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第6章 待ってる

【心情揺蕩】

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シャワー室での会話はいつものように
途切れることはなく

今回はさりーの足に刻まれたタトゥーの話題に…
 
「俺は全然抵抗無くて…バンド仲間にはいっぱいいたから…」

「光々は…タトゥー入れたいって思わない?」

「うーん、痛そうだしなぁ」
 
「うん!痛いよぉ…落ち着くまでは常に火傷ー!みたいな感じでヒリヒリするの」

「いつ…だったの?」

「18の時かなぁ…何か勢いでさ」

「地元にあるかなぁ?」

「私は知り合いのとこで…せっかくだから今度ライブで遠征する時にお店探してみたら?」

そう言えばトークで今月と来月は
ライブ参戦で大阪と東京に行く、

そんなやり取りをしていたのを思い出した。

「そうだね、サウナも行かないし…でも温泉は…行きたいなぁ」

「別に危ない人じゃないんだけどね」

「多分、日本だけだよそんな偏見あるの」

「だよねー!光々は入れるとしたらどんなの?」

「俺はスカル系とか…いいかな」

「いいよねー!」

「定年になったらしよっかな」

「まだまだ先じゃん!」

相変わらずの俺たちは時間を忘れて話し込んでいた

「あ!光々ー!」

「何ー?」

「見せて見せて!さっき話してた、私に似てるプロレスの人」

「あ、ちょっと待ってね」

俺は時間を気にしつつも冷静を装い
濡れた体をバスタオルで拭きながら
慌ててスマホを取り出した。

「ほら、この人だよ、似てない?さりーに」

俺は画像フォルダを検索してようやく
KAIRI選手の画像を見つけさりーに見せた。

「わー!ほんとだ!」

「もう1枚あるけど、こっちは寄りだから」

しげしげと画像を眺めたさりーは

「うわー!やっぱりこの人の方が美人だよ、私、最初のは似てるかも、て思ったんだけどな…」

「そうかな?俺はさりーの方がかわいいと思うけどな」

「ほんとにぃ?」

「うん、俺、さりーはビジュアル、“ド”ストライクだから」

「うれしい…光々…ん…」

いつもこんな些細なきっかけで俺たちは
いちいち大げさに抱き合い唇を重ね舌を絡ませる

そんなお店なのだから
当たり前と言えば当たり前なのだが

ひとつひとつの会話ですら今の俺たちにとっては
そんな行為と共に大切な思い出として上書きされている。

「今度は俺の一推し選手とか紹介するね」  

「何かぁ…光々の好みのタイプ…だんだんわかってきたなぁ」  

「で…次はね…」

「ん?」

俺は未だ全裸で立っているさりーの股間に手を伸ばし
その柔らかな陰毛をなぞり中心部まで指を這わせると

「次は攻めるから…ここ!」

「ほんと?楽しみー!」

再びピピピピと鳴り響くタイマーに急かされながら
俺は大慌てで服を着て帰り支度をする。

その横でさりーも再び衣装を纏い見送りの準備

「あ、光々!いつもの…飲む?」

「あ、いただこうかな」

さりーは冷蔵庫を開けて
いつもの缶入りのお茶を手渡してくれた。

「さぁ、出る前にひと口…」

「またその冷たい口で…んんぅ!」

「正解ー!」

「もうっ!!!」

「じゃ、また来るね」

「うん、ありがとう…無理しないでね、私、いつでもここで待ってるから…」

「うん!ありがとう…あ、ちょっと」

「ん?」

俺は持参したトートバッグから何個か菓子パンを取り出し

「お昼、まだだよね?どれでも好きなの食べていいよ」

「ほんとに?うれしいー!じゃ遠慮なく…」

さりーは明太子マヨネーズパンを手に取ると嬉しそうに

「じゃあ、これ、もらうね!」

「うん…あんまり種類なくてごめんね」

「うぅん!ありがとう」

さりーに背中を見送られながらドアを開く、

別れを惜しむかのようにもう一度抱き合い
軽く唇を重ねてから俺は部屋を出た。

カーテンの向こうまで歩き、
店員さんに見送られてエレベーターに乗った瞬間

ふと後悔の念が押し寄せてきた。


“言えなかった”


制作に専念するためしばらく会えないことを。

そして同時に他の女の子に一瞬でも心が動いたことを
悟られたのではないかと言う不安も

大きな波のように押し寄せてきた。

これまでの楽しい帰り道とはまた違う
何とも言えない感情と戦いながら家路に着いた。
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