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13 years ago(2)
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(2)
あの人が好きだ。
お願い、私を見て。まっすぐ私を見て、私の名を呼んで。
あの日した約束を、今日こそ叶えて。
「ヒトシさん、今日こそ私を×××」
* * *
13年前のことだ。私は当時5歳だった。仕事や付き合いばかりで家にはあまりいないくせに、私のことをやたらに束縛して過保護なパパとママにうんざりしていた。
「いい? 妃芽。いい子にお留守番してるのよ。一人でお外にいかない。約束よ?」
「わかってるもん」
「パパとママが帰ってくるまで、大人しくしてるんだぞ」
「わかってるってば。パパもママもしつこいもん」
「この子ってば口ばっかり達者になって!」
「しょうがない、妃芽は年頃だから」
「あなたってば……妃芽、じゃあ行ってくるわね」
「はーい」
その日も、パパとママは「お得意様へご挨拶」に出掛けたのだった。いつものことだったから、慣れっこだった。パパとママが出掛けたあと、私は自分の部屋に向かい、お気に入りの絵本を取り出す。
パパとママは、あまり構ってあげられないからって、私にたくさんのおもちゃを買い与えたけど、私が気に入ったのは絵本だった。
シンデレラ、白雪姫、眠り姫──かわいいかわいいお姫様。不幸な人生を歩んでも、彼女たちには必ず、幸せが訪れるの。
なぜなら、彼女たちにはお迎えがくるから。素敵な素敵な王子様が、彼女たちを拐っていくから。
──はやく、こないかな。
私は、“ヒメ”で。素敵な王子様が、私を必ず、迎えに来てくれる。そして、甘い甘いキスをして、私を幸せにしてくれるの。
──はやく、はやく、はやく。
──ヒメを、しあわせにして。
パラリ、と、絵本のページをめくろうとした、その時だった。
「おい」
窓の外から、声がした。そこには、知らない男の人がいて、その男の人は、窓枠に膝をかけて、私を見ていた。そして、私に向かって右手を差し出して、こう言ったのだ。
「俺と一緒に来い。いいな?」
その瞬間、まるで電撃が走ったみたいだった。
王子様が、現れたのかと思ったの。退屈な日常から、私を連れ出してくれる──王子様が。心臓がうるさくて、声も出てこなくて、私はただただ頷く。ゆっくりと彼に近づいて、差し出された手をとった。いつか絵本で見たような、そんな光景に、また胸が高鳴る。
──やっぱり、このひとはヒメのおうじさまなんだ。
純粋に、そう思った。
* * *
そのお兄さんに連れていかれたのは、うちより少し小さいくらいの建物だった。後にそれをアパートと呼ぶことを知るんだけど。
そのうちの一部屋を見て、私は本当に驚いた。私の王子様が、超ボロボロの部屋に私を連れてくるなんて思わなかったからだ。
「おにーさんは、ここにすんでいるの?」
「悪いか?」
さらに驚いた。仮の潜伏先かと思ったのに、住んでるなんて。でも、きっとなにか理由があるんだろうなんて考えながら、私は気を取り直して、お兄さんに向き直る。
「ヒメ、おみずのみたい」
「水出ねぇんだよ、我慢しろ」
「……ふぅん」
水が出ないなんてことあるんだって、その時はじめて知った。
「……おにーさんは、びんぼーにんなの?」
「うるせぇ」
「びんぼーにんだから、ヒメをゆーかいしたの?」
「だから、うるせぇっての」
「おにーさん、むしょくなの?」
「だったら悪いか、ガキ」
それでわかった。無職なのは当たり前だ。だって王子様だし、働かなくても大丈夫なはずだ。この王子様はあえて、庶民の生活を味わうためにこんなところに住んでるんだ。私は変に納得して、さっきの言葉に反応する。
「ガキじゃないもん。ヒメだもん」
王子様なんだから、私のことは名前か、「姫」か「プリンセス」って呼んでほしい。私は頬を膨らませたけど、お兄さんは渋い顔をするだけだった。
そこで、私はお兄さんに、一番気になっていたことを尋ねる。
「なんで、ヒメをゆーかいしたの?」
「だから、金が必要だから……」
「じゃなくて、どうしてヒメをえらんだの?」
「あ?」
大切なことだった。彼が何故私を選んだのか。
運命の赤い糸? 出会って特別な何かを感じたから?
