白と黒

河野マサ

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始動

魔術師

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 魔術師協会に所属する協会員、とりわけ非魔術師員にとっての仕事内容は一般的なデスクワークに等しい。
 担当する地区で起こった魔術師絡みの事件や事故などの詳細を文書にまとめる等が主な職務である。故に魔術に関しての知識を一切持ち合わせない人間も珍しくはない。加賀美結菜もまた、その例に漏れることはない。
 昨夜の白黒の魔術師が関与しているとされる事件についての事件記録の作成を終えるや、大きく伸びをひとつ。隣のデスクで手持ち無沙汰にパソコンの画面と睨み合う一年後輩に当たる福田満を横目でチラと見やる。
 結菜にとって満の存在は職場の後輩以外の何者でもない。そこそこのルックスの持ち主である為、配属されて来た当初は積極的に近付こうと試みたりしたこともあった。が、すぐに彼の性格を知って早々に切り捨てた。

「ミッチーってさ、かなりのヘタれだよね」

 急に声を掛けられたからか、もしくは唐突に浴びせられた苦言の内容に対してか。満は慌てた様子でこちらに向き直る。

「いきなり何ですか」

 心外だ。やや困惑に眉を潜めたその表情は明らかにそんな言葉を表出している。

「だってホントのことじゃん」

 確かに。そう広くもない支部内、今の会話に聞き耳を立てていたらしいほか二名の女性陣が声を揃えて賛同してきた。
 この場に於いて孤立無援となった満は、精一杯の苦笑を以って頭を掻く。「まいったな」

「一緒に現場へ赴く機会が増えた私としても、もう少しは頼り甲斐のある男になってもらいたいものだよ」

 泰子の追撃を受け、満の額に汗が滲み始めるのが見えた。反論のひとつも返そうとはせず、依然として苦笑を浮かべるだけの満の姿に、結菜は盛大にため息を吐いてみせる。

「笑って誤魔化す男とか、わたし的には論外かなー」

 「まあでも」支部長席の椅子が音を立てる。「頼りない所が可愛かったりするけどね」
 出た。結菜が心の内でそう呟くと、ほぼ同時に泰子が同じ言葉を以って口を開き始める。

「支部長のダメ男好きは健在ですね。今まで何度その悪癖で痛い目を見てきたことか」
「ダメンズ好きもそろそろ引退しないと本気で婚期を逃しますよ?」

 泰子の放った一矢に追い風をもたらそうと、結菜も加勢する。

「あのね、私は自分の意思で独身やってる訳。支部長なんて役職に付く以上、身は軽くするに越したことはないのよ」

 どうだか。これ幸いと、いつの間にか満までもが加わり、今度は万里子が矢面に立たされる番になる。樹津第二支部では日常風景である。
 そんな時、不意にインターホンの音が室内に響き出した。

「来客……こんな時間に?」

 満の呟きを受け、結菜がふとパソコンの画面を見やると午後七時を示していた。気付けば窓の外もすっかりと夜色に包まれている。

「失礼します」

 靴音のひとつも立てずに室内へと現れたのは、数ヶ月前からここ第二支部所属の魔術師になった清川瀬奈だった。
 小さく一礼を済ませた瀬名は無表情のまま支部長席の方へ一直線に歩みを進め、目を丸くしている万里子の前まで至ると、やや語気を強めながら言う。

「白黒の魔術師を追わせて下さい」

 目を見開いたままだった万里子の目が真剣味を帯びるより先に口を開いたのは、泰子だった。

「白黒の担当は私だ。清川、君には他の案件があるだろう」

 先刻までの気の抜けた声音はすっかりと身を潜め、冬場の外気にも近しい鋭い冷気を帯びて聞こえる。耳にした者を芯から震え上がらせるような、そんな声音である。
 しかし、瀬奈は怯まなかった。「支部長に進言しているので」一瞬だけ泰子の方を向いた目はすぐに万里子の方へ向き直る。
 すげぇ……。満の漏らす感嘆の声には、思わず結菜も同意せざるを得なかった。

「瀬奈、雲井は君よりもずっと先輩だよ」

 響きに何ら凄みは感じなかった。しかし、結菜がチラと見た万里子の表情は今まで見たこともない程の冷たさを浮かばせていた。先の泰子から感じ取った冷気を軽く上回る極寒がそこにあった。
 流石の瀬奈も、自身へ向けられたその顔には気圧されたようだった。「失礼しました」泰子の方へ身体ごと向けて深く頭を下げる。
 峠は越えた、かに思えたのも束の間。「それなら」と瀬奈は尚も食い下がる姿勢を示したのだった。

「私にも雲井さんの手伝いをさせて下さい。樹津を拠点に動いている野良魔術師への対処も重要だとは理解しいます。けれど、白黒をなんとかする事こそ今は最重要課題なんじゃないでしょうか?」

 結菜はふと、瀬奈が樹津第二支部の所属となり挨拶へ訪れた日のことを思い出した。
 魔術を悪用する連中は許せない。それが瀬奈の第一声だった。見た目に似合わず熱い考えを持っている子だ。結菜が覚えた第一印象はそれだった。
 そして現状へと至り、結菜の中で一つの疑問が浮上する。

