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番外編
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「ちょっ…待て、待て待て待ってっ!」
馬鹿フィス! と続け、ラティスは、今の財力では貴重と呼べる呪文省略のための結晶を壊した。
後はもうひたすらに、文句を言う間も惜しみ、補完の呪文を唱え、前を突っ走る兄に強固な防御の結界を張り、自分はその陰に隠れられるように追いかけて走る。その間にも、いつ必要になるのかわからない攻撃のため、覚えている限りの呪文を口にする。
半ば家出のように出奔して数年。
少年期から青年期までを師の元ですごし、独力で剣士として生き延びてきた兄と再会あるいは合流して、まだ半日。
ラティスは、兄が仲間を作らずただ一人で流離っていた理由を理解した。この暴走っぷりに、そうそう付き合える人はいないだろう。一緒に暮らしていたときよりも、悪化している気がする。
「はぐれるなよっ、ラス!」
そう言うならはぐれないように移動してもらいたい。
そんなラティスの言葉は、兄と自分の身を護るために費やされる呪文に埋め尽くされ、胸の裡に収めておくしかなかった。
ただ、久方ぶりに見た兄は、昔と変わらず、どこまでも楽しそうに輝いている。思えばそれがラティスに魔導師としての今を選ばせたのであって、間違っていなかったのだと、後押しされるように気持ちにすらなってしまう。
ファウスは、一年も歳の離れていない、しかし父母ともに同じくした兄弟だ。
双子ではなく、顔立ちもそれほど似ていない。どこか童顔なくせに男らしさのあるファウスは父に似て、線の細いラティスは母に似ている。それでも、ファウスとラティスはどうしようもなく兄弟だった。
ファウスが泣くとラティスも泣くし、ラティスが泣くとファウスも泣く。厄介な赤ん坊だったよ、と笑われても記憶はないが、そうだったろうなと何故か納得はできた。
ファウスは馬鹿で、ラティスは賢い。
生まれ育った村での定評だったが、たまに、ラティスは逆だろうと思ったものだ。兄は、人として、あるいは生き物として、おそらく純粋に賢い。ラティスは、小賢しいか理屈っぽいといった、せいぜいがそんなところだ。
「もうちょっと、この辺っ!」
急に立ち止まり、危うく、背中に激突するところだった。手近な枝を掴んでどうにか勢いを殺したが、ファウスは気付いた様子もなく、得意げな笑顔で足元を指す。
「ほら、これ。ちゃんと覚えてただろ」
幼い日と何一つ変わらない、無邪気な笑顔。ラティスは、それを前に深々と息を吐き、吸って。
「馬鹿フィス」
「なっ! 何でだよ! 覚えてただろちゃんと!」
「いっそこの魔力を分けてやりたいよ…どうして兄弟でここまで魔力に差があるのかなあ…」
「だからそれはオレが落っことしたのをお前がちゃんと拾ってくれたってことで解決しただろ?!」
してない。
それはファウスだけの理屈であって、常識一般に照らしても、魔導師の知識を総動員しても、正解とは言い難い考えだ。
いくら兄の魔力が、人として珍しくゼロだとしても、その分を後に生まれたラティスが受け取ったと考えるのは無茶というものだ。だというのに、ファウスの中ではそれで完結してしまっているらしい。
ラティスは、痛む頭を軽くおさえた。
「とにかく、それが珍味だっていうなら、採って早く引き上げよう」
「…ここ、何かまずい場所なのか?」
生き延びるための勘は発達しているファウスだが、今に限っては、ラティスの顔色を読んだのだろう。言いながらも時間を惜しむように、片膝をついて足元のキノコを土ごと掬い上げる。
ラティスは浅く息を吐き、あとどのくらいの力が使えるかを確認しながら、こくりと肯いた。
「例えるなら、蛇の巣穴の上でタンゴ」
「げ」
「しかも毒蛇」
「うげ」
