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Ⅰ章 生きることが許されますように
3 ルーカス殿下との出会い① <SIDE:タクマ>
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温かくて、目が覚めた。すっきりとした目覚め。僕、誰かに抱きしめられている。厚い身体。大きな男性だ。なんで?
状況が理解できなくて混乱する。身動きが出来ない。一緒に居る人の心臓の音が聞こえる。息を頭に感じる。
ふわふわと僕に巻き付く、尻尾。あぁ、動物耳の夢を見ているんだった。まだ続いていたのか。
尻尾、柔らかいな。身体にくっつくそれを、手で触ってみる。触ると僕の腕を撫でるように巻き付いてくる。毛がくすぐったい。
フフって声が漏れてしまった。これは、ライオンの尻尾かな。毛先を手でなでてみる。可愛い。僕を抱きしめる力が弱まった。
「おはよう」
顔が、見えた。
心臓がドクンと鳴った。一気に体温が下がり、冷汗が噴き出た。手が震える。
僕を抱きしめていたのは、兄さんだった。
目の前がグラグラする。とにかく、謝らなくてはいけない。家でするように、ベッドの上で土下座をして謝る。
「兄さん、ごめんなさい。もう、もう、しません。ごめんなさい」
「おい、なんの事だ? ちょっと、まって」
ベッドじゃだめだ。セックスを強要されても一緒のベッドで寝ることはしなかった。意識を失うほどの行為後でも、たたき起こされ蹴り飛ばされて部屋に戻されていた。寝てしまった僕を怒っているだろう。
震えながら床に降りる。額を床につけてひたすら兄に謝る。
「ちょっと、大丈夫だから、俺は兄じゃないだろう? ほら」
僕の背中を優しく撫でられる。
殴り飛ばされると思っていたのに。予想外の事に驚いて謝罪をストップする。
この優しい手は、知っている。兄さんはこんなに優しくない。顔を上げて目の前の人を見てみる。困った顔が目に映る。どう見ても兄さん。
だけど、髪が金色。頭にライオン耳。背中に揺れる尻尾。兄さんだけど、違う。体つきは兄さんより一回り以上大きい。
不思議すぎて目が離せない。
「兄さんじゃ、ないの……?」
「違うよ。兄さんは怖いんだね。俺は兄じゃない。大丈夫だ」
床に座る僕を軽々と持ち上げられる。
驚いて拒否する間もなく膝の上に乗せられる。横抱きに抱きしめられる。
「もう大丈夫だよ。怖くない。お腹すいていないかい? 君はやせすぎだよ。まず、食べよう」
コクリと頷く。お腹、空いています。そしてここの事、色々と聞きたい。
歩くと言ったのに、僕はお姫様抱っこで運ばれた。「落ちる。怖い」と、彼の首にしがみつくと、「可愛い。可愛い」と頬ずりされる。
その動きに、「落とさないで」と頼むと、「大丈夫だ」と太い腕が僕を抱きしめた。
僕を見る顔が、輝く笑顔。兄さんの顔が優しく笑う。本当に、不思議な感じだ。
ダイニングテーブルでは、彼が横にいる。数名の使用人さんが僕を見て顔を赤くしながら食べ物をテーブルに並べてくれる。お腹がグウっと鳴る。空腹感は強くないけれど匂いに刺激される。
「好きなのを食べていいよ。好みが分からないから、色々用意したよ」
「ありがとうございます。いただきます」
「え? 何?」
「え? 何ですか?」
見合ってしまう。
「いただきますって何?」
「あ、食べる前の挨拶です。僕の住んでいるところ、での」
「へぇ。食後に色々聞きたいな。とにかくどうぞ」
目の前を見る。
料理は、普通だ。パンにお粥、肉料理、サラダに温野菜、果物、デザートなど様々。ごちそうだ。量が、多い。
お粥をとろうとしたら、「お取りします」と横から背の高い牛耳女性が取り分けてくれた。
塩味で、美味しい。「こちらもどうぞ」少量ずつをとって置いてくれる。どれも日本の味付けと変わらず美味しい。嬉しくなる。スプーンとフォークでパクパク食べた。
「お腹いっぱいです。ご馳走様です」
こんなに食べたのは久しぶり。幸せだ。
食べている間に、周りの人を見た。みんな、優しい顔だ。全然怖くない。食べ物は足りなくないか、欲しいのはどれか、気遣ってくれる。こんな風に優しさに触れるのは、いつぶりだろう。
ここは、嫌な場所じゃない。ちょっとほっとした。
「え? もういらないのですか?」
「まだ、ほんの少ししか召し上がっていませんよ?」
声をかけられて、驚く。
僕としては、結構食べました。横を見ると、兄の顔をした彼が、大人三人前の山盛りの肉とパンをペロリと食べきっていた。さすが、動物耳の人だ。
