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番外編
宝物
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「ディル。ねえ、あなたディルでしょ?」
少女の声は、すんなりと耳に飛び込んできた。ディル、と呼ばれ、デルフォードは訝しげに振り返った。
少女の、湖の色の真っ直ぐな瞳と向かい合う。誰かを思い出させた。しかし、誰なのかは判らないでいる。
「…誰だ、お前は?」
「やっぱりディルなのね? 私は、レノア・ファニー。シンシア・ファニーが私の母よ」
シンシア・ファニー。
デルフォード、ディルは顔をしかめた。聞き覚えがある気がする。そんな気はするのだが、思い出せない。
「大丈夫、母と言っても義理の母よ。私はもらわれっ子なの。母さんは、誰も好きにはなってないわ。あなた以外は」
朗らかな声で言う。しかし瞳は、真剣だった。
「最期なの。もう、長くはないから。ずっとずっと、あなたを待ってたのよ、せめて一目、少しの間だけでいいの。会いに行って」
曇りのない瞳で、デルフォードを見つめる。それは確かに、覚えのある瞳だった。
だが、デルフォードは頭を振った。
「誰だか知らんが、出て行け。見逃してやるから、今すぐにだ」
初めて、少女の瞳が揺れた。しかし、悲しみや戸惑いにではない。それは、怒りとさえ呼べる代物だった。
「母さんは待ってるの。ずっと。それなのに、あなたはなに? 私はあなたのことを聞いてるわ。このくらいの術、破れないはずがないでしょう? 現に私は、その隙間からここに来たわ。かけられた術なんて、とっくに機能してないのよ。今はたらいてるのは、あなた自身がかけた術だわ」
少女は、そう言ってデルフォードに詰め寄った。肩にかかった長い銅の髪を払いのける。
「しっかりなさい、ディル! あなたが何を恐れて閉じ篭ったのかは知らないけど、それはシンシア・ファニーよりも大切なのことなの!?」
不意に。唐突に。デルフォードは、少女を思い出した。
驚愕と戸惑いに、瞳が見開かれる。
「シン…シア…?」
「はい、ディル」
笑うと、瞳の力が和らぐ。気圧されるような強い力は、瞬時に消え去っていた。
ディルは、呆然と少女を見つめた。髪の色も瞳の色も、顔立ちそのものもすべて変わっている。
その姿は、出会ってから数十年は経ったはずだ。それなのに、当時、十代半ばに見える二十歳だったが、そのときと全く同じに見えた。
少女は、そんな疑問を笑うように微笑んだ。
「良かったわ、思い出してくれて。ここに来るために知り合いにちょっとした術を頼んだから、あなたが思い出してくれなかったら、レノアの姿と意識を写したまま消えるところだった」
「待て…それはどういう…」
「さっき言ったことは本当よ。私には血だけはつながらない娘がいるし、死にかけてもいる。ディル、あなたを待っていたのも本当。いつまでも会いに来てくれないから、こっちから押し掛けて来ちゃった。また会えて嬉しいわ」
そう言って、少女は少し寂しげな表情をした。
「まさか、こんな風に閉じ篭ってるなんて思ってなかったわ。会ったらたくさん文句を言ってやろうと思ってたのに、拍子抜けしちゃった」
首をすくめる。その仕草も、知っていた。
ディルは、何も言えずに立ち尽くしていた。抗争に巻き込まれ、術をかけられて軟禁状態にあったのを覚えている。そしてそれが、少女が指摘したように解けないものではなかったことも。
少女と知り合って、惹かれる自分を知ったことで、怖くなったのだ。自分は、人とは違う生き物だ。
「契約の獣」と呼ばれるように、契約を行い、何らかの利益をもたらす代わりに生命をもらう。そういう関わり方だ。
だから、怖かった。
きっと裏切られるのだと、想ったところで仕方がないのだと。人と等しく交わることは、無理だと。
「シンシア…」
「何、ディル?」
少女が微笑む。ディルは、思わず手を伸ばしかけてとどまった。すぐそこに、手を伸ばせば触れられるところにいるのに、少女を抱くことはできなかった。
「すまない…俺は、お前を信じられなかったんだ…」
「馬鹿ね」
ふわりと、少女はディルを抱きしめた。
「私よりもずっと長く生きているのに、私よりもずっと馬鹿よ、ディル。でも、信じさせられなかったのが少し悔しいわ」
「シンシア」
「もう時間がないの。行くわね、ディル。でも、よく覚えていて。きっとまた、あなたをそのままで受け入れてくれる人に出会えるわ。そのときは逃げないで。――祈ってる」
ディルの顔に手を伸ばして、少女は軽く口付けをした。