私は、お兄さんがどんなロマンチックなことを言ってくれるのか、ワクワクして答えを待っていた。
「そんなの、あの時ちょうど近くにいて、簡単に誘拐できそうで、家が金持ちそうだったからだ。それ以外にあるかよ」
お兄さんは、一つもロマンチックじゃない理由を言った。たまたま私が近くにいて、お金がありそうで、簡単に誘拐できそうだったから。──そんな、理由だったのだ。
ショックだった。頭を鈍器で殴られたみたいだった。思わず泣きそうになって、スカートの裾をぎゅっと掴んだ。
「……なんだ、ヒメじゃなくてもよかったんだ」
「あ?」
お兄さんが、訝しげに聞き返した。でも私はなにも言えず、唇を噛み締めて下を向いていた。
王子様だと、思ったのだ。窓から現れて、私を連れ去った王子様。私の心は、その瞬間から、彼に奪われていたというのに。彼はそうじゃなかった。私じゃなくてもよかった──。
「……パパとママ、ヒメにあまいからいっせんまんくらいはだすとおもうよ」
「は? マジか?」
「パパ、おっきなかいしゃのいちばんえらいひとだもん」
お兄さんは、少し嬉しそうな顔をした。それが少しだけ、嬉しかった。
それで、思った。「誘拐したのが、こいつでよかった」と思ってもらえれば、私のことを特別だって思ってくれるかもしれない。
私は、お兄さんに小さな声で語りかける。
「……ヒメ、おにーさんがゆーかいせいこうするように、きょうりょくするから。なけっていわれたら、なくし。たすけてってでんわぐちでさけんだりもするから」
「あ……?」
お兄さんがキョトンとした顔で私を見た。
「けーさつのひとにかおとかきかれても、こわくておぼえてないっていうから。だから、がんばってゆーかいせいこうさせてね。ヒメ、おにーさんのためにがんばるから」
惚れた弱み、だったのかもしれない。私はお兄さんに認めて欲しくて、ありがとうと言って欲しくて、必死だった。誘拐が成功したら、誘拐したのが私でよかったと、心から思ってくれるはずだから。
「……やめだ」
「え?」
「誘拐ごっこは終わりだ。来い、家の前まで送ってやる」
お兄さんがため息をつきながら立ち上がる。今、何て──?
「ゆーかい、やめちゃうのっ……?」
玄関に向かうお兄さんの背中に、慌てて叫ぶ。お兄さんは少しだけスッキリした顔で、振り向いて言った。
「そうだよ。お前のお陰で冷静になったよ。俺は真人間に──」
「やだ!」
「あ?」
間髪いれずに、私は叫ぶ。お兄さんはビックリして、狼狽えたようだった。
「おいおい、それじゃ誘拐されたいみたいじゃ」
「ヒメは、ゆーかいされたいのっ!」
「は?」
「やめるなんていわないで! ヒメのことゆーかいしてよ! おねがい!」
「は? は? おい、ちょ、ちょ、静かに……ぅお!? 泣きっ……」
とうとう泣き出した私に、お兄さんはぎょっとしていた。
誘拐されたい。それは本心だった。過保護すぎる両親に、守られる退屈な日常から、連れ出してくれたのは他でもなく彼で。その彼が誘拐をやめてしまったら、彼との繋がりも、夢みたいな非日常も、なくなってしまう。幼い私は、ただただ泣き続けた。
「わかった! 誘拐するから!」
お兄さんは、泣き続ける私の肩に手を置き、宥めるようにポンポンと叩く。
「……ほんとに?」
「ああ! 後でな!」
「……あとで?」
「いつか絶対、誘拐してやる。だから今は、家に帰ろう。な?」
お兄さんは、ぎこちない笑みを浮かべながら、私を撫でる。その笑みがなんとも憎めなかったのと、とりあえずは、お兄さんとの繋がりが保てたことに安心して、泣くのをやめた。
「わかった! やくそく!」
「あとで」「絶対」、彼は私を誘拐してくれる。それを確かなものにするために、私は小指を差し出した。お兄さんは少し困った顔をした後、私の小指に自分の小指を絡ませた。
「ゆびきった!」
私が笑うと、お兄さんは苦笑いを浮かべた。お兄さんはようやく納得した私を連れて、私たちはアパートを後にした。
* * *
「おいおい……マジかよ」
