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第一章【再誕】
長い宵の間に
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*
メアリの知るカインは酷い泣き虫だった。
悔しい事があれば人知れず悔し泣きをし、依頼の途中にパーティメンバーが不幸に遭ってしまったと言う話を聞けばそのパーティの元へ行き、共に涙を流して祖知れぬ相手を弔う。そんな人間だった。
故に、メアリの前で俯いたまま肩を震わせるカインの姿を見ても彼女はその姿に驚く事はせず、ただ黙ってカインの気持ちが落ち着くのを待った。
アリスを教会まで送り、彼女が寝静まるのを見届けたメアリがゼアスへと戻ってきてからも、カインはずっとこの調子で泣き続けている。だが、度が過ぎているともメアリは思わない。
彼がここまで泣き崩れているのはそれだけ彼が今まで自分を責め続け、そして罪を感じていた当の本人から赦しと言う名の心の安寧を受け取ったのかを窺い知れるからである。
「救われたのは、貴方だけじゃないわ」
収まる様子のないカインのすすり泣く音に隠れ、メアリ自身も静かにあの日の後悔を流し祓った。
*
フィンガルが永らく続けていた王族による王政政治が解消されてから久しいこの日、旧フィンガル王城の離れに当たる古びた監獄塔に久方ぶりの来客があった。
黒く大仰なまでの幅を利かせた丸ツバの帽子を被り、その枯れ木のように痩せ細った身を同じく漆黒のドレスで包み隠した老エルフは、数多の牢屋が天井へ向かって聳え連なる塔の一階部にある、とある牢屋の前まで杖を突きながら来るとその危うい足取りを止めた。
「未だこんな場所に閉じ篭っておったか」
薄く開けられた瞼の隙間から覗く群青の瞳は、太い鉄格子の合間を縫い、その先の粗末なベッドの上で膝を抱えるようにして座っているエルフの女性を見据える。
伸び放題に伸ばされた金色の髪は見るからに手入れなどはされておらず、痩け切った頰、翡翠の宝玉をはめ込んだかの様だった瞳は暗がりばかりを据えていた所為か光沢の一切を失っている。すっかりと変わり果てたその女性は、かつてこのフィンガルを治めていた女王ファビアその人である。
「婆、様……」
随分と久しく声を発したのか、ファビアの嗄れた声は湿ったこの空間に溶け入るかの如く床を這いつくばり、よいやくの思いで老エルフの耳へと入ってきた。
「もう誰もアンタを責め立てちゃいないよ。あの古老院の連中だって、代変わりで大半が居なくなったんだ。もうこんな所に引き篭もってるのはお止めよ」
憂いのこもる声は、しかして憐れみか。
ファビアは縮こまった態勢を何ら変える事なく、先よりもずっと弱々しく呟く。
「でき、ない……」
「はっ」ワザとらしく呆れの情を込めてファビアの言葉を一笑に伏すと、老エルフは杖で鉄格子を叩きながら語気を強めて続ける。
「これがアンタの贖罪って訳かい? アタシから言わせればこんなの――」
が、そこまで言うと乾いた咳が後に続き、老エルフの語りはそこで一旦の幕を降ろす。
「婆様っ」
咳を聞いたファビアは咄嗟に姿勢を崩してこっちへ近寄ろうとする。が、上手く身体が動かせなかったのか、態勢を崩して無様にベッドから落ちてしまう。
肩から崩れるように床へ落ちたファビアは打ち付けた箇所に走ったであろう激痛に、痩け切った顔をさらに歪めながら鉄格子の所まで何とか這って来る。
「婆様――」
「なんだい、未だこんな老いぼれを労わる気概は持ち合わせてたんだね」
必死な様でこちらへ寄って来たファビアの姿を見た老エルフは、咄嗟に咳き込んだ事をさも演技であったかのように、振る舞う事に努めた。咽び上がってくる堪え難い感覚を必死に抑え込み、大層に悪びれた笑みを浮かべてもう一度だけ杖で鉄格子を叩く。
「アンタがしたかった事はなんだい。この国のトップに着いた時、アンタはこの国を、国民をどうしたかったんだい?」
老エルフは喉を迫り上がってくる良くない感覚に背筋を熱くさせる。が、その目は格子の向こうのファビアの何かを思い出したような表情をしっかりと捉えていた。
手間の掛かる子だ。次なる言葉を発しようとした瞬間、老エルフの口から鮮血が吹き出る。
「婆様っ?!」
口を抑えようとして手放した杖が湿った床を転がったのに倣うかのように、老エルフの身体も床へ崩れ落ちた。
「だ、誰かっ! 婆様がっ!」
ファビアが必死に叫ぶも、その弱々しい声を聞き届ける者がいない事を老エルフは知っていた。付き添いの従者は表で待てせており、ここは入り口から一番に遠い位置にある牢屋の前。
今のファビアがどれ程までに声を振り絞ろうとも表の従者へは凡そ届かないだろう。そう悟った老エルフは遠退く意識の中、残った力を捻り出して声を発する。
「ほれ見ろ……こんな場所に閉じ篭ってちゃ、何にも変えられはしやしないん、だよ」
目を瞑る最中、老エルフは自分を見るファビアの瞳に輝きの一端が戻ったのを見た。