「ずっと寝ていたから、食べられないかな」
そっと頭を撫でられる。顔が熱くなる。
「え? あの、いつもより食べました。本当にもう、結構です」
撫でられることに慣れていない。首を縮めて逃げようとすると、「可愛い、可愛い」と何度も撫でられる。
なんか、コレはペット扱いじゃないか? もしかしてココ、人間がペットってこと? 兄にそっくりな顔を見て、撫でたいなら撫でさせよう、と力を抜いた。抵抗しないほうがいい。
そんな僕の変化を見て、彼が撫でるのをやめた。
「お腹がいっぱいなら、無理しなくていいからね。部屋を案内しよう。数日はここに居る。自己紹介がまだだったね。俺は、リリアの第一皇子ルーカス・リオン・リリア。ルーカスって呼んで」
え? 皇子様? びっくりだ。
「あの、僕は、一般市民、の永倉拓真と言います。拓真と呼んでください」
「一般市民って、ははは。名前が聞けて良かった。タクマと呼ぶね。歩ける? 抱き上げてもいいけれど」
「歩けます。あの、運んでいただき、ありがとうございました。食事もありがとうございます。こんなにゆっくり食べられたのは久しぶりでした」
「それは、良かった」
にこりと微笑む顔。
兄の顔なのに印象が全然違う。兄さんも笑うとこんな顔なのかな、と考えて、一瞬で怖い兄を思い出してしまいブルっと震えが走る。この人は、優しい。兄じゃない。
震えたついでにトイレに行きたくなってくる。
「あ、トイレどこですか? 使わせてもらって大丈夫ですか?」
もし僕がペット扱いなら、トイレは外でするのかもしれない。本当はそれほど尿意があったわけじゃないけれど、確認の意味も含めて聞いてみた。返答に緊張する。
「もちろん、自由に使って。もしかして我慢していた? 気づかなくてごめんね」
トイレが使えることに、安心した。廊下に出て、案内してくれる。
「終わったら、さっきの部屋に戻れる?」
「はい。大丈夫です」
僕の頭をヨシヨシと撫でてルーカス様が戻っていく。
ルーカス様、か。ルーカス殿下なのかな。呼ぶのに緊張するな。そんなことを考えて用を足す。
トイレは洋式の水洗式。よく見れば、室内は電気だし、日本の社会と変わらない。生活には困らなそう。
トイレから出ると、廊下には僕より十五センチくらい背の高い犬耳女性が待っていて案内してくれた。
スカートから出ている犬の尻尾がふかふかだ。触りたいな、そんな気持ちにさせる尻尾。
「尻尾、ちょっと触ってもいいですか?」
「はい?! わたくしの、尻尾ですか?!」
前を歩いていた女性が、ものすごく真っ赤になって振り向く。あまりに勢いに驚いた。
「え! あの、やっぱり、何でもないです!すみません」
僕は何かしでかしたのだろうか? 慌ててしまう。
そんな僕に、犬耳お姉さんがものすごく熱っぽい視線で一歩近づいてくる。なんか、身の危険を感じる。距離が縮まるのが怖くなり、徐々に後ろに下がる。怖くて目線が外せない。
「本当に、何でも、ないです。ごめん、なさい」
謝るが、お姉さんは女性とは思えない鼻息になっている。怖い。どうしよう。僕の額に汗が一筋流れた。
ガチャリと廊下のドアが開く。途端に、ゾクリと空気が重くなる。
「ストップ。どうしたの?」
お姉さんの後ろに、ルーカス様。笑顔、だよね。なのに、何、これ。心臓が勝手に怖いって走り始める。手が、震える。ルーカス様を見たまま、尻もちをつく。
「も、申し訳ありません! 尻尾を触りたいとおっしゃられて……」
お姉さんはルーカス様に向かって膝をついて頭を下げている。
「尻尾? それ、言ったの?」
僕に向かって問いかけるルーカス様。空気の重さがなくなっている。でも、起き上がれない。ルーカス様から目が離せない。額に冷汗が滲んでいる。心臓がバクバク鳴っている。
ルーカス様の問いに答えなきゃいけない、それだけが頭に浮かぶ。自然と言葉が出ていた。
「ふかふかの、尻尾が、目の前に、揺れていて、それで……」
お姉さんがこちらを見て、また真っ赤になる。
「この女性と性行為したいの? それとも求愛しているの?」
近くに来て、僕に目線を合わせてルーカス様が聞いてくる。
「え? 尻尾ってそういう意味なんですか?」
それは、とてもびっくりだ。お姉さん、それで興奮したのか!
「タクマ、いいかい。尻尾や獣耳は恋人にしか触らせない。むやみに褒めてもだめだ。じっと見てもダメ。それは、あなたを性的な目で見ていますってこと」
説明されて途端に顔が熱くなる。
僕の世界にすると、女性の胸を「素敵なおっぱいだ。触りたい」と褒めたようなものなのか。それは、お姉さん勘違いするよ。僕、変態じゃないか!