家の近くまで来たところで、お兄さんが呟いた。お兄さんの視線の先には、パトカーがあって、お巡りさんとパパとママが話し込んでいる。
パパとママ、行動が早い。私がいないのに気づいて、すぐに通報したようだった。
「……どうすっかな」
お兄さんが呟く。そこで、いい考えが浮かんで私はお兄さんに笑いかけた。
「おにーさん、ここはヒメにまかせて!」
「え、」
お兄さんの声も聞かず、私は三人のもとに駆け出した。そのままの勢いでママに抱きつく。
「パパ、ママ、ごめんなさいっ……!」
「……妃芽っ!?」
「ごめんなさい……! ヒメ、やくそくやぶってひとりでおそとにあそびにいったの。そしたら、みちがわからなくなってかえれなくなっちゃったの……ごめんなさい!」
「妃芽! だからあれだけ言ったのに!」
ママは震えた声で私に言った。
それでいい。今回の件で、私の王子様が疑われるわけにはいかないから。横目でお兄さんを見る。お兄さんは辺りを確認している。隙を見てその場から離れようとしているみたいだった。
予想はしていた。だから私は、お兄さんを指差しながらにっこり笑う。
「でもね、あのおにーさんが、ヒメをここまでつれてきてくれたんだよ!」
私の一言で、視線がお兄さんに集まる。
「へ!?」
私は、何が起こっているのかわからない様子のお兄さんに向かっていき、お兄さんの手を引いてパパとママのもとへと歩いていく。
ここでお別れなんて、嫌だもの。指切りだってしたけど、あの約束を、確かなものにしたかった。約束が果たされるまで、私とお兄さんには、確かな繋がりが必要だった。
「すみません! うちの子がお世話になったみたいで……!」
「あ。えと、いや……そんな」
「ぜひお礼をさせてください! お名前と、連絡先を……」
「え? そんな、お礼なんて」
「いいじゃないですか。奥さんがそう仰っているんですから」
ママは義理堅いから、しばらく粘ってくれると思っていた。でも、お巡りさんまで助け船を出してくれるなんて思わなかったから、私は思わずにやついた。お兄さんは暫く粘ってはいたものの、お礼をすると言って聞かないパパとママに、名前と連絡先を書いた紙を渡すことになったのだった。
こうして私は、王子様をしっかり繋ぎ止めた。あの約束を、必ず叶えてもらうために。
* * *
あれから13年。今、お兄さん──もとい、堤仁志さんは、パパの会社で働いている。
私を助けたお礼に、分厚い封筒を渡そうとしていたパパとママに、ヒトシさんが当時無職だったことを教えてあげたのだ。あのボロアパートに住まわせてるのも忍びない、とパパは社宅に引っ越しもさせた。
13年前にしたあの約束は、いまだに果たしてくれてはいないけど。
「ヒトシさんっ」
今でも彼は、私の王子様で。
「……お前なぁ。軽々しく男の部屋来んなよ」
私は頻繁にヒトシさんの家に通う。合鍵だって持ってる。勝手に作ったやつだけど。
「だってここ、パパの会社の社宅でしょ。私のうちみたいなもんでしょ」
そう言いながら、私は冷蔵庫からペットボトルの紅茶を取り出してゴクゴク飲んだ。ヒトシさんは、少し老けたけど変わらない困った顔を浮かべながら、ため息をつく。
「勘弁してくれ……」
「え? そんなこと言っていいの?」
私はヒトシさんの向かい側に座る。いつだって私には、強力なカードがある。
「あの時……ヒトシさんは本当は私のこと誘拐しようとしてたんだよって、パパに教えてもいいんだけど」
「……妃芽お嬢様、すみませんでした」
ヒトシさんは机に両手をついて頭を下げた。大袈裟なその動作に、笑いそうになる。
ヒトシさん。13年はいくらなんでも長いよ。
あの日から、私はヒトシさんだけが好きで好きで好きで──叶えてくれるのを、待ってるんだから。
「ね、ヒトシさん」
私の願いは、13年前からずっと変わらない。
ねぇ、ヒトシさん。
お願い、私を見て。まっすぐ私を見て、私の名を呼んで。
あの日した約束を、今日こそ叶えて。
「ヒトシさん、今日こそ私を誘拐してよ」
これは、ヒトシさんもわかってない──私なりの、プロポーズの催促なのです。
いつか気付いてくれたときには、あの日みたいに、私を連れ出してよね。