メアリの知るカインは酷い泣き虫だった。
悔しい事があれば人知れず悔し泣きをし、依頼の途中にパーティメンバーが不幸に遭ってしまったと言う話を聞けばそのパーティの元へ行き、共に涙を流して祖知れぬ相手を弔う。そんな人間だった。
故に、メアリの前で俯いたまま肩を震わせるカインの姿を見ても彼女はその姿に驚く事はせず、ただ黙ってカインの気持ちが落ち着くのを待った。
アリスを教会まで送り、彼女が寝静まるのを見届けたメアリがゼアスへと戻ってきてからも、カインはずっとこの調子で泣き続けている。だが、度が過ぎているともメアリは思わない。
彼がここまで泣き崩れているのはそれだけ彼が今まで自分を責め続け、そして罪を感じていた当の本人から赦しと言う名の心の安寧を受け取ったのかを窺い知れるからである。
「救われたのは、貴方だけじゃないわ」
収まる様子のないカインのすすり泣く音に隠れ、メアリ自身も静かにあの日の後悔を流し祓った。
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フィンガルが永らく続けていた王族による王政政治が解消されてから久しいこの日、旧フィンガル王城の離れに当たる古びた監獄塔に久方ぶりの来客があった。
黒く大仰なまでの幅を利かせた丸ツバの帽子を被り、その枯れ木のように痩せ細った身を同じく漆黒のドレスで包み隠した老エルフは、数多の牢屋が天井へ向かって聳え連なる塔の一階部にある、とある牢屋の前まで杖を突きながら来るとその危うい足取りを止めた。
「未だこんな場所に閉じ篭っておったか」
薄く開けられた瞼の隙間から覗く群青の瞳は、太い鉄格子の合間を縫い、その先の粗末なベッドの上で膝を抱えるようにして座っているエルフの女性を見据える。
伸び放題に伸ばされた金色の髪は見るからに手入れなどはされておらず、痩け切った頰、翡翠の宝玉をはめ込んだかの様だった瞳は暗がりばかりを据えていた所為か光沢の一切を失っている。すっかりと変わり果てたその女性は、かつてこのフィンガルを治めていた女王ファビアその人である。
「婆、様……」
随分と久しく声を発したのか、ファビアの嗄れた声は湿ったこの空間に溶け入るかの如く床を這いつくばり、よいやくの思いで老エルフの耳へと入ってきた。
「もう誰もアンタを責め立てちゃいないよ。あの古老院の連中だって、代変わりで大半が居なくなったんだ。もうこんな所に引き篭もってるのはお止めよ」
憂いのこもる声は、しかして憐れみか。
ファビアは縮こまった態勢を何ら変える事なく、先よりもずっと弱々しく呟く。
「でき、ない……」
「はっ」ワザとらしく呆れの情を込めてファビアの言葉を一笑に伏すと、老エルフは杖で鉄格子を叩きながら語気を強めて続ける。
「これがアンタの贖罪って訳かい? アタシから言わせればこんなの――」
が、そこまで言うと乾いた咳が後に続き、老エルフの語りはそこで一旦の幕を降ろす。
「婆様っ」
咳を聞いたファビアは咄嗟に姿勢を崩してこっちへ近寄ろうとする。が、上手く身体が動かせなかったのか、態勢を崩して無様にベッドから落ちてしまう。
肩から崩れるように床へ落ちたファビアは打ち付けた箇所に走ったであろう激痛に、痩け切った顔をさらに歪めながら鉄格子の所まで何とか這って来る。
「婆様――」
「なんだい、未だこんな老いぼれを労わる気概は持ち合わせてたんだね」
必死な様でこちらへ寄って来たファビアの姿を見た老エルフは、咄嗟に咳き込んだ事をさも演技であったかのように、振る舞う事に努めた。咽び上がってくる堪え難い感覚を必死に抑え込み、大層に悪びれた笑みを浮かべてもう一度だけ杖で鉄格子を叩く。
「アンタがしたかった事はなんだい。この国のトップに着いた時、アンタはこの国を、国民をどうしたかったんだい?」
老エルフは喉を迫り上がってくる良くない感覚に背筋を熱くさせる。が、その目は格子の向こうのファビアの何かを思い出したような表情をしっかりと捉えていた。
手間の掛かる子だ。次なる言葉を発しようとした瞬間、老エルフの口から鮮血が吹き出る。
「婆様っ?!」
口を抑えようとして手放した杖が湿った床を転がったのに倣うかのように、老エルフの身体も床へ崩れ落ちた。
「だ、誰かっ! 婆様がっ!」
ファビアが必死に叫ぶも、その弱々しい声を聞き届ける者がいない事を老エルフは知っていた。付き添いの従者は表で待てせており、ここは入り口から一番に遠い位置にある牢屋の前。
今のファビアがどれ程までに声を振り絞ろうとも表の従者へは凡そ届かないだろう。そう悟った老エルフは遠退く意識の中、残った力を捻り出して声を発する。
「ほれ見ろ……こんな場所に閉じ篭ってちゃ、何にも変えられはしやしないん、だよ」
目を瞑る最中、老エルフは自分を見るファビアの瞳に輝きの一端が戻ったのを見た。
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