「本当にごめんなさい。性的な意味なんて、知らなくて。もう言いません。すみません」
お姉さんに向かって、全力で謝る。
お姉さんは「いえ、そうですよね。私なんか、相手になるワケないですよね」と耳を下に向けてシュンとしている。
どういう意味なのか分からないけど、きっと傷つけてしまったのだ。申し訳なくて、どうしていいのか分からない。
「あの、お姉さんは本当に美人で素敵です。尻尾もつい、触りたくなるような魅力があって、僕が知らなくて、その……」
「もう、いいにしよう。ほら、朝は俺の尻尾でじゃれていたじゃないか。俺のなら触っていいから」
ライオンの尻尾で顔や首をスリスリされる。
くすぐったくて気持ちいいフワフワ。笑ってしまった。頬が緩むのなんて何年ぶりだろう。
「わぁ。やめて。あは、あはは、くすぐったい」
フワフワの毛先を掴んで顔から遠ざける。ユラユラ動く尻尾が愛らしくてつい撫でてしまった。
その様子をお姉さんと、様子を見に来た数名がポカンと見ている。
「……殿下、尻尾、よろしいのですか?」
つぶやくように誰かが言う。
そうか。尻尾を触るって人前で女性のおっぱい揉んでいるようなものなのかな? 殿下、男性だけど。ここで触って良いものではないのかも。パッと尻尾から手を離す。
「タクマなら、良い」
ルーカス様がニコリと笑っている。申し訳なくて、この微妙な空気に居たたまれない。
「色々話をする必要があるね」
ひょいっと横抱きにされる。さっきの重い空気で腰が抜けていたから、ちょっと助かった。
運びやすいように首にしがみつく。色々驚いてしまって、不安を誤魔化すようにルーカス様の中に隠れ込む。ルーカス殿下は満足そうに僕に微笑みギュッと抱きしめる。
そして犬耳お姉さんに向いた。
「君、尻尾の件は忘れるように」
頭を垂れたまま「はい」と返答をするお姉さん。ごめんなさい。
これまでの僕の人生で、ここ数日のように優しくしてくれた人はいなかった。僕がかまってもらえることなんて無かった。さっきみたいに笑うことなんて有り得なかった。殿下と同じ顔の兄は恐怖そのものだった。こうして抱き上げてくれる人がいなくて、立てなければ這いつくばって進むしかなかった。
上から僕を見下して笑う兄の顔が頭をよぎった。父の冷たい侮蔑の視線が浮かんだ。
どっちかが夢なら、僕の生きてきた人生が夢だったほうがいい。なぜか怖くなり温かい胸にしがみつく。
これ、夢じゃないよね。大丈夫、だよね?ちょっと不安になった。
ソファーに降ろされた。横に殿下が座る。広いリビングだ。一面の窓から、外の景色が見える。緑の木々と、その先に大きな海? 川かな。水面がキラキラきれい。ここは、五階建てくらいの高さだと分かった。
ローテーブルにお茶とお菓子がたくさん並べられる。果物もある。ゼリーやプリンやケーキも。さっき、ご飯食べたばかりなのに。
「デザートだよ。甘いもの好きかな?」
「好きですけど、こんなに沢山……」
「大丈夫。一緒に話そうと思って、人を呼んでいるから。みんなで食べよう。来るまで、お茶でも」
「はい。いただきます」
「あ、さっきの。じゃ、俺も。イタダキマス」
挨拶を真似るルーカス様と少し笑いあう。
食べる前の挨拶であることを伝える。僕はお腹がいっぱいだから、お茶だけいただいた。匂いで分かっていたけれど紅茶だ。
この世界の食べ物の味も飲み物も慣れた味で良かった。温かくて落ち着く。
「タクマは、何歳かな?」
「十七歳です。高校二年です」
「十七?? え?? 嘘だろう?」
成長が遅いから、幼くみられていたかな。恥ずかしい。
部屋に居た二名の使用人さんも驚いた顔でこちらを見ている。
「痩せすぎだよ。可愛いけれど、もっと食べたほうがいい。甘いものより、肉? 魚かな?」
「本当にもう食べられません。結構です」
すぐにでも、もう一回食事を用意されそうな勢いだ。
食事は断る。食べろと勧められるので、オレンジのゼリーをとる。これなら、入るかな?
「ゼリーが好きなんだね」
甘いものは全部好きだが「はい」と答えておいた。
食べ物は、自由に食べられなかったから、この状況に心が温かくなる。僕が食べたいもの、食べていいんだ。
一口食べると、その美味しさに驚く。ゼリーに氷が入っている。これなら食べきれそう。
「おいしぃ」
小さな声が漏れた。殿下がニッコリ笑ってこちらを見る。使用人さんも、ニコニコこちらを見ている。温かい目線だ。獣耳がピクピク動いて可愛い。
「失礼します」
ドアをノックして、紺色お揃いの制服を着た虎耳のおじさん二人が来た。僕が初めて見た二人だ。殿下に敬礼して、挨拶をする。
僕と目が合うとニッコリ笑ってくれた。殿下に促されて、テーブルを囲う別のソファーに二人が座る。
「元気そうで良かった」
「心配していたよ」
それぞれに声をかけられる。
「大丈夫です。色々と、ありがとうございます」
