手に入らないモノと満たされる愛

小池 月

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恋人のいる日常

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プロローグ
 冷たい目線。これまで、無視をされることはあっても、こんなに強く睨まれることはなかった。心臓が凍り付くような恐怖。その目線から、身体から伝わってくる、コレは全力の怒り、恨み、憎しみ。
緊張で、冷汗が浮かぶ。心臓がうるさい。指先が冷たい。目線が外せない。ただ、怖くて心が、足が震えた。
 
 僕に向けられた言葉は、一言だった。もしかして、とそっと希望を抱き続けていた僕の心が砕ける一言。

 気が付くと走っていた。喘息主治医の小掠先生から「良くなっているけれど体育はやめておこうね、汗をかくような息の切れる運動はダメだよ」そう指示されていたのも頭に残っていなかった。

満たされた日常
 朝起きると、挨拶を交わす相手がいる。温かい体温を近くで感じる。抱き着くと抱きしめられる。それだけで、一日の始まりが輝く。太陽がたった今昇ったかのように心が照らされる。顔が自然と微笑むことも知った。表情って、感情を表すんだって分かった。
神様みたいな人だな、僕を撫でる隆介先輩を見て思う。

 高校三年になった。先輩は無事に大学に合格した。市内にある自宅から通える大学の医学部。本当は、都内の大学が第一志望だった。志望校を変更した理由は心当たりがありすぎて聞けなかった。
「俺の人生は、俺が決めるから大丈夫」
先輩はそう言っていたけれど、心が締め付けられる申し訳なさ。受験生の先輩に多大な迷惑をかけてしまった。
自分が受験生になって、夢が出来て分かる。この時期、本当に心に余裕がなくなる。成績に気分が左右されるし、周りの皆の様子に焦りを感じる。この時に僕の面倒を見てくれた先輩は、神様のようだと真剣に思う。申し訳なさと、迷惑をかけているけれど出会えたことへの感謝が織り交ざる。
 できたら僕は先輩と同じ大学に行きたい。時々、友達と飲み会で遅くなる先輩に、置いて行かれたような寂しさを感じる。僕の知らない付き合いをして、僕の知らない場所で輝いていると思うと、僕から先輩が離れていかないか不安で仕方なくなる。

 僕は知らなかったけれど、隆介先輩は高校の有名人だった。裕福な家庭で、バスケット部の主将で進学校の成績トップ。誰にも優しくて、常に女子が騒いでいる存在だった。

 喘息の病欠から復学した高校二年の冬。夏の終わりに先輩に会って、怒涛のような季節を過ごした。復学後は、先輩の登校日は一緒に登校した。それだけで目立ってしまい、女子から声をかけられるようになった。学校では、義兄弟になったことは隠している。近所で仲良くなっただけ、と。それでも、仲を取り持って欲しいと、手紙を渡されたりした。どうやって先輩に話そうか、困ってしまうと必ず気づく先輩。
「嫌な思いをしたよね。ごめんね。全部、きちんと断るから大丈夫。心配しないで、俺にそのまま渡せばいいよ」
何も出来ない僕と違って、全てお見通しの先輩。僕は、ただのお荷物だと実感する。少しでも対等になりたいのに、なかなか上手く出来ない。先輩と恋人になって幸せなのに、どんどん不安や焦りが出てくる。先輩と二人でいる時には、心から満たさせるのに、ちょっと離れると不安がよぎる。そんな時は、僕が欠陥人間だからだと思う。

 そして、先輩に言えない秘密がひとつ。高校の帰りに、そっと元の自宅を眺める。もう、そこは僕の場所じゃないけれど、そっと外から家を見る。誰の姿も見えなくても、すごく怖い思いをした家なのに、見ることをやめられない。そこは苦しいばかりの家なのに、悲しみではない何かの涙が流れる。心がぽっかり空洞になったような冷たい風が抜ける。それが何かが分かる前に、僕はその場を離れる。何かに気づいてはいけない。頭が警鐘を鳴らしているのが、少し分かる。今の僕の家に戻る前に、心の中に閉じ込める。コレは、決して探ってはいけないモノだ。

 高校三年になると、少し嘉人の事が気になり始めた。中学三年で、高校受験だよな。どこ受けるのかな。サッカーで推薦かな。勉強はあまり出来なかったから、サッカーで推薦取れるといいけれど。考えては、ため息をつく。僕に心配してほしくないだろうけど。考えないようにしても、どこかに潜む心の陰に苦しくなる。僕の家族の話題は禁句。小掠家では、絶対に話題に出来ない。