了
あの人が好きだ。
お願い、私を見て。まっすぐ私を見て、私の名を呼んで。
あの日した約束を、今日こそ叶えて。
「ヒトシさん、今日こそ私を×××」
* * *
13年前のことだ。私は当時5歳だった。仕事や付き合いばかりで家にはあまりいないくせに、私のことをやたらに束縛して過保護なパパとママにうんざりしていた。
「いい? 妃芽。いい子にお留守番してるのよ。一人でお外にいかない。約束よ?」
「わかってるもん」
「パパとママが帰ってくるまで、大人しくしてるんだぞ」
「わかってるってば。パパもママもしつこいもん」
「この子ってば口ばっかり達者になって!」
「しょうがない、妃芽は年頃だから」
「あなたってば……妃芽、じゃあ行ってくるわね」
「はーい」
その日も、パパとママは「お得意様へご挨拶」に出掛けたのだった。いつものことだったから、慣れっこだった。パパとママが出掛けたあと、私は自分の部屋に向かい、お気に入りの絵本を取り出す。
パパとママは、あまり構ってあげられないからって、私にたくさんのおもちゃを買い与えたけど、私が気に入ったのは絵本だった。
シンデレラ、白雪姫、眠り姫──かわいいかわいいお姫様。不幸な人生を歩んでも、彼女たちには必ず、幸せが訪れるの。
なぜなら、彼女たちにはお迎えがくるから。素敵な素敵な王子様が、彼女たちを拐っていくから。
──はやく、こないかな。
私は、“ヒメ”で。素敵な王子様が、私を必ず、迎えに来てくれる。そして、甘い甘いキスをして、私を幸せにしてくれるの。
──はやく、はやく、はやく。
──ヒメを、しあわせにして。
パラリ、と、絵本のページをめくろうとした、その時だった。
「おい」
窓の外から、声がした。そこには、知らない男の人がいて、その男の人は、窓枠に膝をかけて、私を見ていた。そして、私に向かって右手を差し出して、こう言ったのだ。
「俺と一緒に来い。いいな?」
その瞬間、まるで電撃が走ったみたいだった。
王子様が、現れたのかと思ったの。退屈な日常から、私を連れ出してくれる──王子様が。心臓がうるさくて、声も出てこなくて、私はただただ頷く。ゆっくりと彼に近づいて、差し出された手をとった。いつか絵本で見たような、そんな光景に、また胸が高鳴る。
──やっぱり、このひとはヒメのおうじさまなんだ。
純粋に、そう思った。
* * *
そのお兄さんに連れていかれたのは、うちより少し小さいくらいの建物だった。後にそれをアパートと呼ぶことを知るんだけど。
そのうちの一部屋を見て、私は本当に驚いた。私の王子様が、超ボロボロの部屋に私を連れてくるなんて思わなかったからだ。
「おにーさんは、ここにすんでいるの?」
「悪いか?」
さらに驚いた。仮の潜伏先かと思ったのに、住んでるなんて。でも、きっとなにか理由があるんだろうなんて考えながら、私は気を取り直して、お兄さんに向き直る。
「ヒメ、おみずのみたい」
「水出ねぇんだよ、我慢しろ」
「……ふぅん」
水が出ないなんてことあるんだって、その時はじめて知った。
「……おにーさんは、びんぼーにんなの?」
「うるせぇ」
「びんぼーにんだから、ヒメをゆーかいしたの?」
「だから、うるせぇっての」
「おにーさん、むしょくなの?」
「だったら悪いか、ガキ」
それでわかった。無職なのは当たり前だ。だって王子様だし、働かなくても大丈夫なはずだ。この王子様はあえて、庶民の生活を味わうためにこんなところに住んでるんだ。私は変に納得して、さっきの言葉に反応する。
「ガキじゃないもん。ヒメだもん」
王子様なんだから、私のことは名前か、「姫」か「プリンセス」って呼んでほしい。私は頬を膨らませたけど、お兄さんは渋い顔をするだけだった。
そこで、私はお兄さんに、一番気になっていたことを尋ねる。
「なんで、ヒメをゆーかいしたの?」
「だから、金が必要だから……」
「じゃなくて、どうしてヒメをえらんだの?」
「あ?」
大切なことだった。彼が何故私を選んだのか。
運命の赤い糸? 出会って特別な何かを感じたから?