と頭を下げる。虎のおじさん達はニッコリ笑って「可愛い」とたくさん言った。
この世界では僕は小動物扱いなのが、よくわかってきた。本当に可愛いわけじゃないんだ。猫や子犬に対する感情と同じだ。僕は捨てられないように気を付けなくてはいけない、と感じた。
この虎の二人は、ここ「沿岸十三区域」という警備区の隊長だった。双子でツートップ。そっくりなのが納得できた。代わる代わる説明をしてくれたけれど、現状を理解するのに首をかしげてばかりだった。
この世界は、「リリア」と「ルド」という二つの国と、「天の川」という川で構成されている。天の川はリリアとルドを真ん中で分断するように流れている。海という概念がなく、リリアとルドは全てを天の川に囲まれた大陸。
天の川は不思議な神の川。住んでいる人は獣人で、耳と尻尾が必ずある。
獣人は大型種と中型、小型がいる。小型獣人は希少種。獣人には自分より小さい種族を溺愛する保護欲が本能としてあり、それが特に大型に強いことを聞いた。
獣人は性欲も強いから気を付けること、とルーカス様に真剣な顔で言われた。
リリアは、奴隷制度がない差別意識の低い豊かな国。対してルドは、徹底的な差別国家。奴隷制度があり、少数の貴族が全てを支配している。ルドの奴隷は、所有貴族家家紋の焼き印をつけられる。
ルドでは奴隷への罰や、貴族の遊びで獣人にとって誇りである耳や尻尾を切除されることがある。切除された獣人は恐怖に支配され生きる気力を失う。そのような者が天の川から流れつくことがあるが、生きて流れつくのは少数。たいがいは、傷が回復しても生きる力が極端に弱まり、小さく震えながら枯れるように死んで行く。
ルドとリリアは互いに交流のない干渉しない国。流れ着いた獣人は互いの国に入った時点でその国のモノとなる。リリアでは、こうした悲惨な獣人を見つければ必ず保護される。悪意や邪心のあるものは、川に入っても底に沈む。船で川を渡ることも出来ない。神が認めた者だけが流れつく。
だから天の川の神が助けた者は「神の使い」とされ、国の象徴のような存在になる。
三人が順番にゆっくり話してくれたが、あまりに現実離れした内容で頷く事さえ忘れて聞き入っていた。
「さて、ざっくりだけど、だいたいリリアのことが分かったかな?」
「……はい」
頭が混乱しそうだけど。
「じゃ、タクマの話を聞きたいな」
深呼吸する。
「僕は、地球と言う場所の日本という国に住んでいました」
殿下も虎の二人も不思議な顔をしている。
「日本では、人間という種族が世界を主導しています。多分、こことは違う世界だと思います。人間には、獣人のような耳や尻尾がありません。身体的にも弱い生き物です。僕はその中でもさらに小さいほうです。僕には父と兄と母がいました。母は、僕が九歳のころ家からいなくなりました。僕は、父と兄に育てられました」
一呼吸置く。
「……僕は、家族の中で底辺の存在でした」
父と兄と僕の生活の事、ここに来ることになった海に飛び込んだ日の事、説明しなくてはいけないのかな。
言葉が見つからず口が震えた。家での、こと。兄との、いろいろ。思い出すうちに心臓がドクドクと速くなる。だんだん息苦しさを感じて背中を丸める。吐き戻しそうになり口元を押さえる。
「もういい。いいよ。だいたい分かった。よく頑張ったね。もう、いいよ」
横から温かい腕が僕を包む。見上げたら兄さんの顔。違う、ルーカス殿下だ。そう思っても頭が混乱する。
「……兄さんの顔が、ルーカス様にそっくり、です」
やっとの思いで、告げる。
「そっか。それで、俺を見て怖がっていたの?」
「はい。兄は……怖い、です」
怖いと言ってしまった。声が震える。言ってはいけない一言を初めて口にしてしまった。
大丈夫だろうか。冷汗が流れる。自然に震える身体。虎の獣人が心配そうに僕を見ている。耳がやや垂れている。この人たちは感情が分かりやすい。そして優しい人たちだな、と思う。
「君は、もともと獣耳も尻尾もないんだね?」
「はい」
「それなら、少し安心した。ここリリアでは、奴隷制度はない。だが、川を挟んで隣国ルドでは厳しい階級制度がある。虐待や貴族の娯楽で獣人の耳や尻尾を切り落とされることがある。獣人にとって獣耳と尻尾は大切な部分だ。切られた獣人は長く生きることができない」
僕を撫でる殿下。ゾッとした。リリアに流れ着いて良かった。ルドだったら僕はどう扱われたのだろう。神様に感謝しなきゃ。この不思議な体験で、世の中には神様が本当にいるのだと思った。
「タクマのような可愛い子が、獣耳や尻尾を切られていなくて、本当に安心した」
虎獣人も、ぶんぶんと頷いている。
「それでも、きっと君は良い環境にいなかった。君の恐怖と怯えがそれを物語っている」
僕を撫でながらルーカス殿下が話す。
「天の川の神の守護を受けたんだ。この国で幸せになればいい」