「どうしてそこまで必死になるの?」

 気付いた時には、頭の中に浮かんだ疑問を口からこぼれ落としてしまっていた。

「教える義理なんてありませんよね」

 横から口を出すな。瀬奈の睨むような横目が語る。

「白河を私の独断でここに招いたのが気に食わないのか?」

 万里子が静かにそう問うと、瀬奈は驚いたように万里子の方へ視線を向かわせ、次の瞬間には「もういいですっ」と怒鳴って踵を返した。結菜には、早足で去って行く瀬奈の横目に薄っすらと涙が滲んでいるように見えた。
 突如して現れた嵐が去った後、しんと静まり返った支部内に響いたのは「大方、白河に脅威を覚えて焦ったんだろう」という泰子の呟きだった。
 しかし結菜の内にはそれだけだったのか、という疑問がいつまでも残り続けた。他に何か事情を抱えていたのではないか。が、幾ら思慮してみたところで真意を知るのは結局の所、瀬奈自身だけである事に変わりはない。



  *


 一見した際に訪れた感動も、数時間も経てばすっかりと褪せてしまうものだ。リビングに備え付けられていた赤い三人掛けの広々としたソファで横になる沙羅は、そんな憂いで頭を一杯にしようと努めていた。
 円形のLED照明を眺め、次いでソファの向かいに設置してある黒いテレビ台の上に乗った薄型テレビの真っ黒な画面を見詰める。天板がガラス張りになっているテーブルの上にリモコンが置かれ、少し手を伸ばせばすぐにでもこのシラけた静寂に終わりを告げられる。が、そうはしない。
 静寂の帳に包まれる心地は嫌いでない。ふと嫌なことを考えて気が滅入ってしまいそうにもなるが、今は鼓膜を震わせる煩わしさの方を嫌いたい。そんな気分だった。
 薄手の白いレース状のカーテンの向こうはすっかりと暗がりに覆われてしまっている。目を瞑っていたのか、それとも寝入ってしまっていたのか定かでない空白の時間が存在していることもあって、時間の感覚はずいぶんと前から消失している。
 再び目を瞑ろうとしていると、耳元が騒がしくなった。スマホが頻りに震えている。着信のようだった。
 億劫に思って放置しようかとも思ったが、昼間の万里子の言葉を思い返して仕方なしにスマホを手に取った。しかし、画面に表示されていたのは見知らぬ電話番号だった。
 上体を起こし、やや緊張を強めながら沙羅はスマホを操作して電話に出る。「もしもし」

「元気そうでなによりだ。しかし、樹津に戻ったのなら一言くらい声を掛けてくれても良かったのではないか?」

 スピーカーから聞こえてくる聞き慣れた男声を受け、沙羅の中で強まっていた緊張の熱は急激に冷めきった。

「これ、きょう支給されたスマホなんだけど」
「我々の情報収集能力を知らない君でもないだろう」

 一刻も早く通話を終了し、その手でスマホを床へ叩きつけたい衝動をなんとか堪えながら応じる。

「もうアンタにとって私は無価値な存在になったんじゃないの?」
「無価値? 私が君の母親が残した遺産にのみ価値を見出していたとでも思っていたのか」

 違うの。酷く無機質な自分の声が聞こえた。

「そんな物は単なる付加価値に過ぎない。君という人間が持ち合わせている才覚にこそ、私は至上の価値を見出したに過ぎない」

 詭弁だ。そう思ったはずが何故か電話の向こうの相手にも、そして自分自身でもその発言の否定を嫌ってしまう。

「それで、要件はなに。依頼ならもう受ける気はないけど。知ってるでしょ、私はもう魔術師協会の人間になった。白黒しろくろは一年前に廃業したの」

 告げると、暫しの沈黙が続いた。

「その件に関しては申し訳ないと思っている、心から。ただ、ひとつだけ言い訳をさせて貰えば、アレは君と君のお友達の暴走というイレギュラーに端を発したものだった」

 言い返す言葉が見つからない。そんなもどかしさを誤魔化そうとした。「元はと言えば」

「契約で守られていたのは君であって、君のお友達までを守る義務を我々は負ってなかった。いや、これも言い逃れに違いはない、か」

 どこか憂いの色を帯びる声音に、沙羅の心が僅かに揺らいだ。本当に責任を感じてくれていのだ、と。

「女性を強引に誘うのは私の趣味ではないのでね。気が変わったらいつでも連絡をくれると嬉しい」

 それじゃ。会話の切れ目が覗き見えた際、沙羅は思わず「待って」とすがっていた。そんな自分に驚いたのは自身だけではなかった。

「ん、どうかしたか?」

 一瞬だけ息を呑んだ音がスピーカーから聞こえた気がした。が、それも気のせいだろう「なんでもない」そう告げてから返事を待たずに沙羅の方から通話を切っていた。
 得体の知れない空虚さが沙羅の胸に広がる。孤独感とは違う。けれど、どこか寂しさに似た感情。

「面倒をかけさせて、か」

 昼間、万里子から言われた一言を思い出した。
 思えば、素直に他人を頼る方法を忘れてから久しい。助けられることは多いが、沙羅の方から助けを求めることを暫く絶っていた。助けを求める立場ではなく、常に助けを求められる立場に在りたい。それこそがいつの間にか備わっていた自身のアイデンティティであることを、再びソファに横になった沙羅は思い出していた。
 シラけた静寂の帳がまた、降りてきた。
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