夏の思い出

岡倉弘毅

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指輪

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 ゆきは道夫を追い詰める。

 ゆきの術中に陥れば、意識を失ってまた、現実に戻るだけである。

 確認したいことはまだあった。

「どうして……今になってお前は……」

「今? 今じゃない、十年前、あなた覚えてないの? その指輪」

 指輪? その、というからには今、指に嵌めているサファイアの指輪だろう。

 思い出すのは後にすることにした。

「お母さんに会いたかったんだろう?」

 ゆきの表情が険しくなった。

 顔を上げるが、道夫を追い詰めるのはやめようとはしなかった。

 指を絡めて、動きを止めようとはしない。

 抗おうとするが、膝を戒めるズボンに阻まれて抵抗のしようがない。

「母親だという女を僕は、恨んでいた。

 自堕落な関係で生まれた僕を、身の保身のために手放した淫乱女をね。

 ここにいた女達は僕を可愛がってくれたよ。

 だけど、女達は僕を置いてどこかへ行ってしまう……

 僕はいつだって、置いてけぼりにされるんだ……

 いつだって……いつだって……」

 ゆきは服を脱ぎ去ると、道夫を跨ぎ、甘い声をあげながら飲み込んでいった。

 まだ話が……考えながら道夫の理性は薄れていく……

 腰を動かしながら、ゆきは冷たい目で道夫を見下ろす。

 次第にサファイアの瞳が色を濃くし、頬を涙が零れる……

「僕はいつだって……置いて行かれるんだ……」

 悲しい声だった……




 「その指輪は、ゆきのものです。

 ある方が、ゆきの瞳に似ていると言って、下さったものだそうです」

 訪ねてきた管理人は、まるでその場にいた人間のように詳しかった。

「ゆきの死後、あの子のものは全て、屋根裏に保管していました。

 栄治さんはその後暫くして亡くなったので、忘れ去られてしまったのでしょう。

 九死に一生を得た邦夫さんは、ゆきの墓を敷地内に建て、魂を慰めていました。

 入ったばかりの会社を辞め、その時いた女達はほとんど妾としてそれなりの家の人に引き取られたそうです。

 その後は、別の会社に入って、着実に出世されたのですが、戦後自身会社を興されて、社会貢献も進んで行われて。

 とても優しい方でした。奥様もお嫁さんも大事にされて、誰にも好かれた方でした」

 もう、帰らなければならないのに、道夫は動けずにいた。

 スマートフォンの充電は0のままである。

「鍵を女が使うと具合が悪くなるってのは……」

「ゆきが亡くなってから起こり始めました。

 娼婦だった女達は何ともありませんでしたが、奥様や娘さんが使うと、眩暈を起こしたり、吐き気がしたりと問題が起こるのです。

 大人の男だけが使うことにして、しばらくは落ち着いていましたが、道夫さんが引き付けを起こしたことから邦夫さんはこのままではいけないと考えて、ゆきを成仏させようとしたのです。

 その年の命日に僧侶を呼んで、拝んでもらったんですが……。

 どうやら失敗したらしいよ。と仰って。

 その後原因不明の高熱が続いて、一月後に亡くなった……。

 それからは毎年、長男さんが命日に参りに来ていて、亡くなってからは春樹さん、道夫さんのお父さんと毎年……」

「俺は……聞いていない……」

「もう、いつまでも囚われていてはいけないと仰って、お墓を移動させることにしたんです。

 その相談を受けて、来年の命日までに終わらせようと話をして、その帰りの事故でした」
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