優しい言葉だ。殿下の目を見つめる。
「今日全部話さなくていいよ。この先、ゆっくり時間をかけていけばいい。タクマの身柄は俺が保護するよ。違う世界から来たことは、俺たちだけにしか言わないように。それでなくても小さく可愛い神の使いだ。神格化されても困る。特殊な事情は伏せたほうがいい。とりあえず、記憶喪失としておこう。大丈夫」
僕はコクリと頷いた。この国に来られて良かった。殿下と虎の隊長たちに「よろしくお願いします」と頭を下げた。
虎の双子隊長は、髭のおじさんをサムさん、髭なしおじさんをトムさんと紹介された。
何かしたいことはある? と聞かれて、お風呂に入りたいと答えた。自分がちょっと臭いし、髪もベタっとしている。殿下は尻尾をぶんぶん振って喜んでいる。一人で入ることを伝えると、倒れたら困ると却下された。殿下からするとペットや子ども扱いみたいだし、銭湯と思えばいいか、と一緒に入ることになった。
優しさが温かくて嬉しいから、ちょっと甘えていいかな、と思えた。
状況が理解できなくて混乱する。身動きが出来ない。一緒に居る人の心臓の音が聞こえる。息を頭に感じる。
ふわふわと僕に巻き付く、尻尾。あぁ、動物耳の夢を見ているんだった。まだ続いていたのか。
尻尾、柔らかいな。身体にくっつくそれを、手で触ってみる。触ると僕の腕を撫でるように巻き付いてくる。毛がくすぐったい。
フフって声が漏れてしまった。これは、ライオンの尻尾かな。毛先を手でなでてみる。可愛い。僕を抱きしめる力が弱まった。
「おはよう」
顔が、見えた。
心臓がドクンと鳴った。一気に体温が下がり、冷汗が噴き出た。手が震える。
僕を抱きしめていたのは、兄さんだった。
目の前がグラグラする。とにかく、謝らなくてはいけない。家でするように、ベッドの上で土下座をして謝る。
「兄さん、ごめんなさい。もう、もう、しません。ごめんなさい」
「おい、なんの事だ? ちょっと、まって」
ベッドじゃだめだ。セックスを強要されても一緒のベッドで寝ることはしなかった。意識を失うほどの行為後でも、たたき起こされ蹴り飛ばされて部屋に戻されていた。寝てしまった僕を怒っているだろう。
震えながら床に降りる。額を床につけてひたすら兄に謝る。
「ちょっと、大丈夫だから、俺は兄じゃないだろう? ほら」
僕の背中を優しく撫でられる。
殴り飛ばされると思っていたのに。予想外の事に驚いて謝罪をストップする。
この優しい手は、知っている。兄さんはこんなに優しくない。顔を上げて目の前の人を見てみる。困った顔が目に映る。どう見ても兄さん。
だけど、髪が金色。頭にライオン耳。背中に揺れる尻尾。兄さんだけど、違う。体つきは兄さんより一回り以上大きい。
不思議すぎて目が離せない。
「兄さんじゃ、ないの……?」
「違うよ。兄さんは怖いんだね。俺は兄じゃない。大丈夫だ」
床に座る僕を軽々と持ち上げられる。
驚いて拒否する間もなく膝の上に乗せられる。横抱きに抱きしめられる。
「もう大丈夫だよ。怖くない。お腹すいていないかい? 君はやせすぎだよ。まず、食べよう」
コクリと頷く。お腹、空いています。そしてここの事、色々と聞きたい。
歩くと言ったのに、僕はお姫様抱っこで運ばれた。「落ちる。怖い」と、彼の首にしがみつくと、「可愛い。可愛い」と頬ずりされる。
その動きに、「落とさないで」と頼むと、「大丈夫だ」と太い腕が僕を抱きしめた。
僕を見る顔が、輝く笑顔。兄さんの顔が優しく笑う。本当に、不思議な感じだ。
ダイニングテーブルでは、彼が横にいる。数名の使用人さんが僕を見て顔を赤くしながら食べ物をテーブルに並べてくれる。お腹がグウっと鳴る。空腹感は強くないけれど匂いに刺激される。
「好きなのを食べていいよ。好みが分からないから、色々用意したよ」
「ありがとうございます。いただきます」
「え? 何?」
「え? 何ですか?」
見合ってしまう。
「いただきますって何?」
「あ、食べる前の挨拶です。僕の住んでいるところ、での」
「へぇ。食後に色々聞きたいな。とにかくどうぞ」
目の前を見る。
料理は、普通だ。パンにお粥、肉料理、サラダに温野菜、果物、デザートなど様々。ごちそうだ。量が、多い。
お粥をとろうとしたら、「お取りします」と横から背の高い牛耳女性が取り分けてくれた。
塩味で、美味しい。「こちらもどうぞ」少量ずつをとって置いてくれる。どれも日本の味付けと変わらず美味しい。嬉しくなる。スプーンとフォークでパクパク食べた。
「お腹いっぱいです。ご馳走様です」
こんなに食べたのは久しぶり。幸せだ。
食べている間に、周りの人を見た。みんな、優しい顔だ。全然怖くない。食べ物は足りなくないか、欲しいのはどれか、気遣ってくれる。こんな風に優しさに触れるのは、いつぶりだろう。
ここは、嫌な場所じゃない。ちょっとほっとした。
「え? もういらないのですか?」