私は、お兄さんがどんなロマンチックなことを言ってくれるのか、ワクワクして答えを待っていた。
「そんなの、あの時ちょうど近くにいて、簡単に誘拐できそうで、家が金持ちそうだったからだ。それ以外にあるかよ」
お兄さんは、一つもロマンチックじゃない理由を言った。たまたま私が近くにいて、お金がありそうで、簡単に誘拐できそうだったから。──そんな、理由だったのだ。
ショックだった。頭を鈍器で殴られたみたいだった。思わず泣きそうになって、スカートの裾をぎゅっと掴んだ。
「……なんだ、ヒメじゃなくてもよかったんだ」
「あ?」
お兄さんが、訝しげに聞き返した。でも私はなにも言えず、唇を噛み締めて下を向いていた。
王子様だと、思ったのだ。窓から現れて、私を連れ去った王子様。私の心は、その瞬間から、彼に奪われていたというのに。彼はそうじゃなかった。私じゃなくてもよかった──。
「……パパとママ、ヒメにあまいからいっせんまんくらいはだすとおもうよ」
「は? マジか?」
「パパ、おっきなかいしゃのいちばんえらいひとだもん」
お兄さんは、少し嬉しそうな顔をした。それが少しだけ、嬉しかった。
それで、思った。「誘拐したのが、こいつでよかった」と思ってもらえれば、私のことを特別だって思ってくれるかもしれない。
私は、お兄さんに小さな声で語りかける。
「……ヒメ、おにーさんがゆーかいせいこうするように、きょうりょくするから。なけっていわれたら、なくし。たすけてってでんわぐちでさけんだりもするから」
「あ……?」
お兄さんがキョトンとした顔で私を見た。
「けーさつのひとにかおとかきかれても、こわくておぼえてないっていうから。だから、がんばってゆーかいせいこうさせてね。ヒメ、おにーさんのためにがんばるから」
惚れた弱み、だったのかもしれない。私はお兄さんに認めて欲しくて、ありがとうと言って欲しくて、必死だった。誘拐が成功したら、誘拐したのが私でよかったと、心から思ってくれるはずだから。
「……やめだ」
「え?」
「誘拐ごっこは終わりだ。来い、家の前まで送ってやる」
お兄さんがため息をつきながら立ち上がる。今、何て──?
「ゆーかい、やめちゃうのっ……?」
玄関に向かうお兄さんの背中に、慌てて叫ぶ。お兄さんは少しだけスッキリした顔で、振り向いて言った。
「そうだよ。お前のお陰で冷静になったよ。俺は真人間に──」
「やだ!」
「あ?」
間髪いれずに、私は叫ぶ。お兄さんはビックリして、狼狽えたようだった。
「おいおい、それじゃ誘拐されたいみたいじゃ」
「ヒメは、ゆーかいされたいのっ!」
「は?」
「やめるなんていわないで! ヒメのことゆーかいしてよ! おねがい!」
「は? は? おい、ちょ、ちょ、静かに……ぅお!? 泣きっ……」
とうとう泣き出した私に、お兄さんはぎょっとしていた。
誘拐されたい。それは本心だった。過保護すぎる両親に、守られる退屈な日常から、連れ出してくれたのは他でもなく彼で。その彼が誘拐をやめてしまったら、彼との繋がりも、夢みたいな非日常も、なくなってしまう。幼い私は、ただただ泣き続けた。
「わかった! 誘拐するから!」
お兄さんは、泣き続ける私の肩に手を置き、宥めるようにポンポンと叩く。
「……ほんとに?」
「ああ! 後でな!」
「……あとで?」
「いつか絶対、誘拐してやる。だから今は、家に帰ろう。な?」
お兄さんは、ぎこちない笑みを浮かべながら、私を撫でる。その笑みがなんとも憎めなかったのと、とりあえずは、お兄さんとの繋がりが保てたことに安心して、泣くのをやめた。
「わかった! やくそく!」
「あとで」「絶対」、彼は私を誘拐してくれる。それを確かなものにするために、私は小指を差し出した。お兄さんは少し困った顔をした後、私の小指に自分の小指を絡ませた。
「ゆびきった!」
私が笑うと、お兄さんは苦笑いを浮かべた。お兄さんはようやく納得した私を連れて、私たちはアパートを後にした。
* * *
「おいおい……マジかよ」
家の近くまで来たところで、お兄さんが呟いた。お兄さんの視線の先には、パトカーがあって、お巡りさんとパパとママが話し込んでいる。