どーりでやるヤツがいなかったはずだ、とぼやいているのは、以前に請けたという依頼のことだろう。
幻のキノコを採ってくる、という依頼は、しかし場所がほぼ確定していて楽なものだった、とファウスは言った。それは、何も知らなかったからだったのだろう。多少なりと魔力のある人間であれば、何かしらの不気味さに二の足を踏んだはずだ。
この場所は、どうやら別の世界――召喚術で喚ぶような、魔物や魔獣といった者らが暮らす世界につながりがあるらしく、色々と不安定なようだ。魔導師としてそれを感知しているラティスは、強烈な眩暈と頭痛に耐えながら、平然とした様子を保つことに力を尽くした。
呪文に必死になって途中で気付けなかったのは自分の失態なのだし、それを言えば、ファウスが走り出す前に、その方角を知った時点で忠告すべきだったのだ。それができなかったのなら、無駄に心配させるべきではない。
「よし」
「?!」
いきなり背負い込まれ、ラティスは言葉を失った。幼い日、歩き回って足をくじいたときのように、当然の如く、体格だけなら十分に大人になった身体を背負われて、動転する。
背負われたせいで顔の見えないファウスは、しかしどこまでも明るい声を出す。
「帰るぞ、道案内たのむな」
「…は?」
「毒蛇の巣穴だろ。踏み抜いたらまずいところとか、言ってくれよ」
「…背負う必要は?」
「これのが早いだろ? さっき、何か色々やってくれてたみたいだけど一緒になってる方が楽じゃないのか?」
そうでないとも言えない。
再び言葉を失ったラティスを待たず、ファウスは、同じような体格の人を一人背負っているとは思えない身軽さで走り出した。ラティスは、悲鳴を飲み込んで次の一歩を置く場所の指示をする。
結局、大量の呪文に匹敵するほどの指示を口にして、二人は危険地帯を脱した。
ファウスの背から下ろされたラティスはへたり込み、差し出された手にはしばらく気付く余裕もなかった。
「…はい?」
「ありがとな」
何の衒いもなく告げられた言葉に、ラティスはぽかんとし、ふっと、笑いがこみ上げてきた。
そうだった。この兄はいつだって、色んなものを引っ掻き回し、振り回し、しかしそんなことにはろくに気付いていないのだ。そして振り回された方は――楽しかったと、後になって気付く。
ラティスが手をとると、にっと、ファウスが笑った。そこでようやく、ファウスよりも一年近く早く生まれたのに若く見える顔が、笑っていなかったことに気付く。だがまだ、目が笑っていない。
「無茶言って。無理言って。ラスが、オレのこと見捨てたって仕方ないってわかってるよ、ほんとは。ごめんな、兄貴がこんなで」
「――らしくないなあ」
「あ?」
「どうせいつもこんな無茶苦茶やってたんだろ。そんなだから孤高の剣士なんて言われるんだ。フィスの突っ走りに付き合える奴なんてそういないんだから、そこはちゃんと合わせないと」
やや俯いたファウスの顔が拗ねているように見えて、少し笑ってしまう。
「いいよ。二人分、ちゃんとなんとかするから。フィスに付き合えるのなんて、俺くらいだからね」
幼い日。まだ、二人が両親の元で一緒に暮らしていた日のこと。魔力のないファウスが、ラティスに無茶を言ったその日のことを、ちゃんと覚えている。
ずっと、そのつもりで修行もしていた。
ファウスは忘れているかもしれないと思ったが、輝きを取り戻した目に、覚えていると知った。
「ごめんな、ラス!」
「…そこ、笑顔で言うところ?」
笑いながら、ところで、と首を傾げる。
「そのキノコ、どこの依頼?」
「いや、依頼じゃなくって。珍味だって言うからさ、土産に」
「土産?」
「…そろそろ、一回くらい帰んなきゃだろ、家。飛び出してそれっきりだし。全然連絡入れてないし」
ああ。なるほど、と肯いてから、ラティスは、どこか照れくさそうな兄を呆れて見遣った。
「手紙は出してたよ、俺。フィスは完全に音信不通だったわけ?」