少女が姿を消しても、デルフォードは長い間、ただ立ち尽くしていた。
それは、今となっては遠い昔の話。
少女の声は、すんなりと耳に飛び込んできた。ディル、と呼ばれ、デルフォードは訝しげに振り返った。
少女の、湖の色の真っ直ぐな瞳と向かい合う。誰かを思い出させた。しかし、誰なのかは判らないでいる。
「…誰だ、お前は?」
「やっぱりディルなのね? 私は、レノア・ファニー。シンシア・ファニーが私の母よ」
シンシア・ファニー。
デルフォード、ディルは顔をしかめた。聞き覚えがある気がする。そんな気はするのだが、思い出せない。
「大丈夫、母と言っても義理の母よ。私はもらわれっ子なの。母さんは、誰も好きにはなってないわ。あなた以外は」
朗らかな声で言う。しかし瞳は、真剣だった。
「最期なの。もう、長くはないから。ずっとずっと、あなたを待ってたのよ、せめて一目、少しの間だけでいいの。会いに行って」
曇りのない瞳で、デルフォードを見つめる。それは確かに、覚えのある瞳だった。
だが、デルフォードは頭を振った。
「誰だか知らんが、出て行け。見逃してやるから、今すぐにだ」
初めて、少女の瞳が揺れた。しかし、悲しみや戸惑いにではない。それは、怒りとさえ呼べる代物だった。
「母さんは待ってるの。ずっと。それなのに、あなたはなに? 私はあなたのことを聞いてるわ。このくらいの術、破れないはずがないでしょう? 現に私は、その隙間からここに来たわ。かけられた術なんて、とっくに機能してないのよ。今はたらいてるのは、あなた自身がかけた術だわ」
少女は、そう言ってデルフォードに詰め寄った。肩にかかった長い銅の髪を払いのける。
「しっかりなさい、ディル! あなたが何を恐れて閉じ篭ったのかは知らないけど、それはシンシア・ファニーよりも大切なのことなの!?」
不意に。唐突に。デルフォードは、少女を思い出した。
驚愕と戸惑いに、瞳が見開かれる。
「シン…シア…?」
「はい、ディル」
笑うと、瞳の力が和らぐ。気圧されるような強い力は、瞬時に消え去っていた。
ディルは、呆然と少女を見つめた。髪の色も瞳の色も、顔立ちそのものもすべて変わっている。
その姿は、出会ってから数十年は経ったはずだ。それなのに、当時、十代半ばに見える二十歳だったが、そのときと全く同じに見えた。
少女は、そんな疑問を笑うように微笑んだ。
「良かったわ、思い出してくれて。ここに来るために知り合いにちょっとした術を頼んだから、あなたが思い出してくれなかったら、レノアの姿と意識を写したまま消えるところだった」
「待て…それはどういう…」
「さっき言ったことは本当よ。私には血だけはつながらない娘がいるし、死にかけてもいる。ディル、あなたを待っていたのも本当。いつまでも会いに来てくれないから、こっちから押し掛けて来ちゃった。また会えて嬉しいわ」
そう言って、少女は少し寂しげな表情をした。
「まさか、こんな風に閉じ篭ってるなんて思ってなかったわ。会ったらたくさん文句を言ってやろうと思ってたのに、拍子抜けしちゃった」
首をすくめる。その仕草も、知っていた。
ディルは、何も言えずに立ち尽くしていた。抗争に巻き込まれ、術をかけられて軟禁状態にあったのを覚えている。そしてそれが、少女が指摘したように解けないものではなかったことも。
少女と知り合って、惹かれる自分を知ったことで、怖くなったのだ。自分は、人とは違う生き物だ。
「契約の獣」と呼ばれるように、契約を行い、何らかの利益をもたらす代わりに生命をもらう。そういう関わり方だ。
だから、怖かった。
きっと裏切られるのだと、想ったところで仕方がないのだと。人と等しく交わることは、無理だと。
「シンシア…」
「何、ディル?」
少女が微笑む。ディルは、思わず手を伸ばしかけてとどまった。すぐそこに、手を伸ばせば触れられるところにいるのに、少女を抱くことはできなかった。
「すまない…俺は、お前を信じられなかったんだ…」
「馬鹿ね」
ふわりと、少女はディルを抱きしめた。
「私よりもずっと長く生きているのに、私よりもずっと馬鹿よ、ディル。でも、信じさせられなかったのが少し悔しいわ」
「シンシア」
「もう時間がないの。行くわね、ディル。でも、よく覚えていて。きっとまた、あなたをそのままで受け入れてくれる人に出会えるわ。そのときは逃げないで。――祈ってる」
ディルの顔に手を伸ばして、少女は軽く口付けをした。
少女が姿を消しても、デルフォードは長い間、ただ立ち尽くしていた。
それは、今となっては遠い昔の話。
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