あなたの涙、いただきます。〜美食家の舌鼓〜

天乃 彗

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涙とは、作るものでしょうか

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 「先生」と呼ばれるのはいまだに慣れない。しがない小説家だった頃の癖が抜けないからだろうか。

「先生……先生!」

 私は担当の呼び声にようやく気づいて顔を上げた。どうも自分のことではないような気がしてしまって、反応が遅れてしまう。

「すまんすまん。……なんだったかな」
「もう、しっかりしてくださいよ。だから、ここの部分を変えてほしいって話です」

 担当は、私の原稿を指でトントン、と叩いた。その部分は、確か。

「トラックに轢かれそうになったマコトが母親に庇われて、母親が両足を失うところですよね? オチが際立つよう、指示通りマコトには辛い展開にしたんですが」
「いやぁ、まだぬるいですよ。『絶対泣かせる小説家』の作品としては」
「……ははは」

 『絶対泣かせる小説家』の言葉に、私は乾いた笑いを漏らした。
 さっきも言ったが、私は小説家だ。無名の小説家だった私だが、たまたま書いた家族ものが大当たりした。その作品は、この春映画にもなる程の大ヒットで、『絶対泣ける』がキャッチコピーとなった。そうなると、読者も出版社も、より面白くてより「泣ける話」を求めるものだ。その次も、その次も、私は「泣ける話」を書いた。私は瞬く間に人気作家の仲間入りをした。『絶対泣かせる小説家』の異名を持って。

「やっぱり、ここは母親死んじゃった方がいいですね」
「死……!? いえ、マコトはまだ8歳ですし、何もそこまで」
「いやぁ、やりすぎなくらいがいいんですよ。母親の死を乗り越えて成長する主人公……感動じゃないですか!」
「……はぁ……」
「じゃあ、取り敢えず、死んだバージョン書いてみてくださいよ。それで、比べてみましょう。ね?」

 そう言うと担当は、原稿を封筒にしまって突っ返す様に机に置いた。私はそれを何も言えずそれを眺める。「じゃあよろしくお願いしますね!」なんて言いながら部屋を出る担当は、文句は受けつけないとでも言うようにそそくさと戸を閉めた。……よろしくと言われても。
 私は原稿を見下ろしてため息をついた。こうやって、直しを頼まれるのは何度目だろうか。気づけば私は、物語の中で人や動物を死なせてしまったり、孤独にさせたり──。
 担当のアドバイスが間違っているわけではないと思う。担当のアドバイス通りに直した作品のおかげで、私はそこそこ裕福な生活をしているわけだし。だが……何と言うか、心のもやが濃くなっていくような。なんとも言えない嫌な感情が私を支配していく。
 いつからだろうか。ペンを持つ手が重くなったのは。

 私はため息をつきながら、本棚へ向かう。情けない話だ。過去の自分の作品を参考に、「感動もの」を作ろうとしてるなんて。私は自嘲気味に笑いながら、本棚の中から映画化される作品を取り出した。
 初めて書籍化された本だ。嬉しくて何度も何度も読んだからボロボロになってしまっている。本を手に取って、しばらく本の表紙を眺めていたら、何だか泣けてきてしまった。
 情けない。悔しい。悲しい。今は、書籍化された自分の本を見ても何とも思わない。この頃の気持ちはどこへ行ってしまったのだろうか──。

「さてさて、しばらくぶりのご馳走ですな」

 ゆっくりと、目を開ける。手に取った本の上に、謎の生物が立っている。……謎の生物? 
 私はもう一度瞬きをした。確かにそこには、変な生物が──全長10cmほどの老紳士が立っていた。黒いタキシードに蝶ネクタイ。胸元のポケットからは真っ白なハンカチが覗く。それだけ見れば立派な老紳士だが、頭には何故か黄色い安全ヘルメットが、そばには彼の身体にはそぐわないサイズのバケツがあった。彼は「……おや?」と小さく声を漏らすと、恭しく私に一礼した。

「これはこれはご無礼を。わたくしは旅の美食家。貴方の涙を頂戴したく参りました次第でございます」
「涙……?」
「私の主食は涙ですゆえ」

 美食家は、にこりと笑った。主食が涙とは不思議な生物である。

「何故私のもとに?」

 私が尋ねると、美食家はバケツを持ち上げながら言った。

「貴方が今まさにお泣きになるところだったというのと……こちらの本に見覚えがあったからです」
「私の本に?」
「おや? こちらの本は貴方がお書きになったのですか?」

 キョトンとした顔をされ、私も面食らった。私が「まぁ、一応」と答えると、美食家は「それはそれは!」と興奮した様子だった。

「こちらの本には何度も救われました。空腹で倒れそうになっていた私が命を繋ぐことができたのは、この本の読者さんが必ず美味たる涙を流してくださったからで」
「はぁ……」