「まだ、ほんの少ししか召し上がっていませんよ?」
声をかけられて、驚く。
僕としては、結構食べました。横を見ると、兄の顔をした彼が、大人三人前の山盛りの肉とパンをペロリと食べきっていた。さすが、動物耳の人だ。
「ずっと寝ていたから、食べられないかな」
そっと頭を撫でられる。顔が熱くなる。
「え? あの、いつもより食べました。本当にもう、結構です」
撫でられることに慣れていない。首を縮めて逃げようとすると、「可愛い、可愛い」と何度も撫でられる。
なんか、コレはペット扱いじゃないか? もしかしてココ、人間がペットってこと? 兄にそっくりな顔を見て、撫でたいなら撫でさせよう、と力を抜いた。抵抗しないほうがいい。
そんな僕の変化を見て、彼が撫でるのをやめた。
「お腹がいっぱいなら、無理しなくていいからね。部屋を案内しよう。数日はここに居る。自己紹介がまだだったね。俺は、リリアの第一皇子ルーカス・リオン・リリア。ルーカスって呼んで」
え? 皇子様? びっくりだ。
「あの、僕は、一般市民、の永倉拓真と言います。拓真と呼んでください」
「一般市民って、ははは。名前が聞けて良かった。タクマと呼ぶね。歩ける? 抱き上げてもいいけれど」
「歩けます。あの、運んでいただき、ありがとうございました。食事もありがとうございます。こんなにゆっくり食べられたのは久しぶりでした」
「それは、良かった」
にこりと微笑む顔。
兄の顔なのに印象が全然違う。兄さんも笑うとこんな顔なのかな、と考えて、一瞬で怖い兄を思い出してしまいブルっと震えが走る。この人は、優しい。兄じゃない。
震えたついでにトイレに行きたくなってくる。
「あ、トイレどこですか? 使わせてもらって大丈夫ですか?」
もし僕がペット扱いなら、トイレは外でするのかもしれない。本当はそれほど尿意があったわけじゃないけれど、確認の意味も含めて聞いてみた。返答に緊張する。
「もちろん、自由に使って。もしかして我慢していた? 気づかなくてごめんね」
トイレが使えることに、安心した。廊下に出て、案内してくれる。
「終わったら、さっきの部屋に戻れる?」
「はい。大丈夫です」
僕の頭をヨシヨシと撫でてルーカス様が戻っていく。
ルーカス様、か。ルーカス殿下なのかな。呼ぶのに緊張するな。そんなことを考えて用を足す。
トイレは洋式の水洗式。よく見れば、室内は電気だし、日本の社会と変わらない。生活には困らなそう。
トイレから出ると、廊下には僕より十五センチくらい背の高い犬耳女性が待っていて案内してくれた。
スカートから出ている犬の尻尾がふかふかだ。触りたいな、そんな気持ちにさせる尻尾。
「尻尾、ちょっと触ってもいいですか?」
「はい?! わたくしの、尻尾ですか?!」
前を歩いていた女性が、ものすごく真っ赤になって振り向く。あまりに勢いに驚いた。
「え! あの、やっぱり、何でもないです!すみません」
僕は何かしでかしたのだろうか? 慌ててしまう。
そんな僕に、犬耳お姉さんがものすごく熱っぽい視線で一歩近づいてくる。なんか、身の危険を感じる。距離が縮まるのが怖くなり、徐々に後ろに下がる。怖くて目線が外せない。
「本当に、何でも、ないです。ごめん、なさい」
謝るが、お姉さんは女性とは思えない鼻息になっている。怖い。どうしよう。僕の額に汗が一筋流れた。
ガチャリと廊下のドアが開く。途端に、ゾクリと空気が重くなる。
「ストップ。どうしたの?」
お姉さんの後ろに、ルーカス様。笑顔、だよね。なのに、何、これ。心臓が勝手に怖いって走り始める。手が、震える。ルーカス様を見たまま、尻もちをつく。
「も、申し訳ありません! 尻尾を触りたいとおっしゃられて……」
お姉さんはルーカス様に向かって膝をついて頭を下げている。
「尻尾? それ、言ったの?」
僕に向かって問いかけるルーカス様。空気の重さがなくなっている。でも、起き上がれない。ルーカス様から目が離せない。額に冷汗が滲んでいる。心臓がバクバク鳴っている。
ルーカス様の問いに答えなきゃいけない、それだけが頭に浮かぶ。自然と言葉が出ていた。
「ふかふかの、尻尾が、目の前に、揺れていて、それで……」
お姉さんがこちらを見て、また真っ赤になる。
「この女性と性行為したいの? それとも求愛しているの?」
近くに来て、僕に目線を合わせてルーカス様が聞いてくる。
「え? 尻尾ってそういう意味なんですか?」
それは、とてもびっくりだ。お姉さん、それで興奮したのか!
「タクマ、いいかい。尻尾や獣耳は恋人にしか触らせない。むやみに褒めてもだめだ。じっと見てもダメ。それは、あなたを性的な目で見ていますってこと」
説明されて途端に顔が熱くなる。
僕の世界にすると、女性の胸を「素敵なおっぱいだ。触りたい」と褒めたようなものなのか。それは、お姉さん勘違いするよ。僕、変態じゃないか!