「う…裏切り者っ」
「いや、それくらいさ…」
しかしそれもファウスらしいと、ラティスは、笑みをこぼしていた。
馬鹿フィス! と続け、ラティスは、今の財力では貴重と呼べる呪文省略のための結晶を壊した。
後はもうひたすらに、文句を言う間も惜しみ、補完の呪文を唱え、前を突っ走る兄に強固な防御の結界を張り、自分はその陰に隠れられるように追いかけて走る。その間にも、いつ必要になるのかわからない攻撃のため、覚えている限りの呪文を口にする。
半ば家出のように出奔して数年。
少年期から青年期までを師の元ですごし、独力で剣士として生き延びてきた兄と再会あるいは合流して、まだ半日。
ラティスは、兄が仲間を作らずただ一人で流離っていた理由を理解した。この暴走っぷりに、そうそう付き合える人はいないだろう。一緒に暮らしていたときよりも、悪化している気がする。
「はぐれるなよっ、ラス!」
そう言うならはぐれないように移動してもらいたい。
そんなラティスの言葉は、兄と自分の身を護るために費やされる呪文に埋め尽くされ、胸の裡に収めておくしかなかった。
ただ、久方ぶりに見た兄は、昔と変わらず、どこまでも楽しそうに輝いている。思えばそれがラティスに魔導師としての今を選ばせたのであって、間違っていなかったのだと、後押しされるように気持ちにすらなってしまう。
ファウスは、一年も歳の離れていない、しかし父母ともに同じくした兄弟だ。
双子ではなく、顔立ちもそれほど似ていない。どこか童顔なくせに男らしさのあるファウスは父に似て、線の細いラティスは母に似ている。それでも、ファウスとラティスはどうしようもなく兄弟だった。
ファウスが泣くとラティスも泣くし、ラティスが泣くとファウスも泣く。厄介な赤ん坊だったよ、と笑われても記憶はないが、そうだったろうなと何故か納得はできた。
ファウスは馬鹿で、ラティスは賢い。
生まれ育った村での定評だったが、たまに、ラティスは逆だろうと思ったものだ。兄は、人として、あるいは生き物として、おそらく純粋に賢い。ラティスは、小賢しいか理屈っぽいといった、せいぜいがそんなところだ。
「もうちょっと、この辺っ!」
急に立ち止まり、危うく、背中に激突するところだった。手近な枝を掴んでどうにか勢いを殺したが、ファウスは気付いた様子もなく、得意げな笑顔で足元を指す。
「ほら、これ。ちゃんと覚えてただろ」
幼い日と何一つ変わらない、無邪気な笑顔。ラティスは、それを前に深々と息を吐き、吸って。
「馬鹿フィス」
「なっ! 何でだよ! 覚えてただろちゃんと!」
「いっそこの魔力を分けてやりたいよ…どうして兄弟でここまで魔力に差があるのかなあ…」
「だからそれはオレが落っことしたのをお前がちゃんと拾ってくれたってことで解決しただろ?!」
してない。
それはファウスだけの理屈であって、常識一般に照らしても、魔導師の知識を総動員しても、正解とは言い難い考えだ。
いくら兄の魔力が、人として珍しくゼロだとしても、その分を後に生まれたラティスが受け取ったと考えるのは無茶というものだ。だというのに、ファウスの中ではそれで完結してしまっているらしい。
ラティスは、痛む頭を軽くおさえた。
「とにかく、それが珍味だっていうなら、採って早く引き上げよう」
「…ここ、何かまずい場所なのか?」
生き延びるための勘は発達しているファウスだが、今に限っては、ラティスの顔色を読んだのだろう。言いながらも時間を惜しむように、片膝をついて足元のキノコを土ごと掬い上げる。
ラティスは浅く息を吐き、あとどのくらいの力が使えるかを確認しながら、こくりと肯いた。
「例えるなら、蛇の巣穴の上でタンゴ」
「げ」
「しかも毒蛇」
「うげ」
どーりでやるヤツがいなかったはずだ、とぼやいているのは、以前に請けたという依頼のことだろう。
