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男
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三月は例のごとく、頬を膨らませてしまった。
洋史の言う通りだろう。マネキンを切ったり刺したりするなど、他に理由があるとは考え難い。
「人を刺す練習かも」
自分で言っておきながら、有紀は狼狽え、語尾は掠れた。
「有紀らしい意見ですが、どうしました? なにか気になることでもあるのですか?」
「ある男を思い出した」
「男? 珍しい事もある物ですね。有紀が男をだなんて」
「色事じゃないよ」
努めて素っ気なく言ってみたが、三月は好奇心とも怒りとも、妬みとも取れぬ目で有紀を見つめ、逃してくれそうも無い。
「どんな男のことを、こんな物騒な話で思い出したのか、興味がありますね」
三月の代理なのか、それとも本気で興味があるのか。
有紀は観念することにした。今逃げたところで、後々、問われるに違いないのだから。
「丁度一年前だ。あたしは夕暮れ時に、空き地でヴァイオリンを弾いていた。
いつもなんだが、この季節はなんとも言えない、いやぁな気持ちになることが多いんだよ」
「厭な気持ち?」
「そう。泣き出したいような、叫びたいような、不安定な気持ちになる。一時でも忘れたくて、周りに家の無い空き地で、ヴァイオリンを弾くことが多い。
曲が終わって弓を止めた時、背後に人がいるのが分かった。振り向こうとしたら、男は言った。こちらを見るな。と」
「変質者?」
「いいや、体中に傷があるから、人に見られたくないんだって言った」
「それで、有紀さんは男の言う通り、振り向かなかったの?」
拗ねたような表情を見せて、三月の声は鋭い。
「そうだよ。普通ならそんなことはしないんだけど、その男の声がね、洋史に似ていたからかな? 怖いとは思わなかった」
男は言った。似ている。と。
有紀は問うた。なにが?
「君と私の心が。人には分からない、いや、自分にさえ分からない闇を抱えている。そうじゃないのかい?」
息が止まりそうなほどの衝撃を受けた。
人に分からない。自分にさえ分からない闇。
有紀は初めて、自分の不安定な気持ちを言葉にして貰えた気がした。
「とても美しい音色だが、躊躇いと恐怖を感じる。
勿論、そんなことを感じるのは、私だけだろうけど」
「あんたにもあるの? 自分でも理解できないなにかが」
洋史の言う通りだろう。マネキンを切ったり刺したりするなど、他に理由があるとは考え難い。
「人を刺す練習かも」
自分で言っておきながら、有紀は狼狽え、語尾は掠れた。
「有紀らしい意見ですが、どうしました? なにか気になることでもあるのですか?」
「ある男を思い出した」
「男? 珍しい事もある物ですね。有紀が男をだなんて」
「色事じゃないよ」
努めて素っ気なく言ってみたが、三月は好奇心とも怒りとも、妬みとも取れぬ目で有紀を見つめ、逃してくれそうも無い。
「どんな男のことを、こんな物騒な話で思い出したのか、興味がありますね」
三月の代理なのか、それとも本気で興味があるのか。
有紀は観念することにした。今逃げたところで、後々、問われるに違いないのだから。
「丁度一年前だ。あたしは夕暮れ時に、空き地でヴァイオリンを弾いていた。
いつもなんだが、この季節はなんとも言えない、いやぁな気持ちになることが多いんだよ」
「厭な気持ち?」
「そう。泣き出したいような、叫びたいような、不安定な気持ちになる。一時でも忘れたくて、周りに家の無い空き地で、ヴァイオリンを弾くことが多い。
曲が終わって弓を止めた時、背後に人がいるのが分かった。振り向こうとしたら、男は言った。こちらを見るな。と」
「変質者?」
「いいや、体中に傷があるから、人に見られたくないんだって言った」
「それで、有紀さんは男の言う通り、振り向かなかったの?」
拗ねたような表情を見せて、三月の声は鋭い。
「そうだよ。普通ならそんなことはしないんだけど、その男の声がね、洋史に似ていたからかな? 怖いとは思わなかった」
男は言った。似ている。と。
有紀は問うた。なにが?
「君と私の心が。人には分からない、いや、自分にさえ分からない闇を抱えている。そうじゃないのかい?」
息が止まりそうなほどの衝撃を受けた。
人に分からない。自分にさえ分からない闇。
有紀は初めて、自分の不安定な気持ちを言葉にして貰えた気がした。
「とても美しい音色だが、躊躇いと恐怖を感じる。
勿論、そんなことを感じるのは、私だけだろうけど」
「あんたにもあるの? 自分でも理解できないなにかが」
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