「本当にごめんなさい。性的な意味なんて、知らなくて。もう言いません。すみません」
お姉さんに向かって、全力で謝る。
お姉さんは「いえ、そうですよね。私なんか、相手になるワケないですよね」と耳を下に向けてシュンとしている。
どういう意味なのか分からないけど、きっと傷つけてしまったのだ。申し訳なくて、どうしていいのか分からない。
「あの、お姉さんは本当に美人で素敵です。尻尾もつい、触りたくなるような魅力があって、僕が知らなくて、その……」
「もう、いいにしよう。ほら、朝は俺の尻尾でじゃれていたじゃないか。俺のなら触っていいから」
ライオンの尻尾で顔や首をスリスリされる。
くすぐったくて気持ちいいフワフワ。笑ってしまった。頬が緩むのなんて何年ぶりだろう。
「わぁ。やめて。あは、あはは、くすぐったい」
フワフワの毛先を掴んで顔から遠ざける。ユラユラ動く尻尾が愛らしくてつい撫でてしまった。
その様子をお姉さんと、様子を見に来た数名がポカンと見ている。
「……殿下、尻尾、よろしいのですか?」
つぶやくように誰かが言う。
そうか。尻尾を触るって人前で女性のおっぱい揉んでいるようなものなのかな? 殿下、男性だけど。ここで触って良いものではないのかも。パッと尻尾から手を離す。
「タクマなら、良い」
ルーカス様がニコリと笑っている。申し訳なくて、この微妙な空気に居たたまれない。
「色々話をする必要があるね」
ひょいっと横抱きにされる。さっきの重い空気で腰が抜けていたから、ちょっと助かった。
運びやすいように首にしがみつく。色々驚いてしまって、不安を誤魔化すようにルーカス様の中に隠れ込む。ルーカス殿下は満足そうに僕に微笑みギュッと抱きしめる。
そして犬耳お姉さんに向いた。
「君、尻尾の件は忘れるように」
頭を垂れたまま「はい」と返答をするお姉さん。ごめんなさい。
これまでの僕の人生で、ここ数日のように優しくしてくれた人はいなかった。僕がかまってもらえることなんて無かった。さっきみたいに笑うことなんて有り得なかった。殿下と同じ顔の兄は恐怖そのものだった。こうして抱き上げてくれる人がいなくて、立てなければ這いつくばって進むしかなかった。
上から僕を見下して笑う兄の顔が頭をよぎった。父の冷たい侮蔑の視線が浮かんだ。
どっちかが夢なら、僕の生きてきた人生が夢だったほうがいい。なぜか怖くなり温かい胸にしがみつく。
これ、夢じゃないよね。大丈夫、だよね?ちょっと不安になった。
ソファーに降ろされた。横に殿下が座る。広いリビングだ。一面の窓から、外の景色が見える。緑の木々と、その先に大きな海? 川かな。水面がキラキラきれい。ここは、五階建てくらいの高さだと分かった。
ローテーブルにお茶とお菓子がたくさん並べられる。果物もある。ゼリーやプリンやケーキも。さっき、ご飯食べたばかりなのに。
「デザートだよ。甘いもの好きかな?」
「好きですけど、こんなに沢山……」
「大丈夫。一緒に話そうと思って、人を呼んでいるから。みんなで食べよう。来るまで、お茶でも」
「はい。いただきます」
「あ、さっきの。じゃ、俺も。イタダキマス」
挨拶を真似るルーカス様と少し笑いあう。
食べる前の挨拶であることを伝える。僕はお腹がいっぱいだから、お茶だけいただいた。匂いで分かっていたけれど紅茶だ。
この世界の食べ物の味も飲み物も慣れた味で良かった。温かくて落ち着く。
「タクマは、何歳かな?」
「十七歳です。高校二年です」
「十七?? え?? 嘘だろう?」
成長が遅いから、幼くみられていたかな。恥ずかしい。
部屋に居た二名の使用人さんも驚いた顔でこちらを見ている。
「痩せすぎだよ。可愛いけれど、もっと食べたほうがいい。甘いものより、肉? 魚かな?」
「本当にもう食べられません。結構です」
すぐにでも、もう一回食事を用意されそうな勢いだ。
食事は断る。食べろと勧められるので、オレンジのゼリーをとる。これなら、入るかな?
「ゼリーが好きなんだね」
甘いものは全部好きだが「はい」と答えておいた。
食べ物は、自由に食べられなかったから、この状況に心が温かくなる。僕が食べたいもの、食べていいんだ。
一口食べると、その美味しさに驚く。ゼリーに氷が入っている。これなら食べきれそう。
「おいしぃ」
小さな声が漏れた。殿下がニッコリ笑ってこちらを見る。使用人さんも、ニコニコこちらを見ている。温かい目線だ。獣耳がピクピク動いて可愛い。
「失礼します」
ドアをノックして、紺色お揃いの制服を着た虎耳のおじさん二人が来た。僕が初めて見た二人だ。殿下に敬礼して、挨拶をする。
僕と目が合うとニッコリ笑ってくれた。殿下に促されて、テーブルを囲う別のソファーに二人が座る。
「元気そうで良かった」
「心配していたよ」
それぞれに声をかけられる。
「大丈夫です。色々と、ありがとうございます」
と頭を下げる。虎のおじさん達はニッコリ笑って「可愛い」とたくさん言った。
この世界では僕は小動物扱いなのが、よくわかってきた。本当に可愛いわけじゃないんだ。猫や子犬に対する感情と同じだ。僕は捨てられないように気を付けなくてはいけない、と感じた。
この虎の二人は、ここ「沿岸十三区域」という警備区の隊長だった。双子でツートップ。そっくりなのが納得できた。代わる代わる説明をしてくれたけれど、現状を理解するのに首をかしげてばかりだった。
