深紅に浮かぶ月

来条恵夢

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第五章

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 夕闇が薄闇に替わり、本物の闇へと替わるころ、麗春レイシュンたちはリュウ家の邸宅ていたくした。
 麗春の屋敷を目指して走るくるまの中には、麗春と潦史ラオシが収まっている。
「…いいのか、これで」
「わからない。あの人たちに迷惑をかけたくはないと思うのだけど、でも、だからといって、他に誰と結婚したいとも思わなくて。…いい人なのよね、光柳コウリュウさま。偽装婚約なんてやめて、きっぱり断るか、本当に結婚するかした方がいいとは、思うのよね」
 古くから王家に仕える家柄でありながら、先年の些細ささいな失敗以来不遇をかこつ柳家の現当主である明鈴メイリンは、にっこりと微笑ほほえんで「我がの命運をお預けします」と言い切ったのだった。
 潦史が苦いかおをすると、やはり微笑して言ってのけた。
『何も柳家を立て直せと言うのではありません。今回の件に私が関わる以上家を巻き込み、そして全体の指揮を執る方が信頼できるのであれば、全てを託した方が効率が良いでしょう。気遣いは、時に邪魔となります』
 気は進まないが、どうにかしなければならない。それが現状だ。この時代、家の実権は女のものではあるが、社会的な身分は低い。夫次第しだいで、どうとでもなってしまうものだ。
 小さくうなる潦史をそっと見やって、麗春は溜息ためいきをついた。
「どうしたらいいのかしらね」
「好きな奴、いないのか」
「いたら悩まないわよ。全部捨てることになっても、その人についていくわ」
「…だな」
 今は祖父母はなく、他の親戚をあっして麗春が家督かとくいでいる。その全てをなげうってでも、この妹ならそちらを選ぶだろう。兄としては微妙な心境ながらも、確信はある。
「家を守るなら、親戚の誰かと結婚した方がいいのよね。大二兄ダイニケイの持ってくる話も、家柄としては悪くないのよ。こんな私でも、ある程度は政略に有用だものね。でも…駄目ね。どうしてこんなに、恋に憧れるのかしら」
「…よく、そんな恥ずかしいこと真顔で言えるな」
「恥ずかしいって何よ。思ったままを言っただけじゃない」 
 むっとして、麗春は潦史をにらみつけた。
 それでいい。のびやかに、生きてほしい。だからこそ、潦史は――一度はやまいで命を落としかけた麗春を、何をもかえりみず、自らを引き換えにしていいからと、そのせいを望んだのだ。
 そこまで考えて、潦史は史明シメイのことを考えた。正直、思い出すのもつらい。
 潦史には史明の気持ちが痛いほど判って、妻子に生気を分け与えてゆるゆると死んでいくのも良いだろうと、本気で思ったのだ。それで納得がいくなら良いと、そう思った。できることなら、生き返らせたいとも思った。
 しかしそうはならず、二人は消えた。 跡形もなく、完全に。潦史が、断ち切った。
 そして潦史は、膝をつく男から目を逸らし、逃げ戻った。せめて、史明が自分を取り戻すまで見守るべきだとは思った。だが、できなかった。どうしても、できなかったのだ。
「お兄さん、着いたわよ」
「あ? ああ…」
 魂が追いついていないかのような顔をした潦史を、麗春は心配そうに見つめた。潦史は、それに気付いて微苦笑を浮かべる。大丈夫だと手を振った。
「麗春。俺は、愚痴ぐちくらいしか聞いてやれない。それでもいいなら、いつでも呼んでくれ。必ず行くから」
 麗春には、薄桃色のぎょくを渡してある。それは、史名の指輪やヒラクの原石と同じく、潦史につながっているものだ。名を呼ばれれば、判る。そして、道が繋がる。
「ありがとう」
 声が、微笑んでいた。空間は、すっかり闇に沈んでいる。
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