わになる。洋史が最も見たかった部分が。
洋史は目を凝らし、腕を凝視した。
細い腕には、幾筋ものミミズ腫れが確認できた。腕ばかりではなく、手の平にまで。横に、縦に、幾筋も交わって。
「剃刀で切った」
「これのどこが自死でないと言うのだ? どう見ても……」
「自死ではない。殺そうとしたのだ」
「殺す? 自分をか?」
「君だ。君を殺そうとした」
洋史は耳を疑いつつ、直通の目を見た。聞き間違いであることを祈り、からかいであることを願いながら。
「深くは問わないで欲しい。自分でも理解できぬのだ。どうして君を切り裂きたいのかなど。
いっそ、死んでしまいたいと思うのだが、死にきれず、生き永らえている」
「しかし、いつまでも思い悩んでいてもしかたのないこと。
僕は君から離れることにした。それを伝えに来たのだ」
「僕さえいなければ直通はもう、自分を傷付けずに済むのか?」
「わからない。それは誰にも分からないよ」
「行ってはいけない! 考えよう、考えるのだ」
肩に置かれた手を振り解いて、直通は頭を振った。
「病ならば、医者にかかろう。憑き物ならば、寺社に相談するも良い。
しかし、人が切り刻みたくてしかたないなど、誰に言える?」
「まさか、死ぬつもりではあるまいな」
「ないとは言い切れぬ。しかし、止めてはいけない。
人を殺すよりは自分を殺した方がまだ、傷付く者が少なくて済むというものだ。
家族も傷付かぬ。君も傷付かぬ」
「行ってはいけない」
「やめてくれ! 僕を人殺しにしたいのか!」
伸ばし掛けた手を、洋史は止めた。
もはや互いの表情さえ窺えぬ。
直通が立ち去るまで、洋史は呆然と立ち尽くしていた。
二十歳の冬のことであった。
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