 うっとりとした顔で、頬をさする。どうやら私は彼の命を知らぬ間に救っていたらしい。

「私なんかの話で誰かが救われたのなら本望だよ」

 何気なく呟いた私の言葉に、美食家は少し考えるような素ぶりを見せた。

「……貴方は、自分がお作りになったお話がお嫌いなのですか?」
「えっ……」

 私は言葉に詰まってしまう。こんな老紳士に、こんな指摘をされるとは思わなかった。
 嫌い……では、ないと思う。愛情をもって書いて、書き上げたときはそれなりに満足している。だけど、この心のもやの存在は、否定出来ない。

「……わからないよ」
「わからない、とは」
「愛情をもって書いているはずなんだ。でも、何処か、何かが違う。こんな風に、感動させよう、感動させようと書いた話は、自信が持てなくて。書くのが、辛い」

 ペンはいつの間にか、鉄のように、冷たく、重く。いつから、こうなってしまったのだろう──。
 美食家は、ふむ、と唸りながら、少しだけ悲しそうな顔をした。考えるように口元の髭をさすると、私の顔を見つめる。

「貴方にお聞きしたいのですが──そもそも、感動とは、涙とは、作るものでしょうか?」
「え……?」

 私は、二、三度目瞬きをした。
 涙とは。涙とは一体なんだったろう。
 答えられないでいる私に痺れを切らしたのか、美食家はバケツに肘をかけて語り出した。

「涙とは、心を動かされた時に自然と流れるもの。心に潤いをもたらすもの。もちろん、貴方のお仕事を愚弄するわけではありませんが、私は貴方が心配なのです」
「……私が?」

 涙のことだからなのか、彼は熱のこもった口調で説く。その声は真剣そのものだった。私は、だからこそドキリとする。

「誰かの心を動かそうと……誰かの心を潤そうとする貴方の心は、乾いてしまっているのではないですか?」
「私の、心……?」

 核心を、突かれた気がする。私は思わず手の力が抜けてしまい、持っていた本を落としてしまった。無論、その上に乗っていた美食家も落ちそうになったのだが、彼は器用に机に飛び移って無傷であった。
 ばさっと本が床に落ちる。その時、本に挟まっていたも一緒に落ちたことに気がついた。見覚えがない、白い封筒だ。本と一緒にそれを拾い上げる。未開封の封筒を、そっと開けた。

「……あ……」
「ふむ、手紙のようですな。どなたからですか?」
「……妻だよ。一昨年、病気で亡くなった……」

 名前こそ書いていないが筆跡は紛れもなく妻のものだった。小説家志望であった私と結婚したくせに、「小説は読まないから」と言って、今際の際まで私の仕事に口を出さなかった妻だ。そんな妻が、何故この本を開いて、こんなものを入れたのだろう。私は小さく折りたたまれたそれを広げてみた。そこに書かれていた内容に、私は言葉を失った。

『小説のことはよくわからないけれど、楽しそうに書く貴方の姿が大好きでした』

 たったそれだけ。それだけの事が書いてあった。
 この手紙は、小説を読まない妻からの、初めてのファンレターだった。小説を書くのが楽しくて、食事をとるのも忘れていた私に、そっと差し入れをくれた妻。例え賞が取れなくても編集部に見向きもされなくても、お金が無くても、書くことが楽しくて仕方がなかったあの日々。あの頃の気持ちを、何処においてきてしまったのだろう──。
 一筋、涙が流れた。ぽつり、ぽつり、と、乾いた大地に雨が降るように。私は、久しぶりに涙を流した。
 美食家は優しく微笑むと、その涙の粒一つ一つを丁寧にバケツに入れた。それがやがていっぱいになると、「貴方の涙、いただきます」と言って、そのバケツの中身を一気に飲み干したのだった。
 私は泣きながら、そっと思う。

 なぁお前。
 私は、大切なことを忘れていたのかもしれないね──。


 * * *


「もう書かないってどういうことですか!?」

 後日、原稿を取りにきた担当は慌てた様子で言った。直してくれと言われた原稿もそのまま出した。

「感動ものは書かないかもしれないってことだよ。私は、書きたいものを自由に書くさ」
「そんな、『絶対泣かせる小説家』が何を言ってるんですか!」

 狼狽する担当に、私は小さく微笑んだ。

「『涙とは作るものじゃない』──誰かさんの受け売りさ」

 そして、私は担当にくるりと背を向け、机に向かう。目の前には、真っ白な原稿用紙。ここにどんな物語を描こうか。考えるだけでわくわくするじゃないか。
 さぁ、ペンを持て。乾いた心を、夢と希望で潤すのだ。
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