パパとママ、行動が早い。私がいないのに気づいて、すぐに通報したようだった。
「……どうすっかな」
お兄さんが呟く。そこで、いい考えが浮かんで私はお兄さんに笑いかけた。
「おにーさん、ここはヒメにまかせて!」
「え、」
お兄さんの声も聞かず、私は三人のもとに駆け出した。そのままの勢いでママに抱きつく。
「パパ、ママ、ごめんなさいっ……!」
「……妃芽っ!?」
「ごめんなさい……! ヒメ、やくそくやぶってひとりでおそとにあそびにいったの。そしたら、みちがわからなくなってかえれなくなっちゃったの……ごめんなさい!」
「妃芽! だからあれだけ言ったのに!」
ママは震えた声で私に言った。
それでいい。今回の件で、私の王子様が疑われるわけにはいかないから。横目でお兄さんを見る。お兄さんは辺りを確認している。隙を見てその場から離れようとしているみたいだった。
予想はしていた。だから私は、お兄さんを指差しながらにっこり笑う。
「でもね、あのおにーさんが、ヒメをここまでつれてきてくれたんだよ!」
私の一言で、視線がお兄さんに集まる。
「へ!?」
私は、何が起こっているのかわからない様子のお兄さんに向かっていき、お兄さんの手を引いてパパとママのもとへと歩いていく。
ここでお別れなんて、嫌だもの。指切りだってしたけど、あの約束を、確かなものにしたかった。約束が果たされるまで、私とお兄さんには、確かな繋がりが必要だった。
「すみません! うちの子がお世話になったみたいで……!」
「あ。えと、いや……そんな」
「ぜひお礼をさせてください! お名前と、連絡先を……」
「え? そんな、お礼なんて」
「いいじゃないですか。奥さんがそう仰っているんですから」
ママは義理堅いから、しばらく粘ってくれると思っていた。でも、お巡りさんまで助け船を出してくれるなんて思わなかったから、私は思わずにやついた。お兄さんは暫く粘ってはいたものの、お礼をすると言って聞かないパパとママに、名前と連絡先を書いた紙を渡すことになったのだった。
こうして私は、王子様をしっかり繋ぎ止めた。あの約束を、必ず叶えてもらうために。
* * *
あれから13年。今、お兄さん──もとい、堤仁志さんは、パパの会社で働いている。
私を助けたお礼に、分厚い封筒を渡そうとしていたパパとママに、ヒトシさんが当時無職だったことを教えてあげたのだ。あのボロアパートに住まわせてるのも忍びない、とパパは社宅に引っ越しもさせた。
13年前にしたあの約束は、いまだに果たしてくれてはいないけど。
「ヒトシさんっ」
今でも彼は、私の王子様で。
「……お前なぁ。軽々しく男の部屋来んなよ」
私は頻繁にヒトシさんの家に通う。合鍵だって持ってる。勝手に作ったやつだけど。
「だってここ、パパの会社の社宅でしょ。私のうちみたいなもんでしょ」
そう言いながら、私は冷蔵庫からペットボトルの紅茶を取り出してゴクゴク飲んだ。ヒトシさんは、少し老けたけど変わらない困った顔を浮かべながら、ため息をつく。
「勘弁してくれ……」
「え? そんなこと言っていいの?」
私はヒトシさんの向かい側に座る。いつだって私には、強力なカードがある。
「あの時……ヒトシさんは本当は私のこと誘拐しようとしてたんだよって、パパに教えてもいいんだけど」
「……妃芽お嬢様、すみませんでした」
ヒトシさんは机に両手をついて頭を下げた。大袈裟なその動作に、笑いそうになる。
ヒトシさん。13年はいくらなんでも長いよ。
あの日から、私はヒトシさんだけが好きで好きで好きで──叶えてくれるのを、待ってるんだから。
「ね、ヒトシさん」
私の願いは、13年前からずっと変わらない。
ねぇ、ヒトシさん。
お願い、私を見て。まっすぐ私を見て、私の名を呼んで。
あの日した約束を、今日こそ叶えて。
「ヒトシさん、今日こそ私を誘拐してよ」
これは、ヒトシさんもわかってない──私なりの、プロポーズの催促なのです。
いつか気付いてくれたときには、あの日みたいに、私を連れ出してよね。
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