幻のキノコを採ってくる、という依頼は、しかし場所がほぼ確定していて楽なものだった、とファウスは言った。それは、何も知らなかったからだったのだろう。多少なりと魔力のある人間であれば、何かしらの不気味さに二の足を踏んだはずだ。
この場所は、どうやら別の世界――召喚術で喚ぶような、魔物や魔獣といった者らが暮らす世界につながりがあるらしく、色々と不安定なようだ。魔導師としてそれを感知しているラティスは、強烈な眩暈と頭痛に耐えながら、平然とした様子を保つことに力を尽くした。
呪文に必死になって途中で気付けなかったのは自分の失態なのだし、それを言えば、ファウスが走り出す前に、その方角を知った時点で忠告すべきだったのだ。それができなかったのなら、無駄に心配させるべきではない。
「よし」
「?!」
いきなり背負い込まれ、ラティスは言葉を失った。幼い日、歩き回って足をくじいたときのように、当然の如く、体格だけなら十分に大人になった身体を背負われて、動転する。
背負われたせいで顔の見えないファウスは、しかしどこまでも明るい声を出す。
「帰るぞ、道案内たのむな」
「…は?」
「毒蛇の巣穴だろ。踏み抜いたらまずいところとか、言ってくれよ」
「…背負う必要は?」
「これのが早いだろ? さっき、何か色々やってくれてたみたいだけど一緒になってる方が楽じゃないのか?」
そうでないとも言えない。
再び言葉を失ったラティスを待たず、ファウスは、同じような体格の人を一人背負っているとは思えない身軽さで走り出した。ラティスは、悲鳴を飲み込んで次の一歩を置く場所の指示をする。
結局、大量の呪文に匹敵するほどの指示を口にして、二人は危険地帯を脱した。
ファウスの背から下ろされたラティスはへたり込み、差し出された手にはしばらく気付く余裕もなかった。
「…はい?」
「ありがとな」
何の衒いもなく告げられた言葉に、ラティスはぽかんとし、ふっと、笑いがこみ上げてきた。
そうだった。この兄はいつだって、色んなものを引っ掻き回し、振り回し、しかしそんなことにはろくに気付いていないのだ。そして振り回された方は――楽しかったと、後になって気付く。
ラティスが手をとると、にっと、ファウスが笑った。そこでようやく、ファウスよりも一年近く早く生まれたのに若く見える顔が、笑っていなかったことに気付く。だがまだ、目が笑っていない。
「無茶言って。無理言って。ラスが、オレのこと見捨てたって仕方ないってわかってるよ、ほんとは。ごめんな、兄貴がこんなで」
「――らしくないなあ」
「あ?」
「どうせいつもこんな無茶苦茶やってたんだろ。そんなだから孤高の剣士なんて言われるんだ。フィスの突っ走りに付き合える奴なんてそういないんだから、そこはちゃんと合わせないと」
やや俯いたファウスの顔が拗ねているように見えて、少し笑ってしまう。
「いいよ。二人分、ちゃんとなんとかするから。フィスに付き合えるのなんて、俺くらいだからね」
幼い日。まだ、二人が両親の元で一緒に暮らしていた日のこと。魔力のないファウスが、ラティスに無茶を言ったその日のことを、ちゃんと覚えている。
ずっと、そのつもりで修行もしていた。
ファウスは忘れているかもしれないと思ったが、輝きを取り戻した目に、覚えていると知った。
「ごめんな、ラス!」
「…そこ、笑顔で言うところ?」
笑いながら、ところで、と首を傾げる。
「そのキノコ、どこの依頼?」
「いや、依頼じゃなくって。珍味だって言うからさ、土産に」
「土産?」
「…そろそろ、一回くらい帰んなきゃだろ、家。飛び出してそれっきりだし。全然連絡入れてないし」
ああ。なるほど、と肯いてから、ラティスは、どこか照れくさそうな兄を呆れて見遣った。
「手紙は出してたよ、俺。フィスは完全に音信不通だったわけ?」
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