 一日一回は、保健室に行く。もう体調はいいけれど、先輩のお姉さんがいる。僕の義姉になった保健室の先生。彼氏と同棲中で小掠家に帰宅しないから、保健室に顔を出して、と言われている。「今日も顔色がいいわね」「今日も元気ね」とニコニコ話してくれる。僕は、小掠先生の様子や、副院長先生の様子、先輩の様子を伝える。上手に話せないけれど、優しく聞いてくれる保健室の先生。時々、内緒よ、と飴やお菓子をくれる。お菓子をもらうなんて。小さな子供に渡すような顔をするから、お礼を言いながら笑ってしまう。僕は高校生です。
 保健室で、先輩の小さいころの話を聞く。保健室の先生とは、七つ年が離れていて溺愛したこと。可愛がりすぎて、小生意気に育ってしまったこと。聞いていて笑ってしまった。小学生までは、背の順で前から三番目。中学高校で急に伸びた身長。すごくモテて、彼女が数人いたこと。知らないことに時折心が波だった。先輩、セックスに慣れていた。女の人と、そういうことしていたんだな。胃の奥が熱くなる気持ちだった。


 「え~。それ、嫉妬じゃん。可愛すぎるんだけど」
キャバクラのお姉さんに笑われる。そうなの? 嫉妬? これが? 恥ずかしくて顔が熱くなる。
「どうしたらいいか分からないんです……一緒にいれば満足しているのに、少し離れると色んな思いに心が締め付けられるから。あの、僕の心が狭いのかなって」
「クロ、それは彼氏には内緒にしなよ。嫉妬は隠した方がいいわ。しかも過去の事に嫉妬すると、ウザがられて別れる原因になるからね」
コクリと頷く。さすがキャバクラのお姉さん。為になる。この話は絶対に出さないようにしよう。別れるなんて恐ろしすぎる。心にメモしておこう。
 月に一回はお世話になったキャバクラに開店前に顔を出す。準備は分かっているから、床掃除や開店のお手伝いをする。助けてもらった恩返しのつもり。でもオーナーには怒られる。
「ばかやろう。雑用なんかで恩を返すな。こんな誰でもできるコトなんかで恩返しできるほど、安くねーんだよ」
毎回ぶっきらぼうに言う。相変わらずだ。そう言いながら目元が微笑んでいるのを、もう知っている。
「大人になったら、通います。それまで潰さずにお店繁盛させてください」
心からそう思って伝えたのに、オーナーはご機嫌ナナメ顔。
「お前なぁ、生意気言うようになったなぁ。次来た時にはゲロ掃除でもさせるわ」
そう言いながらデコピンされた。人生で初めてのデコピンだった。可笑しくて、涙を流して笑った。
「デコピン、初めてです」
言ってみると、オーナーやスタッフが呆れ顔でこちらを向く。
「どんだけ箱入りだ!」
お姉さんや、スタッフにデコピンされまくって、逃げ回るのに必死だった。込み上げる笑いが止まらなかった。
 僕は、この人たちが結構好きだ。

 先輩が大学生になると、それぞれの生活スタイルが違うから、一緒にいる時間も減った。大学での生活を充実させないと先輩のためにならないだろう。サークルにも入って欲しい。僕は先輩の負担になりたくないから、先輩の生活を大切にする提案をした。
「斗真は偉いね。いつの間にか強くなった」
笑顔で話す先輩。そんなことないです、と言いたいのに言えない。
「家では、いっぱいイチャイチャしようね。お互いの話がたくさんできると思ったら、大学生活も楽しむ気持ちになるな」
「僕は高校に友達いないから、楽しい話なんて、きっとできません」
「いいよ。友達が多いとか少ないとか、それがイコール充実した高校生活とは限らないよ。斗真が行き帰りに見た景色や、空の色とか、授業の時の先生の様子とか。そういった周りの事を見る余裕が出来たら、それを教えて欲しいな。自分だけで手いっぱいにならないことが大切なんじゃないかな。体調、良くなってきて視線を上げる気持ちにもなっているとも思うよ。斗真の見た世界から、その日の斗真を俺が想像するよ。お互いの知らない時間を想像し合うんだ。楽しいと思わない?」
先輩の大学生活を想像するのか。そう考えたら、ちょっとワクワクした。
「はい。楽しみになりました」
喘息も落ち着いたし、寝不足でめまいがすることも無くなった。あと一年の高校生活。先輩に日々、話すことを探してみようと思った。先輩と笑いあう。包み込まれるような温かい隆介先輩が大好きだ。


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