この世界は、「リリア」と「ルド」という二つの国と、「天の川」という川で構成されている。天の川はリリアとルドを真ん中で分断するように流れている。海という概念がなく、リリアとルドは全てを天の川に囲まれた大陸。
天の川は不思議な神の川。住んでいる人は獣人で、耳と尻尾が必ずある。
獣人は大型種と中型、小型がいる。小型獣人は希少種。獣人には自分より小さい種族を溺愛する保護欲が本能としてあり、それが特に大型に強いことを聞いた。
獣人は性欲も強いから気を付けること、とルーカス様に真剣な顔で言われた。
リリアは、奴隷制度がない差別意識の低い豊かな国。対してルドは、徹底的な差別国家。奴隷制度があり、少数の貴族が全てを支配している。ルドの奴隷は、所有貴族家家紋の焼き印をつけられる。
ルドでは奴隷への罰や、貴族の遊びで獣人にとって誇りである耳や尻尾を切除されることがある。切除された獣人は恐怖に支配され生きる気力を失う。そのような者が天の川から流れつくことがあるが、生きて流れつくのは少数。たいがいは、傷が回復しても生きる力が極端に弱まり、小さく震えながら枯れるように死んで行く。
ルドとリリアは互いに交流のない干渉しない国。流れ着いた獣人は互いの国に入った時点でその国のモノとなる。リリアでは、こうした悲惨な獣人を見つければ必ず保護される。悪意や邪心のあるものは、川に入っても底に沈む。船で川を渡ることも出来ない。神が認めた者だけが流れつく。
だから天の川の神が助けた者は「神の使い」とされ、国の象徴のような存在になる。
三人が順番にゆっくり話してくれたが、あまりに現実離れした内容で頷く事さえ忘れて聞き入っていた。
「さて、ざっくりだけど、だいたいリリアのことが分かったかな?」
「……はい」
頭が混乱しそうだけど。
「じゃ、タクマの話を聞きたいな」
深呼吸する。
「僕は、地球と言う場所の日本という国に住んでいました」
殿下も虎の二人も不思議な顔をしている。
「日本では、人間という種族が世界を主導しています。多分、こことは違う世界だと思います。人間には、獣人のような耳や尻尾がありません。身体的にも弱い生き物です。僕はその中でもさらに小さいほうです。僕には父と兄と母がいました。母は、僕が九歳のころ家からいなくなりました。僕は、父と兄に育てられました」
一呼吸置く。
「……僕は、家族の中で底辺の存在でした」
父と兄と僕の生活の事、ここに来ることになった海に飛び込んだ日の事、説明しなくてはいけないのかな。
言葉が見つからず口が震えた。家での、こと。兄との、いろいろ。思い出すうちに心臓がドクドクと速くなる。だんだん息苦しさを感じて背中を丸める。吐き戻しそうになり口元を押さえる。
「もういい。いいよ。だいたい分かった。よく頑張ったね。もう、いいよ」
横から温かい腕が僕を包む。見上げたら兄さんの顔。違う、ルーカス殿下だ。そう思っても頭が混乱する。
「……兄さんの顔が、ルーカス様にそっくり、です」
やっとの思いで、告げる。
「そっか。それで、俺を見て怖がっていたの?」
「はい。兄は……怖い、です」
怖いと言ってしまった。声が震える。言ってはいけない一言を初めて口にしてしまった。
大丈夫だろうか。冷汗が流れる。自然に震える身体。虎の獣人が心配そうに僕を見ている。耳がやや垂れている。この人たちは感情が分かりやすい。そして優しい人たちだな、と思う。
「君は、もともと獣耳も尻尾もないんだね?」
「はい」
「それなら、少し安心した。ここリリアでは、奴隷制度はない。だが、川を挟んで隣国ルドでは厳しい階級制度がある。虐待や貴族の娯楽で獣人の耳や尻尾を切り落とされることがある。獣人にとって獣耳と尻尾は大切な部分だ。切られた獣人は長く生きることができない」
僕を撫でる殿下。ゾッとした。リリアに流れ着いて良かった。ルドだったら僕はどう扱われたのだろう。神様に感謝しなきゃ。この不思議な体験で、世の中には神様が本当にいるのだと思った。
「タクマのような可愛い子が、獣耳や尻尾を切られていなくて、本当に安心した」
虎獣人も、ぶんぶんと頷いている。
「それでも、きっと君は良い環境にいなかった。君の恐怖と怯えがそれを物語っている」
僕を撫でながらルーカス殿下が話す。
「天の川の神の守護を受けたんだ。この国で幸せになればいい」
優しい言葉だ。殿下の目を見つめる。
「今日全部話さなくていいよ。この先、ゆっくり時間をかけていけばいい。タクマの身柄は俺が保護するよ。違う世界から来たことは、俺たちだけにしか言わないように。それでなくても小さく可愛い神の使いだ。神格化されても困る。特殊な事情は伏せたほうがいい。とりあえず、記憶喪失としておこう。大丈夫」
僕はコクリと頷いた。この国に来られて良かった。殿下と虎の隊長たちに「よろしくお願いします」と頭を下げた。
虎の双子隊長は、髭のおじさんをサムさん、髭なしおじさんをトムさんと紹介された。
何かしたいことはある? と聞かれて、お風呂に入りたいと答えた。自分がちょっと臭いし、髪もベタっとしている。殿下は尻尾をぶんぶん振って喜んでいる。一人で入ることを伝えると、倒れたら困ると却下された。殿下からするとペットや子ども扱いみたいだし、銭湯と思えばいいか、と一緒に入ることになった。
優しさが温かくて嬉しいから、ちょっと甘えていいかな、と思えた。
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